9.自称天使の憤り

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9.自称天使の憤り

 自称天使と出会ったのは、奴隷船襲撃時のことだ。  最初は奴隷商人にさらわれた気の毒な子供達の一人だと思っていた。  だが本人にそんな自覚はなく、話を聞けば確かに奴隷として扱われていたわけではないらしい。  奴隷は売り物だ。  普通、売り物に溶かした鉛を無理やり飲ませるなんてことはしない――。  小ぢんまりとした身体に将来剥げやすそうな細い金色の髪、 「いやあ、まさかこんな所で自分に出会うとは思わなかったよー」  感慨深そうに、碧眼の自称天使は目を細めている。 「運命なのかなあーうん、そうだなきっと。しかし良く描けてるよねー、僕そっくりじゃないか。どうしてすぐに気がつかなかったんだろう?」  女の裸体で挙句に赤毛、共通点はゼロである。  蹉跌の塔一階広間の天井画は、足を踏み入れればすぐ気がつく代物だ。なにせ天井が高く、開放感がある。自然、上を見上げてしまう造りになっていた。  国樹とて気にはなっていたのだが、自分はあくまで仕事に来た身だ。観光客のようにじっくりと鑑賞するわけにも行かず、時間もなかった。それでも一応目にしてはいる、それはもう何度も何度も。だが「なんでゼスの絵がここにあるんだ?」などとは思わない。当たり前過ぎて理由を並べる必要もない。  けれど、ゼスの性格から「ゼス基準でそれっぽいものを見つけた場合」なんだかんだと理由をつけ「天使だ!」とのたまうことが想像出来なかったわけでもない。機械仕掛けの人形を挟んできたことには驚いたが、真ん中の女がそれだとは恐れ入る。  アホらし……国樹は心底どうでもいいと思いながら、今にも踊りだしそうなゼスをスルーした。  とにかく今回は収穫なしで撤収、これが現実でそれ以上はない。問題はグーシーだ、あれどうする? 国樹は口をひん曲げ、目の端でガリガリと探索を続ける自称セキュリティボックスを捉える。そうして少々考え込んでいると、 「むむっ……! た、タガロ……これはもしかして……!?」  ゼスが、深刻そうな声色で声を発した。頭の上には微かに電球のようなものが浮かんでいる。大体なにを言うのか想像がついたので、 「心配すんな、それはない」  先回りして否定する。自称天使は意表を突かれたのか一瞬止まったが、すぐに噛み付いてきた。 「まだなにも言ってないだろ!」 「ありえない。心配も期待もすんな、ここはバベルの塔じゃない、蹉跌の塔だ」  畳み掛けるよう、両手を広げこれを見ろこれをと現実を突きつける。 「この塔は五階建て。お前はとにかく"高い所"に行きたいんだろ。いいか"ゴ・カ・イ・ダ・テ"はお前を"お・も・て・な・し"してはくれない」 「ぐ、ぐぬぬ……」  どんぴしゃで当たりらしい。そうなれば歯軋りしようが無駄、泣こうが喚こうが無駄だった。  このチビは出会った時からずっと同じ主張を繰り返している。  それはとてもとてもつまらないこと――高い所に行きたい、連れて行って欲しい――というものだった。  なぜならば――国樹は天井画を指差して問う。 「なあ、あれのどこが天使なんだ?」 「はぁ!? 見て分からない!?」  国樹はゼスを指差して問う。 「なあ、お前のどこが天使なんだ?」 「はぁ!? 見て分からない!?」  天使だからだそうだ、自称だが。  自分は天使だから、天界に帰らなければならない!  だから出来るだけ高い場所に行こうぜ!  けどそんなとこ知らないから連れてって!  あー……くだらない、実にくだらない!  顎を掻きながら、国樹は冷め切った目でゼスを見下す。むっとした顔が国樹に向けられているが、構わず口を開いた。 