夜に、叫ぶ。

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 俺は心の中で必死に、和美さんに呼びかけていた。 『和美さん……俺は、俺はいい。でも、先輩が……あのままじゃ先輩まで死んじまう。いいのかよ? 先輩が死んじまって……一緒にあの世へ行きたいって言うのか?』  その時、俺の身体が何かに持ち上げられるように、宙に浮き始めた。  ゆっくり、ゆっくり……“仁美”がこちらを見つめながら、にやにやしていやがる。そして、傍らにいた先輩の身体もまた、浮き上がり始めた。俺は声を限りに叫んだ。 「やめろ! それ以上は……!」  声が、続かない。恐らく、天井近くまで身体を宙に浮かせ、勢いをつけて床に叩きつけるつもりなんだろう。たぶん……二人とも、お陀仏だ。 『和美さん……助けてくれ! 今、先輩を救えるのは、和美さんしかいない!』  俺は呼びかけ続けた。一縷の望みを託して……。 「姉さん! もう止めて!」  “仁美”が、びくっ! としてこちらを見た。今のは、和美さんの声だ……? 「姉さん、もう止めて……もういいでしょう? わたしは、こうして姉さんと同じ“魂”だけの存在になった。これ以上は、やる必要ないわ……」  声のする方を見ると。……信じられない。穏やかな光に包まれ、かすかに透き通るような、和美さんの姿がそこにあった。 「和美、お前……」  “仁美”もまた、信じられないという表情で、和美さんの方を見ている。 「さあ、姉さん。いきましょう……」 透き通った和美さんの手が、ゆっくりと“仁美”の方へと伸びた。和美さんのその姿は、何かこう……いわば、神々しさのようなものが漂っていた。 「和美……」  怒りに満ちていた“仁美”の顔が、だんだん穏やかに変わっていく。 「お前、私を許してくれるのか……?」 「許すなんて……姉さん、会いに来てくれて嬉しかった。姉さんがいなくなってから、どれだけ心配したか……」 「……」  もうそれまでの、“仁美”の顔ではなかった。元の、和美さんの顔だ。いや……これが、和美さんの姉さんである仁美さんの、「本来の顔」なのかもしれない……。  すると、俺の身体がゆっくりと降下し始めた。先輩もだ。やがて、そのまま床へとたどり着いた。 「さあ……」  和美さんは“仁美”の手をとった。その時、するっ……と、和美さんの身体からもうひとつの、「透明な身体」が抜け出してきた。操る魂を失った和美さんの遺体が、ばたっと崩れ落ちた。 「和美、私を……私を、導いてくれるのか? 安らげる、安息の場所へ……」  仁美の魂が、和美さんの遺体から抜け出し、話し始めた。もうその表情に、怒りや憎しみの痕跡は全く残っていなかった。 「いきましょう、姉さん」  透き通った和美さんに満ちた光が、いっそうの輝きを放ち始めた。   
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