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「また別れたの?」
「千尋が怒る事じゃないじゃん」
短くも長くもない話をするには丁度良い、駅前から離れた喫茶店。個人で経営しているこういう規模のお店は貴重だ。
チェーン店だと常に混み合っているし、近くの人の話が筒抜けでどうしても会話に集中出来ない。常連と呼べる二人組にも、大して媚びない接客も嫌いじゃない。
「だって、あの人私の事全然分かってない。何したと思う?」
「…恋人と別れたんだろ」
運ばれてきた二人分のアイスコーヒーのグラスには、たくさんの水滴が付いている。その一つがつぅと重力に従って、店名が印刷されたコースターに静かに染み込んだ。
「これで一緒になれるよって言われた瞬間、一気に冷めたんだよ。こう、膨らんでた袋に穴が空いて萎んでいく感じ。そのまま別れようって言ったのはさすがにタイミング悪かったと思うけど」
「…それで手をあげるような奴なら良いんじゃない、結果としては」
昨晩保冷剤で冷やした効果かほとんど引いているけれど、私の左頬はほんの少しの赤みを帯びている。触れると鈍い痛みが広がるけれど、手切金としては安いくらいだ。肉体的な痛みより、私を一番にしてしまった男とさよなら出来た心の安穏の方が遥かに価値がある。
「これで何人目だよ。僕は今更お前に倫理観を説こうなんて思ってないけど…最後に一人になった時、寂しい思いするのはお前自身だよ」
淡々と話す千尋の目はしかし、いつだって私を責めない。呆れと、憐れみと、あともう一つ。
その感情に気付かない振りをしているのに、千尋は気付いているだろうか。
「…私ってさ、昔から誕生日が嫌いなんだよ」
「?なんの話だ」
「ほら、大体聞かれるじゃん。何が欲しいって?何が好きって?…あれ、嫌いなんだ」
「質問に答えてないけど、どっちもないからって意味か」
「そうそう。厳密に言うと、分からないんだよ。…誰かが好きって言ったものなら信用出来るかもって思ったの、いつからだったのかな。だからその保証をしてくれる人がいなくなったらおしまい。それの繰り返し。で、今に至ると」
「そんなんなら付き合わなきゃ良いと思うけど、案外寂しがりだしな。周防は」
「さすが千尋だね、よく分かって」
言葉の途中で、今のはいけなかったと視線を逸らした。利発そうな切長の瞳が私を静かに追う。
唯一の理解者、友人。
なのになんで?
なんで?
真っ直ぐ向けられる瞳の輝きが不安そうに揺れたなら。
もしそう問われたら、私はうまく誤魔化せるのだろうか。
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