「あれもお前も天使かなんだか知らないが、とにかくここは五階建て、低くはないが高くもない。結論は変わらない」 「そ、そんなの、もっと探して見ないと分からないだろう!」 「時間がない、やりたきゃ一人でやれ。ここは紛争地帯なんだぞ。調査も終わっていつドンパチ始まるか分からんのに、ダラダラしてられるか。俺はお前と違って"人間"なんだよ」  ゼスが人ではないなにか、ということは認めるが現状それはどうでもいい。ややこしいことはごめんだ。とにかく今は出来るだけ早くここを離れる、そしてグーシーをどうするかが問題なのだ。さすがにこのままバッくれるわけにも行かないだろう、無理臭いし。  それに、別に情が湧いた云々ということでもないが、手伝ってくれたことは確かだ。付け加えると、まだ自分は生きている、怪我すらしていない。グーシーはもしかすると無害な存在、となると話が少し変わってくる。 「グーシーもういいぞーそれよりちょっと来てくれ話がある」  国樹は気持ち張った程度の声でグーシーに呼びかけた。やはり恐怖感が残っているのか、多少躊躇いがちではあったが。しかし、そんな心の機微など気にも留めず、ゼスは突っかかってくる。 「僕の話聞けよ! もしかしたらこのどこかに天界に通じるヒントがあるかもしれないだろ! そうだ、きっと大きな秘密があるんだ!」 「知らねーよ、どうでもいい。それより立ち位置換われ、こっちこい」 「何それ! 立ち位置と塔の謎とどっちが大事なんだよ!」 「お前の都合より国民の生活より"俺の身の安全が第一"に決まってんだろ。俺は人間で一個人だぞ。なんだ天界って、ぐーたら言ってないで早く間に入れ。グーシー! 聞こえてないのか?」  今度こそ声を張り上げグーシーを呼ぶと、ようやく気付いたようで、箱はガリガリと音を立てて広間中央へと移動を始めた。 「ヒトの話もロクに聞けないとか……サノバビッチ!」 「それどこで覚えた? そもそも人じゃねーだろお前は」 「そのヒトじゃない! ガッッッッッッッデム! ガガガッッッッッッデム!」  放っておくとガッデムガッデム連呼しそうなので、国樹はゼスを持ち上げ真ん中へと移動させる。「んが!」と言ってジタバタと暴れるが、関係ない。命より尊いものはない、人命は地球より重いのだ。 「グーシーお疲れ。悪いな、変な仕事手伝わせて」  国樹はようやく二人の傍に来た、グーシーに労いの言葉をかけた。この際ゼスが丁度間に入るよう、国樹はさり気なく移動している。 『グゴ、ガガガ』  グーシーもゼスの向こうから返事をしたが、当然国樹には分からない。微妙に、間が出来る。国樹は眉間に皺を寄せ、ゼスの肩を小突いた。しかし、返ってきたのは「やんのかオラ」と言わんばかりの鋭い視線。軽く溜め息をつき、仕方なく呆れ混じりで促してみる。 「訳せよ」 「……嫌だね」 「拗ねんな、大切な話なんだ」 「直接話せばいいじゃないか!」 「出来たらそうしてる。出来ないから頼んでる。なあグーシー、お前もそう思うよな?」 「汚いぞ! グーシー、こんな奴の言うことを聞いちゃいけない!」 『ガグゴ、ギリリ』 「ぐ、グーシー、君って奴は……くっ……」  そう零すと、ゼスは敗戦投手のように肩を落としてしまった。なに言ってるのかは分からないが、まあ訳してくれと言われたのだろう。当たり前だ。だからゼスは渋々、 「特になにもしてないってさ! これで満足か!」  そう言うとぷいっとあらぬ方向を向き、完全に拗ねてしまった。  まあしかし、そんなことはどうでもいい。  グーシーが切れるより、よっぽどマシだ。  国樹は無理やり微笑を浮かべ、不思議な箱と向かい合っていた。  ゼスという通訳兼壁役を挟んで。
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