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その女の体の表面は濡れていた。
ぬらり、としていた。
引きずり出された女は二十歳を過ぎた頃に見えたが、同時に老婆にも見えた。
顔形は美しかったが、ひどく醜悪にも思えた。
目の輝きは、なかった。
ただ、朱い唇だけがやけに艶やかだった。
天帝が陽来を抱きかかえたまま、女に尋ねる。
「お前は?」
「はい、お父様。あたしは怨女(おんじょ)と申します。お母さまの腹の中で潜んで、男の精を沢山食べて生を受けましたが。今まではただ単なる思念でございました。けれどもお父様が素晴らしい精を注いでくださったおかげで、あたしは体を持つことができました」
「ふむ、それではお前は我の娘か」
「ええ、お父様」
「そして、この腕の中にいる者は」
「お母様でしょうね」
「はっはっは。真に愉快。我に娘か。これではますますこの男……手放せなくなった」
そう言って、天帝は陽来に口づける。
すると陽来が目を覚ました。そこで嬉しそうに怨女が駆け寄り、「お母さま」と言った。
「お母さま、お母さま。お父様のおかげでこんなに立派に生まれることができました」
「なんだ、お前は、俺はお前など知らない。ましてや俺は母ではない」
「あはははは。うそつきね、お母さま。私はあなたの腹の底の、誰にも言えない怒りや怨みから生まれたの。あなたが誰にも言えない、怨み、つらみ。清らかな顔をしている癖に、本当は人一倍溜めこんで……例えば」
と言って怨女が陽来の頬に口づけを落としてから、言った。
「お母さまが、紅花に怒っていること、思っている事。私……知っているのよ」
「なにを」
「なぜ、息子達を見殺しにしたのか。なぜ、お前一人が生き残っているのか。俺が四肢をもがれている間、どんな風に江滝に抱かれたのか……。ねえお母さま。聞きたくて聞きたくて……堪らないのよね?」
「よせ、やめろ!」
それを聞いた紅花、陽来を見る。
違う、違う。かぶりを振って陽来は否定をするが、怨女はうそつき、と言って笑う。
「なぜ、なぜ、俺がこんな目に合わねばならんのか。紅花に恋した俺が悪いのか。江滝を友に選んだ俺が悪いのか。ああ、憎い。憎い。皆が、憎い。怨みたい。腹の底で、煮えくりかえるほど、お母さまは怨んでおいでだったの。ああ……、本当は、人一倍……嫉妬深くて、欲しがりで……。でも、そんな自分が大嫌いで……。だから、封印したのよ。私が……その感情。一生、誰にも見せない筈だったのに」
ごく。ごく。ごく。
「男の精を沢山注がれて……生気をもらって……私……段々大きくなったの。そして、お父様の精で、私。体が生えたわ。お母さま……、ねえ、あなたの娘よ」
「やめろ、違う、お前は俺の娘などではない、よせ、離せ、俺は、やっと、やっと紅花と暮らせるようになったのだ、頼む。頼む。天帝よ……、俺を紅花の元へ帰してくれ……」
「それはもうできまい。お前は我の娘を産んだ。我はお前を妃と認めよう……たまには、手足をくっつけてやってもよいぞ……?なぜならお前が奏でる迅の音色はとても、心地よい……」
うふふふ。
はははは。
良く似た笑顔で天帝と怨女は笑った。
天帝に抱かれ、怨女にあなたが母だと纏わりつかれ。
陽来は泣いた。やっと、幸福になれる筈だったのに。
どうして……。
どうして……。
そう呟く陽来は連れて行かれる、天帝と共に馬車に連れて行かれる、それについて行こうとした一の剣がさあ、と二の剣に手を差し出す。
「さあ、帰ろう」
だが、二の剣は首を横に振った。
「いやだ。おいらはここに残る」
「どうしてだ、こんな所……」
「紅花さんを置いていけねえ。このままあの人を置いていったらあの人……一人だ」
「何を言っているんだ、二の剣。どうせ、皆すぐに死ぬんだぞ。お前が知っている人間なんか、すぐに死ぬぞ」
「知っているさ。だけど、今は帰らない」
「ばか。天帝の機嫌を損ねるな」
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