久しぶり

2/3
前へ
/43ページ
次へ
階段を下りて中庭に出た。 自動販売機の近くにあの子はまだいて、落とした缶ジュースはもう全部拾っている。 ーーう、どうしよう。 勢いでここまで来たけど、私はどうしたいんだろう。 いきなり話しかける? 小6の終わりから全く連絡を取っていないのに? あの子が隣のクラスにいることを知っているくせに知らないふりをしていた私が、何て声をかければいいわけ? どうしよう、どうしよう……。 〝チャリン〟 音がした。 軽い音だった。 何かと思ったら、地面の上を転がる小さな物が見えた。 それは私の方へ引き寄せられるように来て、スニーカーの先にぶつかって、止まった。 10円玉だった。中庭には私たち以外に誰もいない。ということは、持ち主は1人しかいない。 私は10円玉を拾って、 「……はい」 持ち主に差し出した。 あの子はキョトンとしていた。 それから真っ黒の瞳で、私の顔と10円玉を交互に見渡している。返事は無い。私は自分の心臓の動きがバクバクと速くなっていくのが分かった。 何この空気。 お互いに知っているはずの存在なのに、私たちの間には初対面みたいな空気が流れている。あんなに一緒にいたことが嘘みたいだ。 あぁ、やっぱり急に話しかけるなんて変だったのかも……。 「ありがとう」 ーー消え入りそうな声が聞こえてきた。 次の瞬間、ふんわりとした体温を感じる。 あの子の左手が、私の右手に触れていた。10円玉を摘んで、そっと離れていく。 「あ、あの……、久しぶりだね、チャキくん」 ーーーー〝チャキくん〟 その響きに、私はどうしようもなく懐かしくなった。くらりと眩暈がするほどだった。 〝チャキ〟は、私のあだ名だ。 聞いたのは何年ぶりだろう。 「う、うん! 本当に久しぶり!」 やばい、早口になってしまった。緊張しているのはあちらも同じみたいで、色白の顔は少し赤くなっている。私は話題になりそうなことを探して、ふと気が付いた。 「……それ、飲むの?」 あの子が持っている缶はジュースではなく、コーヒーだった。無糖で、数は3本。 「あ、うん。このうちの2本は、クラスの子の分なの。残りの1本は私が飲むの」 2本って……、あのロングヘアーとショートカットの女子たちの分だよね? 「奢ってあげてるの?」 「えっと、私、じゃんけんで負けちゃったから。負けた人が奢るのがルールだから」 「……そう。ていうかコーヒー飲めるようになったんだ」 確かこの子は、コーヒーの匂いが嫌いだった。コーヒー牛乳さえ苦手で、よく飲んでいたのは炭酸飲料水。特にメロンソーダが好きだった。 「ううん。コーヒーは今でも苦手なの」 「え?」 「でも飲める方がかっこいいから、今のうちに練習した方がいいよって、みんなに言われて……。うん、そうだよね。だって大人になったら、きっとコーヒーを飲む機会も増えるもんね」 は? かっこいい? コーヒーを飲むことが? どうゆうこと? そんなわけないじゃん。 つーか〝練習〟なんて言い方をしているけど、本当はこの子が苦手なものを強制して、楽しんでいるんじゃないの? それに〝じゃんけん〟だって、この子が負けるように仕組まれているんじゃ……? 「……チャキくんは、イメージが変わったね」 「え?」 今度はあちらから話題を振ってきた。 いや、話題を変えたかったのかもしれない。 「小学生の頃はボーイッシュな感じだったでしょう? ずっとショートカットだったけど、今は私よりも髪が長いし、女の子らしいっていうか……」 「そ、そうかな?」 「あとスカートを履いているのも新鮮で……、あ、制服だからスカートなのは当たり前なんだけど」 「私服は今でもジーンズばっかだよ」 「そうなんだ。……本当にチャキくん、キレイになったよね。何だか分からないけど、嬉しい」 あ。 今、この子が笑った。 高校に入って再会してから、初めて見た笑顔だったーー。 「山本ー、何やってんのー?」 突然、後ろから甲高い声がした。 「もうとっくに3分経ってるんだけどぉ?」 すぐに続くのは鼻にかかったような声。 1組の2人だ。 2人は私を見ると怪訝そうな顔をした後、露骨にコソコソと話し始める。 ーーつか、隣のあいつ誰よ? ーーいや、私に聞かれても知らないからぁ。 ーー山本の友達?(笑) ーーいや、山本に友達いるわけないじゃん(笑) いや普通に聞こえてるんだけど。コソコソ話をするなら、もっとコソコソした声で言えよ。 「チャキくん、ごめん! 私行くね!」 慌てた様子で2人のところへ駆け寄って、〝ごめんね〟と何度も謝っている。あの子が缶コーヒーを渡すと、2人は当たり前のように受け取っていた。 何あれ。 3分とか言ってたよね? 3分以内にコーヒーを買ってこいってこと? そんなに早く飲みたいなら自分で買いにいけよ。 何でそんなに偉そうなわけ? 私は無性に腹が立って、悲しくなった。 どうしてあの子がペコペコしなきゃならないの? 自分のお金で、自分が苦手なものを買わされているのに。 そろそろ家庭科室に行かないと時間的にまずいのに、 私は何となく動く気になれなかった。 見上げた空は相変わらず曇っている。 私はこの日、初めて授業に遅れた。 ーーーーー
/43ページ

最初のコメントを投稿しよう!

6人が本棚に入れています
本棚に追加