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3.謎の人食い箱
国樹がこの不思議な少年と出会ったのは、奴隷船襲撃時のことである。
それは国樹多賀朗、人生最大の大博打と言っていい――。
蹉跌の塔、三階広間の右奥には人食い箱が置かれてある。
その暴れっぷりは豪快かつ俊敏で、迂闊に近づくと命の危険すら生じる異形の存在だ。
だが一見宝箱に見えるので、数名の調査員が餌食となってしまった。
蹉跌の塔、三階広間の右奥には人食い箱らしき箱が存在する。
いかにもな外見から人間心理をくすぐられるが、開けない方が賢明だ。
しかし賢明でない者は、欲得に駆られ悲惨な目に遭うだろう。
国樹は既に、すぐにでも逃げられる態勢を取っていた。窓の縁に腰を添え、左手は外壁近くにまで伸ばされている。蹉跌の塔は円錐型になっているので、すぐそこの窓から飛び降りれば下の階に引っかかる。無傷とは言い難くも、死にはしないだろう。
一方考え込む素振りを見せていたゼスは、どうしてもそうしたいのか、箱をこじ開けんと再び異形の存在と格闘し始めていた。わざわざ「人食い箱だぞ」と説明したにも関わらず、時既に遅かった。ゼスの好奇心の強さが完全に裏目に出ている。さっきの宝石はナイスプレーだったが、これは洒落になっていない。
今という瞬間は謎にまだなにも起きていないが、人食い箱である以上中にあるのは人食いの箱の本体でしかない。そんなもんこじ開けてどうするつもりなんだ。
国樹は目の前の光景から完全に手遅れだと判断し、声をかけようともしなかった。もし声に反応して人食い箱にロックオンされたらたまらない。なにせこちらは生身の人間なんだ、調査団の連中のようにはなりたくない。
頭には、血塗れで搬送される彼らの姿が生々しく浮かぶ。首を振り、国樹は顔をしかめた。あれはきっと、痛いだけではすまない……そもそも彼らは助かったのか?
箱が開いた時点で国樹は離脱する。奇跡的に開かなければ話は変わるが、開いたらその段階でジ・エンド。まかり間違っても「人食い箱vsゼス」でゼスに勝利の凱歌は揚がらない。人として連れとして、本来国樹はゼスを守るべきなのかもしれない。だが、国樹の頭にそんな考えは微塵もなかった。ただ沈黙し、その所業を注視していた。
しかし時間が経っても、人食い箱は取りつく存在に全く反応しない。襲うどころか動く気配すら感じない。ゼスは音が立つほどの勢いで人食い箱を叩いている。なぜ開かない、開かない箱は箱じゃない、と言わんばかりに。
想像とは違う光景に、国樹は目を細くし前のめりになっていた。一体なにが起きているのだ? あれは近づいただけで人を食い千切る代物のはずだ。鍵穴に針金を差す、首を捻り不満気に向き合い、あまつさえバンバンと叩く。
即死だろ?
少なくとも国樹が耳にした話なら、ゼスは今頃ガブッといかれ悶え苦しんでいるはずだ。だがやはり、人食い箱は微動だにしない。
あまりに意外な光景を見て、国樹の頭に一瞬過ぎるものがあった。
一連の証言は「嘘」ではないのか、という疑念だ。
事実はここで団員同士の争いがあり、結果怪我人が出た……いや違う、証拠がある。今ゼスの、人食い箱のある箇所には血痕が残っている。そして箱にも血痕が付着している。
だが国樹は小さくかぶりを振った。確かに状況証拠ではあるが、弱い。なら箱の傍で争っただけか? それを隠蔽するためにあんな嘘を? ありえない、意味も分からないし子供騙しにすらなっていない。では、この状況はなんなのだ?
「なんだよこれ、開かないよ。思わせぶりだよ」
ついにゼスが箱の前に屈み込んで弱音を吐いた。それから覗き込むようにして、鍵穴をガリガリといじり始めた。
「タガロー、なんで開かないのこれー手伝ってよー」
君子ではないが君子危うきに近寄らず……生きてる世界が違うから。
国樹はゼスを無視し顎に手を当てた。
やっぱり妙だ……一体なにが妙なのか分からないが、妙だ。
事実、経緯や真相にも興味はある。でなければ振り回されたこちらの立場というものがない。もし、子供騙し以下の虚言であしらわれたのなら、いくら部外者とて怒りを覚えていい話だ。人を馬鹿にするにもほどがある、金で妥協したのはなんだったんだ。
頬が引きつり、若干頭に血が上るのを自覚したが、今重要なのは目の前の光景だ。国樹はゼスと箱に強い視線を向けた。こうしてみれば、自ずと疑問点が見えてくるというものだ。
まず、ゼスが散々いじり倒しているのに箱は微動だにしない。
これが第一だ。
つまりあれは人食い箱ではない、という可能性。
第二は、人食い箱ってなんだよ、という話だ。
そもそも国樹は、人食い箱の暴走をこの目で見たわけではない。
確かなのは、今のところゼスには危害を加えていないということ。
つまりあれは、人食い箱ではないという可能性。
答えが出ているような気がするのだが……。
やはり調査団は嘘をついていた。
しかしなぜそんな嘘を……意味が分からない。
初日にして取り分で揉めたのか?
それがみっともなくてよそ者の国樹には言えなかった?
確かに、彼らは面子に拘る傾向があるが……。
とするとあの箱は、なんだ?
しかし、もしそうならあの箱、開くんじゃないのか?
いや待て本当に開くのか? というか開いていいのか?
だが本当にただの箱だというのなら……。
やり方は無茶苦茶とはいえ、ゼスなりに頑張ってなんともならないんだ。足りないのは……鍵か? ……分からない。全ては憶測で、確かなのはゼスが箱と格闘していることだけだ。国樹は首を捻り、窓の淵に腰掛け、不思議な縁から出会った子供の頑張りを白い目で見つめ続けた。
――さすがに、いい加減にしようかと国樹は思う。
好奇心のほどは分かったが、いつまで勝手な真似を続けるのだ。
もう小一時間いじり回している。
たかが箱一つに!
大体目ぼしい物は全部持って行かれたんだ。事実がどこにあろうと、その箱に価値はない。それに、ほんとに開いたら困るじゃないか。万が一にも動いたらどうすんだ。挙句、自分はいつまでこの態勢でいなきゃならん。こっちの都合も少しは考えろ。
そんな思いから「いい加減にしろ!」という言葉が、国樹の喉元から出かけた寸でのことだった。
「あ……」
ゼスが小さく声を漏らすと同時、鍵穴に押し込んでいた針金が折れた。さすがに、これで諦めもつくだろう。
「あーあ折れちった……」
しかし、事はそう単純にいかなかった。ゼスが嘆きの言葉を吐いた瞬間、箱の蓋がゆっくり上がっていったのだ――。
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