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3.中学生時代②~ライトノベルと脳内イメージできない葛藤~
漫画やアニメに影響を受けて、擬音まみれの文章になってしまう癖をどうやって直したのか。
勿論、学校や塾で出されるテストや作文の指導も少なからずあったと思うのだが、それ以上に役立ったのかもしれない…と思ったのが今でいうライトノベルや漫画のノベライズである。
きっかけは、当時の友人が何気なく貸してくれたのが神坂一著の「闇の運命(さだめ)を背負うもの」(友人内通称:やみさだ)だった。
友人はその中に出てくるあるキャラに熱中しており、是非読んでくれと言われて読んだのを覚えている。
挿絵もきれいな漫画絵で、文章から登場人物をイメージすることが苦手な私にとってはとても重宝した作品だった。
内容もどんでん返しが多く、子供心ながらに非常に引き込まれたのを覚えている。
その経験から「漫画のノベライズのような、絵がはっきりしているものだったら脳内想像がしやすくもっと読めるのでは」という結論に至り、好きなアニメ・漫画作品のノベライズをちまちま読むようになった。文体の好みはあれど、スピンオフとして楽しめたし、心理描写や場面描写の勉強にもなったような気がする。
友人もそんな私に気が付いたのか
「それならライトノベルも行けるんじゃない?ドラゴンマガジンとかスニーカーとか面白いよー」
と言ってライトノベルの道へ誘ってくれた。
当時放映されていたアニメの原作も意外とライトノベルが多く、ちょっと気になっていた。
私は、とりあえず気になる作品を…と思い、図書館に足を運んだ。そこで手に取ったのがかの有名な「スレイヤーズ」である。
実は、私自身スレイヤーズのアニメは未経験で通ってきており、当時のオタクにしてみればある種珍しい人間だったかもしれない。(事実、この話をすると今親しい友人達からも驚かれた)
当時住んでいた地域がテレビ東京が映らない地域で、確か、やっていたとしても地方ローカル局の早朝の5時や6時代だった。
唯一、当時の友人の中の一人がリナにドはまりしており「ドラグスレイブー!!」と技を掛けられたことがあったが、何のことだか分からない私は「?」という顔しかできなかった。(あの当時の友人、本当に薄い反応ですまない…)
なので、「やみさだ」ではまった作者さんと同じ人だし、以前技を掛けられたドラグスレイブの元ネタを知ることができる!と意気揚々として数冊を借りて、期待を抱きつつ表紙をめくってみた。
(おお、これがアニメ雑誌でたびたび噂に聞くリナ・インバース…漫画のように最初はちょっと絵が違うな。)
ちょっと気になるキャラもいつ出てくるんだろうなと思いながらページを何ページかめくって読み進めた。が、ここで問題が起きる。
(なんか…数ページ読むだけで異様に疲れる。)
確か、この小説全編がリナの一人称で進む「一人称小説」だったのだ。
だからなのか、リナのパワフルな動きや視点を直に感じて楽しさを感じられる…と思っていたのだが、それが自分にとって誤算だった。
リナの動きに気を取られて他のことがイメージできないのだ。
動いている国の規模とか魔法とか色々な重要がことが書かれているはずなのに、集中できない、覚えられない。
楽しい以前に読み終わるとどっと疲れが襲ってきたのを覚えている。
「スレイヤーズがたまたま文章の相性が悪かっただけなのかもしれない」と思い、その後も色々な有名作の1巻だけを借りて試し読みした。
イラストが好みのものだったり、アニメ雑誌でも特集される有名作だったらとっつきやすいかもと思いチャレンジした。
しかし、どの小説でも結果は同じで、文章がうまく頭に残ることはなかった。
こうして、私の「ライトノベルから小説を楽しもう計画」は断念することになった。
そして、脳内のイメージ構築が改めて苦手なのだな…と自覚することになった。
この脳内のイメージ構築でこの当時、もう一つ悔しくなった出来事がある。
授業で宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」を読んだ時のことだ。
相変わらず、文章で読んだときは書かれた事実を受け止めて、試験対策のために「〇〇はこう思っているのだな」という先生の教えを正直に受け止めるだけのいわば「勉強としての作業」の読書を行っていた。
ここまでは今まで通りだったが、ここで先生がLD(レーザーディスク:当時でももう廃れ気味だった)である映像作品を見せると言った。
「今から、皆さんにはこの「銀河鉄道の夜」のアニメを見てもらいます」
「アニメ」といったからにはこの年頃にしてみれば、ある意味退屈な「授業」が「娯楽」に変わった瞬間で、教室がちょっとワクワクした雰囲気になったのを覚えている。
視ているふりをして寝る気満々の同級生もいたが。私は「アニメだったら…声優さん誰かとか予想して楽しめるし」と気持ちを切り替えてみることにした。
このアニメ作品、ひょっとしたらご存じの方も多いかもしれないが主人公のジョバンニを筆頭としてすべてネコの擬人化で表現されている。(今wikiで調べると賛否両論だったらしい)
私が読んだときはうっすらとジョバンニ達は普通の黒髪の人間のイメージで読んでいたので、そういう視点があることにまず驚いた。
そしていざ、上映が始まると声優さんたちの声の演技や不思議な雰囲気の音楽にグイグイ引きこまれていた。
本では分からなかった雰囲気を感じ取れたし、素直に楽しいとも思えた。
見終わった後、文章だけでは感じとることのできなかった雰囲気を味わえてとても満足することができた。文章への理解がより一層深まったとも思った。
そしていざ、もう一度教科書を読み直してみることにした。
「今度こそ!この感動を文章で楽しめるのでは!ノベライズのように!」とテンションを上げてページを開いた。
が、現実はそう簡単にはうまくいかなかった。
また、脳内映像は淡々とした文章に置き換わってしまった。
この時、何故だか無性に悔しくなってしまった。
映像や音楽という補助がないと、作品を楽しめない自分に勝手に腹を立てた。
うまく小説の文章という名の波に乗れない自分に、悔しさを覚えた中学生時代のほろ苦い出来事だった。
そうして、私はまた「読書」や「小説」と距離をとることになった。
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