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また、先輩お得意の「お説教」が始まってしまった。普通はこんな説教されたら、ムカついて即電話を切っちまうとこだが、先輩の場合はそうはいかない。むしろ、叱られている事が心地よい。別に、M気質だってわけじゃない。先輩に叱られてるってことは、まだ見限られてないって事だ。まだ俺も捨てたもんじゃないって思えるんだ。
「和美も心配してるぞ」
和美……先輩の奥さんの名前だ。和美さん……。
和美さんと初めて逢ったのは、まだ俺が刑事になりたての頃だ。彼女は行方不明になったお姉さんを探していた。近所の交番では埒があかず警察にきていたところを、偶然俺が事情を聞くことになった。そのわずか14,5分の間に、俺は彼女の虜になってしまった。
美しく長い黒髪、憂いを秘めた瞳。お姉さんの行方がわからないんだから、憂いがあるのは当然とも言えたが。だけど決して弱々しい感じではなく、曲がった事のきらいな、芯のしっかりした女性。彼女の話をメモにとりながら、気持ちは上の空だった。いつまでも、この時間が続いてくれればいい。そう思った。
しかし、女性に対して「奥手」だった俺は、こんなステキな女性を、どうやって口説けばいいのかわからなかった。とにかく、彼女の力になろう。そうすることで、彼女も俺に気を掛けてくれるかもしれない。自分の時間が取れるときは、お姉さんの行方を追うのに必死だった。ところが。
そのことに気が行き過ぎて、彼女に逢うのもままならなかった。逢って、「まだ、お姉さんの手掛かりはありません……」と言うのが辛かったのもある。そうこうしているうち、彼女は警察にいた、素晴らしい男性と恋に落ちた。……その男性が、先輩だったわけだ。
俺の最も尊敬する男性と、最高にステキだと思う女性。最高のカップルじゃないか。嫉妬する気にもならんね。そして今も、二人は子供こそいないが、幸せな家庭を築いている。
俺もたまに先輩宅にお邪魔しては、和美さんの手料理を頂いたりする。この料理がまた絶品で……
「おい、聞いてるのか?」
「あ、はい、すいません」
「お前は昔っから、なんでも一人で突っ走るクセがあるからな。なにか困った事があったら、一人でムキになんないで俺に相談しろよ?」
「はい、ありがとうございます。……先輩も、何かあったらいつでも俺を頼って下さいね」
「ばかやろう、お前に頼るほど、まだ俺は老いぼれちゃいねーよ!」
……全くだ。
電話を切った後、早速調査のまとめを始める。ちっぽけな仕事だが、これを必要としている人がいる。その人の信頼を得る事で、また次の仕事が入る。そうして、いつかは「個人経営の興信所」から「私立探偵事務所」になってやるんだ。俺は二本目の煙草に火を付け、書類の束に目を落とした。
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