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2.中学生時代①~小説への葛藤と創作の壁~
前章で述べたように、読書(小説)への苦手意識を克服できないまま中学で進学した私であった。国語に関しては案の定「説明文・エッセイ大好き!物語苦手!」へ進んで行く。
おまけに、今度は昔の言葉で書かれた文章-古文への理解も深めなければいけなくなった。勿論古文も物語が多いので、頭を抱えた。エッセイの徒然草ならOKだが、社会で人気のあった源氏物語や枕草紙はからっきしだった。ならば漫画で…と、当時習い事をしていたピアノ教室になぜか置かれていた「ざ・ちぇんじ」を休憩時間中に読み漁ったが、男女入れ替わりのシチューエション萌え(もう萌えって死語か…)しただけで勉強の役には立たなかった。当時は無理なものは無理と割り切って、高校受験は他の分野や科目で点数を稼ぐことにした。(実はこんな状態だったが、日本史は比較的得意科目だった。人の感情を読み取る国語と違い、歴史上起こった事実が淡々と書かれているだけだったので、苦手意識がなかったものと思われる。)
かといって、現代の物語文にも相変わらずなじめない日々が続いた。周囲が「走れメロス」にああだこうだ言っているのを聞いてもよく理解することが出来なかったし、ヘルマン・ヘッセの「車輪の下」のエーミールの性格の悪さについても「へーそうなんだ」程度の反応しか当時はできていなかった。
ただ、そんな教科書の作品の中でも唯一脳内妄想ができた作品があった。教科書に載っていたリチャード・バック作の「かもめのジョナサン」である。かもめであるジョナサンが飛ぶ行為に価値を見出していく姿と、まるで擬人化みたいな文面に当時思春期と共に漫画好きからの俗にいうヲタクになっていた私は妙に心をつかまされたのである。
後にインターネットで調べたところ、かなりの長編で教科書では抜粋されて掲載されていたのを知り、「これなら読める」と思ったのだが、なんか続編だと神格化とか宗教的というレビューを多々見てしまい、怖気づいてしまった。そんなネットの評判に左右されるなんて…と思う自分もいるのだがどうにも怖くて未だに手を出せていない。
さて、先述した通り小学生の頃から漫画好きだった私は友人からの誘いでオタクとなっていた。漫画やアニメを見て友人とわいわい言い合ったり、創作もしたり、当時広がりを見せていたインターネット掲示板に書き込みをしていたりもしていた。ただ、この「創作」の段階で本を読んでいなかったツケが回ってきたのである。
私は友人に感化され、改めて罫線の入ったノート(確かお気に入りはコクヨのCampasシリーズだったような気がする)に色々な物語を書き始めた。内容はというと、典型的なRPG風女剣士が主人公の漫画もどき(絵が描けなかったので今見ると悲惨だが)だったり、天使と悪魔がそれぞれ転生して葛藤する王道な恋愛ものだったり、朝起きたら世界が滅亡していたとか物騒なものだったりととにかく様々だった。今となっては所謂黒歴史…といえる存在だったので、その大半は何度かの引っ越しの際に処分したのだが、その中でも今思い出してもとても恥ずかしくて印象に残っている作品がある。
物語は女子中学生の三人の少女が、謎の力の込められたタロットカードを集め事件を解決していく(+物語中盤になるとライバルキャラの年下少年が表れて…)みたいな話だった。大学の頃の引越しの際に何気なく懐かしくなって、改めて読み直してみた。すると文面がこんな感じだったのだ。
「かんな(主人公)は襲ってくる敵に向かってダダダっと駆け出し、カードを取り出し『ファイヤ!』といった。そうするとタロットカードからボボボ!!と火が出て敵を倒した」
(…いや、ダダダ、とかボボボって何さ?)
執筆当時の自分自身にツッコミ、そのまま硬直したのを覚えている。続く文章も、バーン!とかグルグルとか擬音の嵐。描写もへったくれもない作品であった。まさに漫画や絵本など絵を意識した作品のみを読んでいた故の弊害である。決定的な描写力不足である。
「若気の至り」とはまさにこのことか…と思いながら、下手に残しておくと後世に何かあった時マズイと思ったのでその小説はそのまま破いてゴミ箱へ処分することにした。そして、改めてこういうものを書くときに参考になるのが小説(物語)なのだな…と思い知ることになった。
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