『表』

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「はー、やっぱり地元は空気がええわー。そういや、一緒によう食べに行ったロココの……そうそう、ラズベリーフロランタン、うまかったなぁ。買ってきてくれん? あとで一度は実家に戻るで、買ったら持ってきてくれると嬉しいな」 「残念だったな、その店はつい先日潰れたわ。未練ならそこのゴミ箱にほかったみゃー」 ぼくは迷わず部屋の隅を指さした。 「ええっ、そのおくちはなんてひどいことを言うんだ! ……はぁ、でもやっぱり熱烈な支持層がおらんくなると、お店は存続できんのかぁ」 「自分をそこまで神格化せんこと。たかが学生の客に諸行無常を止める力はにゃーってもんだ」 「そっかぁ、そうだがね。……ところでさ、来年は東京の大学、再チャレンジするの?」 「いや……考えとらん」 ぼくは正直に自分の意思を即答した。もう、東京へ行くための理由なんかなくなっていたからだ。 「へぇー、東京に住んでみると、華やかでええんだけれど……、あたしはやっぱり信也くんと一緒におりたかったわ……」 美波はもじもじとしながらもついに、本題へと切り込んでいった。ぼくの目の前のフローリングに膝をついて四つん這いになり顔を覗き込んでくる。 「ねえ、あたしのこと、今でも恋人だ思っとる? あたし、もうすぐここに戻ってこれんくなってまうのよ」 美波は子供のあどけなさと大人の色香を宿した伏し目を作ってみせる。ぼくはいまだに正座のまま、両膝の上のこぶしをぎりりと握りしめる。 それから美波はそろりと近づいてきて、透き通るような白い腕をぼくの首元に回した。まるで麻酔にでもかけられたかのように、全身が痺れて動かなくなる。美波は紅を残す唇をぼくの耳元に近づけて、そっとささやいた。 「だって、あなたはあたしを永遠に自分のものにしたかったんでしょう?」 そして目を細め、幻想的な笑顔を浮かべてみせた。どうやらぼくに対する美波の愛は、けっして薄らぐことはないらしい。 「だもんであたし、きみを迎えにきたのよ。一緒に行こみゃーか」 ぼくを見つめたまま、細い腕をゆっくりと背中に回してゆく。 もう、美波には逆らえるはずもなかった。覚悟を決めたぼくは、そっと瞳を閉じることにした。 【『表』:了】
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