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『表』
自宅の部屋の窓から外を眺めると、道路際の桜はもうすっかり若葉に移り変わっていた。あれだけ美しかった桃色に染まる木々も、散ってしまえばただの木だ。
そう、散れば誰も目を向けなくなるのだ。それでいいのだと、ぼくは自分を納得させるように独り言ちる。
ふと、何かをたたく音が生ぬるい風に運ばれていた。規則的にとん、とん、と叩く音が一階から聞こえてきた。気になって階段を下りてゆくと、音は玄関の扉から発せられていた。誰かがノックしているらしい。ぼくの頭上にはハテナマークが浮かんだ。
母は「あんた、来年こそは受験勉強がんばりゃあよ」と嫌味な一言とともに留守番を頼んだけれど、お客さんのことも配達物のことも話してはいなかった。それにうちのインターホンは壊れてなんかいない。
すぐさまスマホを確認したが、誰からの着信もない。同級生は皆、高校卒業とともに散り散りになり新しい生活を築いている。浪人生として取り残されたぼくに連絡する者は皆無だった。
もちろん、『彼女』からの連絡もない。『彼女』には最近、何度か連絡を入れたが音信不通となっている。『彼女』の方からも折り返しの連絡もいっさいなかった。
玄関ののぞき窓から外を見てみたが人の姿はなかった。誰かのいたずらだろうと思い確認しようと扉を開ける。
すると扉の隙間に突然、ぬっと知る顔が現れた。ぼくは飛び上がるほど驚いた。
「へへぇ~、来てまった」
その顔は、高校時代から付き合っている『彼女』の美波だった。満面の笑みを浮かべた美波は扉の隙間からすばやく身を滑り込ませ断りもなく家に上がり込んだ。そのままの勢いで一気に階段を上がり、二階にあるぼくの部屋に飛び込んだ。
一瞬の出来事だった。心臓は激しく高鳴っていた。美波から告白の返事を聞いた、あのとき以上の拍動を自覚する。
おそるおそる階段を上って自分の部屋を覗き込む。美波は乱れたままのベッドの上で仰向けになって、堂々と大の字を描いている。
ぼくに気づくと顔だけこちらに向けて、にんまりと口元を上向きにしならせて見せた。
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