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ぼくは逃げ出そうと思ったが、無駄だろうと思い観念した。入り口の扉を開けたまま部屋に足を踏み入れる。それから横たわる美波のそばに仰々しく正座をした。
美波は高校二年生の秋から付き合いだしたぼくの「恋のお相手」だ。彼女はわけあって高校三年生の途中で上京することになり、以来、遠距離恋愛となった。ぼくは東京の大学を受験したが、失敗して浪人生が確定した。最近、予備校に通い始めたところだった。
美波の姿を頭から足の先まで確かめて、探るように尋ねる。
「いったい、何しにここに来たの?」
「なんだか懐かしなってさ、思わず東京から飛んできてまった。つきあいはじめのころ、まわりの目をきゃーくぐって信也くんの家に来たのを思い出して。あのころはすべてがドキドキだったよねー」
美波は信じられないくらいにあっけらかんと答えた。
「ぼくは現在進行形でどきどきしとるがね。でも、自分の家には戻っとらんの?」
「んー、戻ったけど居場所がにゃーでなぁ。だもんで今夜――ここに泊まってってもええがね?」
「おい、ここは実家だ。親だっているんだぞ」
さすがにご遠慮願いたいと思い反射的に拒絶する。ぼくは彼女との関係については、在学中からずっと秘密にしてきたのだ。同級生にも、家族にも。もしも夜中に美波の姿を見たら、家族は腰を抜かしてしまうだろう。
「えー、せっかく遠路はるばる東京から飛んできたのに、その塩対応なんなの? 言っとくけどあたし、今は塩味どえりゃー嫌いなんだでねっ!」
「ああ、確かにその――まあ、そのはずだがや」
ぼくはいやおうなしに納得させられた。どうやら美波は今の自分の状況をわきまえているらしい。しかも彼女を追い払う上手いやり方をぼくは知るはずもない。
「……じゃあせめて、声をひそめといてくれよ」
「大丈夫だって、信也くん以外に聞こえるような声は出さんで」
美波はベッドに顔をうずめてスンスンと鼻から空気を吸い込む。
「ぷはー、信也くんの汗の匂い最高! さてはお風呂入らんで寝とったでしょう。ちなみに昼ご飯はカップ焼きそばだがね。部屋にはほのかにソースの残り香が――」
「美波、おみゃー犬かわ! 匂いから行動パターンを詮索するのはやめてくれ」
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