10.自称天使の憤り2

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10.自称天使の憤り2

 蹉跌の塔がそびえる南亜細亜の大国、ここから国境を越えさらに西へと進む。  国樹の目的地は欧州西端の地「ロカ岬」だ。  一旅行者としては風光明媚で知られる、アルガルヴェの海岸にも足を運びたいところだが、それは余裕があればの話になる。  そこから港町リスボンに向かい、目指すは阿弗利加最南端の喜望峰。リスボン以降は海上ルートでの移動が主となるだろう。  ユーラシア、欧州、アフリカを経て帰路に着く。  これが国樹の旅の行程である。  問題は長い旅路に二人を同行させるのか? という点だった。ゼスとは目的も目的地も違う。グーシーに至ってはさっぱり分からない。  問題はまだある。そもそも欧州及びアフリカ大陸は無事なのかという点だ。かつて暗黒大陸と呼ばれたアフリカの噂は、何度か耳にしている。だが、欧州についての情報は皆無に近い――。  広間に三人、いや一人と二体だろうか。  国樹は塔の入り口へと顔を向けていた。開けっ放しの扉から、日が傾きつつあることが見て取れる。残り時間は多くないようだ。  自称天使の通訳は完全に拗ねてしまったので、壁以外に使い道がない。壁役が場を離れようとするので肩を掴み動きを封じ、国樹は摩訶不思議な箱に問いかけた。 「ここでの仕事はもう終わりなんだ。改めて、お疲れ様。そこで一つ聞いておきたいことがあるんだが、グーシーは所有者を求めているとゼスから聞いた。  これは事実か? イエスなら返事は一度、シンプルに。蓋を開け閉じしてくれてもいい。ノーなら何もしなくていい」 『ゴゴッ』  グーシーからの返事はすぐにきた。反応は一度、ゼスは嘘はついていなかったようだ。自称天使は離せと暴れるが、無視して続ける。 「すると以前は所有者がいたということになるわけだよな」 『グゴッ』 「少し聞き辛いんだが、その所有者は今どこにいる?」  国樹はゼスを見つめながら、そう尋ねていた。  はっきり言うのは憚られたので言葉を選んだが、要するに「生きているのか」と尋ねたのだ。  もし所有者が健在ならば、そしてグーシーが帰りたいというのなら連れて行っても構わない。  無論場所にもよるが……それぐらいのことは出来る。  なにより好奇心があった。  この箱の謎加減は、自称天使に匹敵する。  リスクのない寄り道に躊躇う理由も特にない。  そんな問いかけにグーシーは、 『グゴガ、ギギ』  そうして蓋をバタンバタンと激しい反応を見せた。答えはシンプルに、そう言ったのにこれでは分からない。今一度通訳を担うゼスを見ると、国樹の靴を全力で踏んでいた……ささやかな抵抗、抗議のつもりらしい。 「ゼスは俺がグーシーの所有者だと言っていたが、それは事実か?」  とりあえずまた無視してそう訊くと、 『グゴ……ガガガ』  そう言ってグーシーは蓋を閉じた。これもやはり分からない。シンプルに答えてくれればいいのだが、質問がシンプルではなかったか。国樹は眉を寄せしばし考え込んだ。口元に指を当て思案した後、彼は慎重に口を開いた。 「最後の質問。俺はここから昔葡萄牙(ポルトガル)と呼ばれていた国のリスボンを目指す、欧州行きが一つ目の目的でね。  そこからは南下して阿弗利加大陸最南端の喜望峰を目指す、当然船旅になる。ゼスは高い所に行きたいそうだ。グーシー、お前はどうするつもりなんだ?」  そうして国樹はゼスを解放し、両手を背後へと持っていく。  少しの時間を要した後、自然と場は静寂へと移行していった。  人と天使と機械仕掛けの人形――天井画のある広間はただ静かに時を刻んでいる。埃もなく、空気の流れも止まっているように感じられた。まるで全てが止まったかのような不思議な時間、それに待ったをかけたのはやはりゼスだった。 「ちょっと待てよタガロ、高い所に連れて行くって約束したじゃん……」  今までだんまりを決め込んでいた自称天使が、井戸の底から這い出るような声を発した。 「約束はしてない。出来ればそうしてやると言っただけだ」 「じゃあしてよ!」 「具体的にどこと言ってもらえないと、なかなかそうもしてやれないだろ?」  国樹が両手を広げお手上げだよ、そう仕草で示すとゼスは即座に返答した。 「ここ」 「それはない」  案の定なやり取りが起き、挙句自称天使が本格的に暴れだした。仕方なく羽交い絞めにし、 「実はそう難しい話じゃないんだ。ゼスはここに残る。俺は出て行く。グーシー、お前はどうする、どうしたいんだと、そういうことなんだ」  国樹は柔らかい声を発していた。添えられた作り笑顔はやや怪しい出来だが、あくまで穏やかに話したいというのは本心だ。 「ちょっと待てよ! っていうか離せ!」 「嫌だね。グーシーの通訳をきちんとこなすのなら、離してもいい。ただし位置を変えるなよ。なあ、グーシーも通訳して欲しいだろう?」 「またかよ! 堂々巡りじゃないか!」 「それどこで覚えた?」  いきり立つゼスをぱっと離し、頭だけ押さえてその場に留まらせる。そうして国樹はグーシーを見た。ゼスは憎々しげに国樹を睨みつけているが、当のグーシーはそのゼスに用があるようだった。  箱の蓋が開き、赤々とした舌がぬるりと顔を出すと、ゼスの肩をトントンと叩く。 「なに!?」と最初は八つ当たりの如く反応したゼスも、グーシーの落ち着いた様子を見ると、火が消えたように大人しくなった。  二人というか二体での話し合い、ちょっとした会議のようなものが始まった――。  良く分からない二つの存在が話し合っているので、国樹は国樹でメモを取り出し旅行資金の計算を始めた。もしゼスとここで別れることになれば身分証を偽造せずにすむ。これだと随分費用が浮くので、相当計算が違ってくる。身分証の偽造には金がかかる、特に今回は相当な負担となる予定だった。  なにせ国樹は奴隷船襲撃というここらのアングラ、アウトロー共をあらかた敵に回すようなまねをしている。こちらの身元が向こうに知られているか定かではない。だが、警戒するに越したこともない。そうなると全く別のルートが必要になり、当然無駄な金も飛んでいく。  その予定が根本から変わるのだ。  国樹はメモを見て、一人なら国境を越えられるなと何度か頷いていた。  そうして計算していても「だから」とか「あいつ信用するとかないわ」とか「天使に二言はない!」とか「あれ見た目以上に頭悪いよ」などという言葉が聞こえてくる。  陰口ばかりはどうしようもない。好きに言ってくれて構わないが、せめて聞こえないように言ってもらえないだろうか。国樹がうんざりし溜め息をつくと、とどめを刺すような怒声が広間に鳴り響いた。 「グーシー、あいつは奴隷狩り狩りをするような悪人なんだぞ! 元々頭がおかしい危険人物なんだ! あんなのは、生まれてきちゃいけなかったんだよ! なのになんで君は――!!」  奴隷狩り狩りをしたのは事実だが、それがなければゼスは今ここにいない。怒りで前提が吹っ飛んでいる。さすがに国樹も呆れて果て、口を挟まざるを得なくなった。
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