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どうやら、魔物にさらわれたらしい。
城らしきこの場所には明らかに人間でないもの達が出入りしており、『ヒト族・若い娘』の私だけが異質である。
(え、えーと……)
こっそりと外を見ていた窓から頭をひっこめて、考える。
これはもしやアレだろうか。
(奴隷として働かされる、か、もしくは……)
———食料。
(しししし死ぬの⁉︎ 食べられるもの探して森に入ったせいで⁉︎ それとも疲れてちょっと寝入っちゃった、その油断のせいで⁉︎)
さすがに血の気がさあっと引く。背筋が冷える。
が。
果実を添えた食事に、温かな寝床のついた清潔な部屋、というのは、これから美味しく料理される未来とはどうにもそぐわない気がする。
(この寝床、ふっかふかだし……)
正直、自分が使っていいのかとためらわれるくらい上等だ。
気がついたらここに寝かされていたから、たぶん誰かが一度はそれを良しとした……ということだと思うけれど。
しかし見渡してみれば、この部屋にあるイスやテーブル、敷物、物入れ。
どれも私のような庶民が使うような代物ではない。
(身の置きどころがない!!)
なんというか、良すぎるイミで足の踏み場もない気がしてきた。
困ったあげく床に座っていると、やがて湯と布と着替えを持った魔物が入ってきた。
……どう見ても、歩くトカゲ。
それも結構背が高い。
「お目覚めになられたようですね。
まずはお手やお顔を洗われたいかと思いまして。どうぞお使い下さい。
後ほど湯殿にご案内いたします」
威圧的に出られたらどうしようと思っていたが、意外に腰が低い。
それに言葉が通じることがわかり、ほっとする。
「あ、あの」
何から聞くべきだろうか——ためらいながら、尋ねてみた。
奴隷にしては扱いが良すぎる。食料としても同じくである。
そして明らかに不釣り合いな寝床はおそらく、自分のものではない。
挙句に体を清めろと言われれば、答えは。
「……あなたを攫ってきたものが、どんな女好きかって?」
トカゲは一瞬キョトンとし、それから笑い出した。
「いやいやいやいや! 魔王様は、奥方様ひとすじですよ!
そりゃもう筋金入りってやつで」
あっはっはと朗らかに笑う魔物は、思いがけず友好的だった。
(え、待って)
私をさらったのって魔王さまなの?
それここで一番偉い人じゃないの??
茫然としていると、とりあえず手と顔を洗え、とうながされ、更には座って食事をとれ、と椅子をすすめられる。
綺麗な器に美しく盛られた肉や野菜を、本当に自分が食べていいのか半信半疑だったが。
空腹で、この誘惑には勝てない。
まずは果実からと手をつけてみたら、もう止まらなくなった。なにこれ美味しい。どれ食べても美味しい。
そんな私の様子を満足げに眺めて、魔物はまた口を開いた。
「あの方は、かつて愛した奥方さまだけをずっとずっと想っていらっしゃいます。
奥方は人間でいらしたので、とうに寿命でお亡くなりですが。
生きていらっしゃる間に、ひとつだけ約束を交わされたそうで」
若く見える彼(?)だが、喋り方には独特の年季がうかがえた。
慣れた手つきで、杯にいい香りの水を注いでくれる。
「『生まれ変わった貴女に、また求婚してもいいか』と問うたところ『新しい人生を邪魔されるのは困るけど、不幸そうだったら助けられてやってもいい』とのお返事だったと」
……奥方、さすが魔王の妻になるだけあって肝が太い。なにその強気な返答。
「で、魔王様はここ何度かの転生は、静かに奥方を見守っていらしたのです。
ただ最近はホラ、人間界は戦争だ疫病だ不作だ重税だといろいろあったじゃないですか」
その通りだ。実際、私も明日には売り飛ばされることになっていた。
家族ももう限界なのだ。全員が生き延びるためには、同じ屋根の下で食べる口を減らすしかない。
村の中でその選択をしたのは、別にうちだけではなかったし。
「ですので、魔王様はそろそろ動いてもいいだろうと判断されたようです。
無理強いはされないと思いますが、もしお断りになられるなら、自力で幸せになってみせる程度の根性を魔王さまにお見せする必要はあるかもしれませんねえ」
(え?)
なにを? 私が?? 断る???
「あなたが落ち着いたら、この城をご案内するよう言いつかっております。
お気に入りの場所はそのままにしてありますから、きっと懐かしいと思われるところのひとつやふたつはおありでしょう」
まってまってまって。なんかすごく思わせぶりなこと言われてない?
(それってひょっとして……いやいやいやいやまさかありえないし)
「わたくしは、一度奥方さまにお会いしてみたいとつねづね思っておりましたから、すごくワクワクしておりますよ。
それではどうぞ、ごゆっくりおくつろぎを」
きれいに食べ終えた皿を片付けた魔物が、部屋を辞して行った。
あの。ちょっと。嘘でしょう???
そして、混乱に陥った私の元へ満を持してやってきたのは、つやつやのお肌とサラサラの髪、そして実に豊満な胸をお持ちの魔王——それも、女王だった。
『過酷な人間界で後ろ盾もなく、自ら幸せを掴みに行く』か、それとも『女性の魔王の奥方として庇護を得ながら平穏に暮らす』か。
その日、私の前に、とてつもなく大きな人生の岐路が現れたのだった———
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