一 致

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「とりあえず合コンなら楽しんどけ。 楽しいぞ、合コンは。 親父達には言わないから。なっ」 酔っ払いのおじさんみたいに、兄は私の肩をバシバシと叩いた。 厳格な家というのは、どれぐらいの厳しさなんだろう。 厳格かはわからないけれど、私の家は少なくとも友達の家よりかは厳しかった。 門限は何があろうと十八時。 テレビでキスシーンが流れればチャンネルを変える。 友達が誕生日にプレゼントしてくれた色付きリップは容赦なく捨てられた。 彼氏がいるなんて知ったら、きっと面倒なことになる。 東京の大学に進学が決まって上京するときも、何度も言い合いになった。 受かったら一人暮らしを許す、と言っていたのに。 兄が来る前に、先輩の痕跡はすべて隠蔽した。 買い置きの煙草も、灰皿代わりにしている小皿も、ゴミ箱の吸い殻も、置きっぱなしのTシャツや下着も、何もかも。 部屋に染みついた先輩のムスクの香りと煙草の香りは、消臭スプレーで消した。 先輩の匂いは、なかなか消えなかった。 私のアパートには、先輩の私物が日に日に増えていっている。 このまま自分のアパートに帰らないでも、暮らしていけそうなくらいある。 躰で繋がっている関係にしては多い。 いや、躰で繋がっているからこそかもしれない。 家にしょっちゅう泊まっていたら、ものは増える。 逆に、外でのデートしかしていなかったら思い出の品は増えても、家の中に置かれていく私物は増えないだろう。 思い出の品なんて、私は要らない。 先輩と私には思い出の品も、一緒に撮った写真もない。
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