第一話 箱入り少女は突撃する

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第一話 箱入り少女は突撃する

「はあ、ぎりぎり間に合った。『ベーチおにぎり』、残ってる?」  汗を拭きながら四席しかないカウンターに姿を見せたのは、売り場統括マネージャーの本館(もとだて)だった。 「残念、売り切れです……と言いたいところだけど、私が自分用に確保しといたのがあるから、特別に提供します」  私がランチの売れ筋ナンバーワン、『ベーコンチーズおにぎり定食』を出すと、本館は「いいの?悪いねえ」と元々下がっている眉をさらに下げて言った。  本館の気持ちはとてもよくわかる。ベーコンは同じフロアにある『レイモンドベーコン』から、チーズは酪農業者と提携している『チーズキングダム』からの提供だ。  そして何と言っても決めては米だ。わが千崎(ちざき)精米店』で販売する米で作ったおにぎりはこの辺りのどの食堂のものよりおいしいのだから。 「うん、これだよこのコク。米の甘さが引き立つなあ」  本館は眼鏡の奥の目を、消えて無くなってしまうのではないかというくらいに細めた。 「どうですか本館さん、上の階の売れ行きは」  私はサービスのお茶を注ぎながら本館に尋ねた。本館は創業五十年を誇るこの『丸市屋(まるいちや)百貨店』創業者一族の一人で、幹部候補として入社したお坊ちゃん社員だ。 「残念ながらぱっとしないね。でもまあ今は売れない時期だし……それより今は別の問題で頭が痛いんだよなあ」 「別の問題?」  私が問い返すと、本館はごはんを呑みこみながら「うん」と返した。 「四階の『スプーンフル』っていう喫茶コーナー、知ってるよね?つい最近、創業当時のレイアウトに復刻改装した」  私は即座に頷いた。『スプーンフル』は私がここで働き始める前から好きだったお店だ。友達には「デパートの中の喫茶店?渋いね」と呆れられつつ、何かいいことがあった日にはお気に入りの席で特製アイスティーを飲むのが私のひそかな楽しみだった。 「あそこがどうかしたんですか?」 「うん、改装記念に当時を知ってる数少ない人ってことでうちの祖母を招待したんだけど、完璧に再現したから喜んでくれるかと思いきや、席につくなり「何か違うわね。この壁の絵も確か違う絵だったわ」って言いだしてさ。店長にあとで尋ねたら「一応、一番古い資料写真に基づいてリフォームしたんですが」って困られちゃってさ。このままじゃ売りの『創業当時を完全再現』ってフレーズが使えなくなるから何とかしろって親父からせっつかれる始末さ」 「ふうん……どこが違うのかもわからないんですか」  私が畳みかけると、本館は「そういうこと」と言ってお手上げだと言わんばかりに両肩をすくめてみせた。 「五十年も経ってれば、記憶だってあやふやになるってこともあるんじゃないですか?」 「そっちの方が厄介だよ。なにしろ年寄りの思い込みは簡単には修正できないからね」  本館は困り果てたように首をすくめると「ところで」と唐突に話の矛先を変え始めた。 「ところで一条さんって、学生さんだっけ?」 「いえ、違います。午後は別の仕事に行ってて……」 「あ、ごめん、聞いちゃいけなかったかな」   本館はばつが悪そうに頭の後ろを掻くと、湯呑みに手を伸ばした。この幹部候補さんは人当たりの良さは申し分ないが、ずけずけ物を尋ねる悪癖があるのだ。 「別に隠してるわけじゃないですけど」  私は苦笑すると、壁の時計を見た。そろそろ一時半だ。三十分後には里乃が迎えに来るだろう。それまでに通用出口に行かなくては。私は店長に「すみません、そろそろ上がります」と言うと、奥に下がってエプロンを外した。  私服に着替えた私は従業員専用出口から裏通りに出ると、搬出入口の脇で迎えの車が現れるのを待った。自動販売機の陰に身を潜め、無心で携帯をいじっていると突然、男性の苛立ったような声が耳に飛びこんできた。 「もう『スプーンフル』は辞めちゃったの?いくら探してもいないから、危うく諦めて帰るとこだったよ」 「もうお店は辞めました。ですから私には構わないでください」 「そうつれない事言わないでさ。次はどこで働くの?」 「しばらくバイトはしません。学校に戻ります」 「あ、そう。じゃあさ、学校名を教えてよ」  私は携帯をポケットにしまうと、自動販売機の陰からそっと顔を出した。搬出入口の近くで揉めているのは二十代後半くらいの男性と、学生と思しき女の子だった。 「すみません、私、急いでるんでもう行きます」  男性は顔を背けて逃れようとする女の子の手を掴むと、「もうちょっと」と声を荒げた。  もう見てみぬふりはできないと私が大声を出そうとした、その時だった。急に搬出入口の奥から大きな箱を乗せた台車が走ってきたかと思うと、男性に横から激突した。 「痛っ!」  男性が女の子から離れるた瞬間、台車が停まって大きな箱から小さな影がぴょこんと姿を現した。 「あれは……?」  箱の中に隠れていたのは七、八歳くらいの女の子だった。女の子は素早い動きで箱から飛びだすと、呻いている男性を尻目に風のような速さで路地に姿を消した。 「こっちよ、早く!」  男性が台車と去ってゆく女の子を見ている隙に、私は絡まれていた女の子の手を掴んだ。 「……あなたは?」  私は狐につままれたような顔の女の子を強引に引っ張ると、近くの手芸店の軒先に身を隠した。 「前から付きまとってたの?あの人」  「はい、わたしがデパートの喫茶コーナーでバイトをしていた時に、お店によく来ていたんです」  女の子は私の問いかけに頷くと、『丸市屋デパート』の方をこわごわと振り返った。 「喫茶コーナー?四階の?」 「ご存じなんですか?」 「もちろんよ。『スプーンフル』は私のお気に入りのお店だもの。それに私も、地下のお米屋さんでアルバイトをしてるの」  私がそう言って微笑みかけると、女の子は「そうだったんですか」と目を丸くした。  私が『スプーンフル』にこんな可愛らしい店員さんがいたかしら、と首を傾げていると、女の子は「あの、ありがとうございました。私はこれで」と身を翻し、そそくさと立ち去った。  やれやれ、慌ただしいなと息を吐き出した私の前にすっと一台の軽自動車が滑り込み、ぷっという短いクラクションの音と共に運転席の窓が開いた。 「お待たせ百花。……さ、早く乗って。今日中に一本、仕上げちゃわなきゃいけないの」  窓から顔を覗かせたのは、私の次のアルバイト先の雇い主――幼馴染の中元里乃(なかもとりの)だった。              〈第二話に続く〉
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