Good-bye, Blue Book.

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「ね、大丈夫って言ったでしょ」 私の頭を帽子の上からポンと軽く叩き、直耶先輩が苦笑する。 しばらく身動きが取れなかった私は、自分が泣いていることに気がついた。 「ホ、ホントですね。すごいなぁ…まさかのサヨナラ……か」 放物線を描く最後の、最後の打球は、センターのはるか頭上を抜けていった。 このグラウンドの柵はかなり遠く、時々振り返りながら全速力で駆け戻ってくる悠。 最後は力強く地面を蹴ってからホームベースを走り抜けた後、チームメイトとバシバシと叩き合いながらベンチに戻ってきた。 『見てろよ』 そう言った次の瞬間の一振りだった。 「今度はよそ見しなかったな」 満足気に笑う悠。私は慌てて涙を拭うと、なんとか「そうだね」と答えて彼から顔をそむけた。 「あ、あの直耶先輩。 スコア一応書けました。途中緊張しすぎてちょっと怪しいですけど…。 これお返ししますね」 ありがとうございます……と言ってスコアブックを目の前に差し出すと、直耶先輩はなぜか急にスマホを取り出し、カシャ、カシャーと紙面を撮影した。 「はい、俺はこれで十分に目的果たせるから、これは朱織ちゃんが持って帰って」 「……え?」 パタンと閉じたブックを先輩にポンと渡され、あたふたと受け取った。 それを横で見ていた悠がボソリとつぶやく。 「今日で最後なんだろ、この学校来るの」 「……!どうして……」 驚きすぎて、声が若干裏返ってしまった。 ずっと黙っていたことが、実は知られていたなんて。 本当に身近な女友達と後輩マネージャーには伝えていたけど、引っ越すと言って皆を騒がせるのが嫌で、担任の先生に懇願して、最後まで転校することを周りに伝えないことに決めていた。 「井上さんから聞いたんだよ」 直耶先輩があっさりと答える。 なんてことだ、他ならぬ担任かつ野球部顧問からいとも簡単に情報は漏れていたわけだ……。 「あんまり井上さんを責めんなよ。俺らだって黙って居なくなられたらもっと辛かったと思う」 一度無理やり引っ込めた涙は、結局堪えきれず再び溢れた。 わかる、わかるけど。だから嫌だったんだ。皆に、悠にそんな顔をさせてしまうから。 「だからそのスコアブック、最後の試合の記念に取っておいて」 「ありがとうございます……」 だからあんなに私のことをスコアラーに薦めたのか。 「あ、あれお前の家の車じゃないか?」 悠が校門の方を指差す。 「本当だ……。試合が終わるまでって約束だったから……」 本当は今日授業が終わったらすぐに引越し先に移動する予定だったのだが、私が無理言って試合が終わるまで学校に居たいと言って、ギリギリまで待ってもらっていた。 「もう迎えが来ちゃった。私教室に荷物取ってきます」 「ああ、こっちの荷物はまとめておくから言っておいで」 「はい、ありがとうございます」 直耶先輩にペコリと頭を下げ、その場を後にした。悠の顔を見たくなくてわざとそっちの方は見なかった。 車の窓を開けて顔を出すと、皆が代わる代わる声をかけてくれた。最後は結局部員全員の知るところとなってしまったが、皆の気持ちが嬉しくて、私ももう涙でぐちゃぐちゃになる自分の顔を隠すこともしなかった。 「いいチームだったのね」 走り去る景色の中、バックミラー越しにこちらを見る母に、こくんと頷き返す。すっかり泣きはらしてしまった。 車の振動に身を委ねながら余韻に浸りたくて、スコアブックを再び手に取る。ふと、最後に悠から渡してくれたのを思い出し胸がぎゅうっとなった。 パラパラとめくると、さっきは気が付かなかったが、後ろの方に書き込みがされているページがあることに気がついた。 「うそ……」 そこには部員の皆からの寄せ書きがあった。 今日居なかった、この夏引退した3年生選手や先輩マネージャーの名前もある。今日の短時間で書いたものとは思えず、前々から準備してくれていたであろうことは明白だった。 「なんだ……結局皆知ってたんじゃん……」 ふっと笑ってから、また涙がぶり返した。 一人ひとりのメッセージを指でなぞる。その中に、悠の名前を見つけた。 『甲子園だったら、新しい家から近いから見に来れるよな? 悠』 ふふっと声に出して笑ってしまった。今日の試合のことを思えば、本当にやってのけるかもしれない。いつも前向きな悠らしい言葉だ。私はそんな悠がずっと好きだった。この想いを伝えることは結局できなかったけど、最後にカッコいい姿がベンチから見れて本当に良かったと思う。 次から次へと溢れてくる涙をそのままに、意外と繊細な文字をそっと撫でる。 ふと、寄せ書きの欄外に書き込みが付け加えられていることに気がついた。明らかに他の文字とペンの色が違ったから。これは、今日私がスコアの記入に使っていた赤いペンの色だ。 『今日の最後のスコア、忘れんなよ! 悠』 パラリとめくり、今日の試合のスコアのページを再び開く。 よく見ると、最後に目にした時と何かが違う。 「うそ……」 最終打席、悠の打撃成績の欄。 ホームランを表す赤いラインで描かれたひし形。 その下に同じく赤色の文字で添えられた一言。 「このホームランを、お前に捧ぐ。好きだ」 ぶっきらぼうな悠の顔が目に浮かぶ。 みるみる視界が滲んで見えなくなった。慌てて涙を拭って、また文字を見つめる、を何度も繰り返した。 待ってるよ、だから絶対会いに来て。 その想いと一緒に、青いブックを胸に強く抱きしめた。 ***end***
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