地獄篇

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「それは困りましたわ。どうしましょう。私、六文なんて、持っておりませんのに……」 「なんだと? 受け取っておらぬと申すか?」  緑のその言葉に、六文太は狐に摘ままれたような心持ちになってしまった。  六文太は緑に自らの罪を白状させ、赦しを乞うまで、六文を取り上げて返さぬつもりであったのだから無理もなかった。  また、六文太には、お釈迦様が死人へと施した極楽浄土への通行手形たる六文を自らの裁量で取り上げる権限なぞ、本来は与えられてはいなかった。だが、お釈迦様の下した緑への慈悲に対して納得のいかなかった六文太は、緑という名のこの悪人を懺悔させる為に、一計を案じて懲らしめるつもりであったのだ。それなのに、思いもよらぬ緑の言葉によって、六文太は意表を突かれる形となった。 「馬鹿を申すな。そんな大法螺(おおぼら)が通じると思うなよ!」  緑が六文を持っていない筈がないのだ。お釈迦様が授けた筈の極楽浄土への通行手形を持っていない、そんなことはあり得ない話であった。  なぜならば六文を持っておらぬということは、それ即ち地獄に堕ちることと同義である。  極楽浄土への渡し賃でもある六文とは、三途の川に辿り着くまで後生大事に肌身離さず持ち歩くものである。自らの宿命を左右する程の代物をそう易々と道中で落としたり手放したりするなぞ、考えがたいことであった。  ただ、どのような顛末から六文を持たぬ身であるにせよ、当の緑本人は慌てた素振りすらしておらず、あまりにも飄々としている。  六文太は緑という女子の心中を計りかねていた。 「ごめんなさいね。でも、私、この三途の川に来る道中で、同じ死人の子どもに六文をあげてしまいましたの。ですから、私の手元には、六文がございません」
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