Good-bye, Blue Book.

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「アイツ今日、随分飛ばしてるなぁ……まあ無理もないか」 直耶先輩のつぶやきが耳に入ってきたのは、うちのチームが後攻で1-2、9回の表の2アウトになった瞬間。試合展開は完全に投手戦の様相を呈していて、お互い長打が出ないものの固い守りで競り合っていた。 練習試合とは言え強豪校相手に、もしかしたら勝てるかもしれない、と動悸が激しくなっている時だった。 「え?」 スコアブックの記入に気を取られていた私は、一瞬首を傾げた後、マウンドにいる悠を見た。確かに投球フォームをみるといつもよりテンポが早いような気がする。 もう一度スコアブックに目線を戻す。 今日は三振が多くてずいぶん調子がいいなと思っていたけど、よくよく見直してみるとどの打者に対してもボールが先行していて、味方の守備のファインプレーもあって結果1点に抑えられてはいるものの、いつものコントロール抜群な悠のピッチングとは違う気がした。 練習試合とは言え、相手が相手だからさすがの悠も緊張するんだろうか。 ……大丈夫かな。 「悠ーーーー!落ち着いてーーーーー!」 ベンチからそう声を上げたその瞬間。 キィン… 高い金属音がグランドを割いた。 抜けるっ……! 鋭く這うような打球が、素早く伸びた悠のグラブのわずか先をすり抜けていった。 勢いが衰えずそのまま二遊間を切り裂いていく。 相手側ベンチから歓声とどよめきが上がった。四球で出塁していた二塁、三塁のランナーが、一気にホームに帰ってくる。センターが追っていった球が、ショートの中継を経てホームに戻ってくるまでには、バッターランナーは2塁に到達していた。 相手チームのランナーは、2塁ベースの上で大きく拳を突き上げる。3-2、勝ち越された。 やばい…… 悠の顔は、ベンチからでも分かるくらい険しくなっている。 伝わってくる緊迫感に見ているこちらまで緊張して、ペンを握る手が震えて線がうまく書けない。 「大丈夫だよ」 聞こえてきた声にハッと顔を上げると、直耶先輩がまっすぐにこちらを見ていた。試合展開にそぐわない、柔らかい笑顔で。 「今日のアイツは、絶対負けないから」 「直耶先輩……?」 その言葉の真意を測りかねて、先輩の顔を見つめているとーーーーー キィン……! 耳をつんざく打球音に、ハッとしてグランドに目を向けるのと、思いっきりジャンプした悠が鋭い打球をキャッチしたのはほぼ同時だった。 「っしゃぁ!!」 普段騒がしい悠だけど、試合の最中はいつも冷静で、声を上げるのは意外にも珍しい。 これでスリーアウト、残るはこちらの攻撃だ。 ……すごい、なにこれ。 さっきのプレーが強烈だったのか、心臓がバクバク言ってなかなか収まらない。 キャッチャーの木村くんとハイタッチしながら戻ってくる悠を見ていると、悠が私の視線に気づきふっと表情を緩めた。 「今度は……よそ見するなよ」 そう言って、私がかぶっているスコアラー帽のツバをつまんでキュッと下げた。 「ちょっ、ちょっと見えないじゃん」 慌てて帽子を直すと、もう悠はベンチに屈み、バッティンググローブをはめているところだった。そうだ、この後うまくいけば悠に打順が回ってくる。 『今日のアイツは、絶対負けないから』 さっきの直耶先輩の言葉を思い出す。 たかが練習試合、相手が相手とは言え、なんで皆こんなに真剣なんだろう。 そう思いながらも、悠のいつも以上に真剣な横顔を見ていたら、胸が一杯になった。 ……そうだ、これが最後なんだから、私も悠を信じよう。 悠に打順が回ってきたのは、2アウト、4番打者の木村くんが四球で出塁した場面だった。 相手の投手は最終回から交代して出てきたピッチャーで、目前の勝利に身を固くしているのか、コントロールが定まらない。 キィン! 勢いのある打球は三塁線の外側に大きく切れる。これで2回めのファール。フルカウントだ。 さっきまで両チーム騒がしかった歓声がいつのまにか止んで静寂が訪れていた。敵も味方も、皆固唾を呑んで見守っている。 震える手でボールカウントをスコアブックに何とか書き込みふっと顔を上げると、バッターボックスから真っ直ぐこちらを見ている悠の顔が目に入った。 悠の口元がゆっくり動く。 こくんと無言で頷くと悠は安心したようにうなずき返し、ピッチャーに向かってバットを構えた。
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