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13.暗転
周囲は暗く、なにも見えない。
地震の衝撃から一瞬の出来事、突然床が降下し逃げ出す余裕もなかった。
あまりにも速い降下は墜落、崩落を連想させ目の前に死の文字がちらついた。
やられた……国樹は奥歯を噛み締め自分の甘さを悔いていた。
ゼスにしか見つけられなかった赤い石、それが塔を覚醒させる鍵であることぐらい、想像出来てよかったはずだ。想定出来なかったとしても、怪しげな天井画の下に晒す必要はなかった。
いつでも出られたはずなのに……どれだけ地下深く潜ったのだ? 最後は静かに降下し、なんとか生き延びてはいるが状況は最悪に近い。迂闊過ぎる! 国樹が自己嫌悪に陥る中、
『ゴル……グゥ……』
不安げな音色を発しグーシーがなにかを言っていた。お互い無事でよかったがグーシーは故障などしていないだろうか。せっかく目覚めたのにこんなことに巻き込んでしまうとは情けない。
唐突な降下が始まった折、バランスを失いかけた国樹の身体を支えたのはグーシーの長い舌だった。咄嗟に「俺はいいゼスを!」と言いかけたが「いや、それは違う」と、そのままグーシーにしがみついたお陰で、国樹は今無傷でいられるのだ。
傍にいるはずのグーシーへ手を伸ばすと、ぬるっとした感触が返ってきた。
「すまない、助かったよ。そっちは問題ないか?」
『ゴルル……ガオ』
よく分からない。分かっているのはここが地下であるということ、あのルビーもどきが塔の目覚めを誘発したこと。そして、
「ふは……ふははは……ふはははは!!」
自称天使の、呵呵とした笑い声が響いていることぐらいだ。
「当然、必然、大自然!! やはり天使の目に狂いはなかった!!」
小憎たらしい姿こそ見えないが、大喜びといったところか。
「タガロ! 僕の言ったとお……ううん違う……国樹クン? ね、僕の勘は当たってたでしょ? ねえ、ねえねえねえねえ!? 僕を信じなかった国樹クンは今どんな気持ち? ねえねえ!」
小躍りするほどの大歓喜。挑発混じりでトントンと、鬱陶しいステップを奏でているのも確定だ。殺意の湧く話だが、そうも言ってはいられない。塔の謎、塔の覚醒を満たす条件は赤い石の存在だ。しかし、石を見つけられたのは長い調査の中でゼスだけだった。
つまり、ゼス自身の存在が第一で、石は二つ目の条件になる。
そうなると、
「タガロ……三分あげるよ、僕に協力するか否か……はい決定!」
なに勝手に決めてんだ……と言ってやりたいところだが、この忌々しい自称天使と塔に、関連性があるのは間違いない。石の価値こそ違えていたが、なにかあるという勘は当たっていた。
方向性はともかく、恐らくゼスがいないと始まらない。逆に言えばいなければなにも起きなかった……情けない、自分は一体なにに巻き込まれているのだ。
「タガロ、返事はー?」
「しつこいヤローだな、三分もいらん。今はいがみ合ってる場合じゃないだろ」
「なにそれ……もっと素直に……ああそうか、潔く負けを認められないのかー若いなータガロってば。ほんと若いねー羨ましいねぃ!」
絞め殺してやろうかなと、国樹は本気で考えていた。
しかし、今や国樹とこの自称天使は運命共同体だ。
自分はいつ呪われたのだろう。
神はともかく、悪魔を信じそうな心境である。
――自称天使の歓喜の踊りが終わるのを待ち、三人はようやく本題へと移る。意外にも、切り出したのはゼスだった。
「あのさタガロ、ほんとに手伝ってくれるの?」
そんな問いかけに、国樹は一つ考えてから答えた。
「当然。もう一蓮托生じゃないか。好きにしろよ。ただな……」
「暗くて何も見えない、でしょ?」
たぶん、ビシッと指をさされているのだろう。見えていれば指をさすなと体罰付きで教え込んでやるところだが、今は我慢だ。
相変わらず周囲は深い闇に包まれ、灯りの一つもありはしない。赤い石も、役目を終えたとばかりに光を失っている。ここまで酷いと目が慣れるどうこうの問題ではない。一体どこまで落とされたのだ?
「僕は平気だけど、灯り持ってないの?」
ゼスは夜目が利く。経験上それは知っていたので、国樹はグーシーへと問いかける。
「グーシーはどうだ?」
「見えるよ」
なぜかゼスが応じたことに、国樹は顔をしかめた。
「とりあえず訊けよ、勝手に決め付けるな」
「タガロ……ほんとなにも見えてないんだね……グーシーはさっきからずっと周り見渡してるよ。僕とも目が合ったし、タガロのこともちゃんと見てた。見えてないのは、タ・ガ・ロ・だ・け」
完全に調子こいてるが、これは有り難い事実だ。
「むしろタガロはなんで見えないの? そんな少数派になりたいの? 中二病?」
……どうせ無理だし殺しはしないが、無事出られたら半殺しにしよう。彼は密かに誓いを立てる。とはいえまだその段階ではない、出られるのかすら怪しいのだ。不安と苛立ちを押し殺し、国樹は静かに告げる。
「ゼス……口の利き方に気をつけろよ。俺はもちろん、グーシーだってこっから出られりゃそれでいいんだ。そもそも出ようとしてたんだからな。それをお前が引き延ばすからこうなった……。
挙句、ごちゃごちゃと繰り返すんなら、なにもしない、一切協力しなくたっていいんだ。なにがどうなってんのか分からんこの地下で、この先お前一人でやっていけるってんなら、好きなだけ続けりゃいいけどよ……」
冷めた声で釘を刺すと、計算通りしんとなった。聴こえるのは、上で散々耳にした、ガリガリとグーシーが立てる音だけだ。床はきっと傷だらけだろう。
ゼスは口を閉じ、なにも言わなくなった。やはり一人では不安らしい。こっちはこっちでゼスがいないと困るのだが、そこまでは頭が回らないか。もう話が逸れることもないだろうと考え、国樹は今一度確かめた。
「グーシーは本当に見えているのか、ちゃんと訊いてみてくれ」
「うん……グーシー、タガロが見えてるのって訊いてるよ」
『ガル』
「見えてるって」
手のひらを返すが如く、ゼスは素直になった。考えてみれば当然で、得体のほどはともかくゼスはまだ子供だ。自分には分からないことがある、無知の知を知っているとは思わないが、皮膚感覚としては持っているのだろう。
しかし、グーシーはこの暗闇でも見えているのか……なんとも多機能じゃないか。本当にただのセキュリティボックスなのか?
「もう一つ、グーシーはこうなること知っていたのか? ここを知っているのか、確かめろ」
『ゴビビ、ドガ』
「知らないってさ。どうするのか、考えようって」
その返答で彼は一つ安堵すると共に、一つ溜め息をついた。一連の流れから、グーシーにも予期せぬ出来事であることは分かっていた。しかしここがなんなのか、多少なりとも知識があればかなり助かったんだが……。つまり自分達は、まるで分からない空間に落とされた。どうすればいい?
「あのさタガロ……」
「ちょっと黙ってくれるか、今考えてるんだ」
「うん……」
少し強めに言い聞かせ、国樹は状況を整理する。
壁画の変化は確認した。あの妙な天井画、あれは装置のようなものだ。そしてそこに描かれていたのは、ゼス曰く人と天使と機械仕掛けの人形。全て納得するわけではないが、今ある三つの存在と酷似しているのは認めざるを得ない。
では天使と機械仕掛けの人形、その謎がここにある?
グーシーは知らないと言っている。
石はゼスが見つけた。
国樹は巻き込まれた。
見えもしないが、国樹は視線を真上に向ける。やはり、なにも見えない。あまりに深過ぎるから? それとも、上は閉じられてしまったのか? 仮に床が降りたままだとしても、塔の中が明るかったわけではない。もう日は暮れかけているのだ。どちらにせよ、無意味か。
「人、天使、機械仕掛けの人形……」
国樹は確かめるよう呟く。確かにそれも問題だ。しかし最も心をざらつかせるのは、ここが「蹉跌の塔」と呼ばれていることだった。なにかを見つけ、見たとして、そこに幸運が落ちているとはとても思えない。そうして彼は深い深い溜め息をつく。
「はあ……あーだこーだ考えても仕方ないなこれは……」
「あのね、あのね、僕が手引くからタガロは心配しなくてもいいんだよ?」
えらく親切な申し出だ。有り難い話だがと苦笑し、
「なに言ってんだ、ゼスが先頭で行くんだよ。別に灯りがないってわけじゃない。使いたくないけどな」
国樹は鞄をまさぐり、指先ほどの小さな石の欠片とライターを取り出した。そうして欠片に火をつける。宝石のことは分からない。だが特殊な石ならそれなりの知識はある。
暗闇に火が灯された。
それは炎の暖色ではない、真っ白な閃光、あまりに強過ぎる白光が空間に広がる。
深い闇からの急激な変化……国樹は目を瞑り、時が過ぎるのをじっと待ち続けた。
久野さん、あんたのせいで俺は酷い目に遭ってるよ。
古い知人を思い出しながら。
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