5.自称天使と人食い箱

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5.自称天使と人食い箱

 国樹は自分を平凡な人間だと定義している。  平凡だからこそ、枠を超え大きなものを見てみたいと旅に出たのだ。  大昔ならいざ知らず、現状世界を旅するということはとても危険な行為だ――。  国樹は人食い箱の接近をあえて許容した。  こちらにはいざとなれば奥の手がある。それが国樹の決断を後押しした。  ズザザザと音を立て、傍まで近づいた人食い箱らしき物が最初に奏でた異音は「こんにちは」という、シンプルなものだった。  当然国樹がその言葉を理解出来るわけもなく、ゼスが通訳して初めて理解出来た。頭の上に星が飛び交うような気分で、その言葉を受け取る。  最悪次の言葉は「ではいただきます」かもしれないのだから、たまらない。  なぜ自分は、この得体の知れぬ異形の箱と関わっているのだろうか。そんな疑問を追求する余裕もなく、人食い箱っぽい物は異音を紡ぐ。「初めまして」と。やはりその次は「ではいただきます」なのだろうかと思いつつ、国樹は顔を上下に揺らし「ああどうも」と答えていた。  うろたえる国樹とは対照的に、ゼスは異形の存在と積極的かつ好意的なコミュニケーションを取っていた。国樹が自己紹介しないものだから、ゼスが説明し、自身もまた箱に自己紹介している。 「僕はゼス。名付け親はここにいるタガローなんだ。タガローは中途半端に物知りだし凄いイイ奴かもしれないから、なんでも聞くといいよ」  明確に侮辱だが、殴る余裕もない。それを聞いた人食い箱っぽい奴は、 『グギギギガ、ゴゴゴ、ガンガンガン!』  と、また意味不明な異音を奏でる。 「あーなるほど、分かる分かる」  と、ゼスが頷いているこの状況は一体なんなのか。  人食い箱に挨拶された挙句、その人食い箱と意思の疎通が出来るガキ。  ついていけない……というか、どうすればいいのだ。  そんな自覚ある混乱に身を浸す国樹に対し、更にとんでもないボールが飛んで来た。 「あのさタガロー、この子状況がさっぱり分からないんだって。僕にも分からないから、説明してあげて」  しばらくの間、時間の流れが止まった。  一瞬くらりとした後、真っ先に浮かんだのは「俺にもわかんねーよ」だ。  そんな思いを押し殺し、国樹は質問物に視線を向ける。  箱の蓋は開いたままで、真っ赤な舌が箱の外にまではみ出し、石床に垂れている。  箱の中には二つ、目と思しきものがあり、それが意味するところを示していた。  こうなると知りたいのは、いや確かめたいのは国樹の方だ。  これはなんなのだ。国樹は質問には答えず、腹を括って口を開く。 「その前に一つ聞いておきたいんだが、君は……人食い箱なのか?」  この返答次第では……どうすればいいのだろう? 無意味なことをしているだろうか? 不安を抱きながら、国樹はゼスを見て通訳を求めた。しかし、先に反応したのは箱の方だ。 『ゴゴゴ、ガギッ、バンバンバン!』  異音に加え蓋を激しく開け閉じして、それはなにかを伝えようとしている。だが当然国樹には分からない。むしろなぜゼスには理解出来るのだ。 「あー違うって。えとね、防衛機能付きのセキュリティボックスだって言ってるよ。意味分かんないけど」  ゼスは柔らかな金色の髪を揺らし、あっけらかんとしたものだ。しかし、国樹にはその意味が理解出来た。なるほど、言い換えれば攻撃機能を持った金庫ということじゃないか。意外と素直な返答に驚きもしたが、すぐ切り替え国樹はさらに質問を続けた。 「二週間前このフロアで戦闘というか乱闘というか、とにかく荒事があった。それは、君がやったのか?」  またゼスに通訳を求めるが、ゼスは舌を垂らした箱を見るだけでなにもしない。それでも異形の箱は『ゴゴゴ、ズガ、バダンバタンバタン!』となにかしら訴えている。そしてまた、当然のようにゼスが拾い上げた。 「知らないって」  のほほんとした顔でゼスはそう言い「なんかねーあったらしいよ。血塗れになったりとかしたらしいんだ」と赤い舌を持つ箱に話しかけている。  一方の国樹は、一つ分かったことはあるがやはり肝心な部分が分からないと考えていた。  分かったのはこの自称セキュリティボックス、人間の言葉を理解出来る。  だが自分は人間の言語を操ることは出来ない。  分からない部分はそのまま、人食い箱が大暴走を知らないと言ったことにある。  しかし目の前の箱の自己認識と、人食い箱は一致しているではないか。 「知らないってのは、見てないということだろうか? それとも、覚えていないということかい?」 『グガッ』  随分速い反応で、短い異音だ。ゼスを見ると、 「あのね、なんか凄い眠かったらしいんだよ。だから覚えてないんじゃないかな。やっぱり知らないって言ってるけど」  連れの金髪は大きく揺れ、笑顔交じりで頷いていた。  ――ゼスが箱と会話を弾ませている隙に、国樹は箱とゼスから距離を取った。人食い箱……あの箱には微量だが血痕がある。自前の舌は元から赤いようだが、外装の赤は人間の血だろう。そしてそれは、そう古くないものだ。  あの箱は自分を「防衛機能付きのセキュリティボックス」だと言った。自分がなにをしでかしたか覚えていないようだが、間違いなくあれは人食い箱、調査団が人食い箱と判断した代物だ。やはり、あれがやったに間違いはない。  覚えていないのは眠かったから……つまり寝惚けていた……かなり苦しく、言い訳がましくも聞こえるが、一応筋は通っている。  だとすれば一連の経緯は恐らくこうだ。  いつ建造されたかも判然としない蹉跌の塔に置かれたあの箱を、調査団が見つけた。  調査団は宝箱染みた外見と「盗賊紛い」の姿勢からあれを無理矢理こじ開けようとした。  しかし、箱は完全に眠っていた。  そこを叩き起こされ、ぶち切れた。  いや、正確に言えば防衛機能が働いたのだろう。  そして惨劇が起きた。  あまりの凄まじさに怖気づいた調査団が、以降一切手を出さなかったことで、人食い箱は再び眠りについた。  調査団やあの箱が嘘をついていなければ、これが妥当なところだろう。  では、なぜゼスには防衛機能が働かなかったのか?  これは今、あいつらを見ていれば分かる。  あのセキュリティボックスはゼスを「危険視」していない。なにせ意思の疎通が取れるのだ。付け加えれば、中に何もないのだから暴れる理由もない。針金でピッキング紛いに出たのも功を奏した。こじ開ける、ではなく、インチキだが一応手順通りにはやっている。まあ丁寧……だったと思えばいい。  さらに、あの箱の睡眠の間隔が短かった。蹉跌の塔は旧時代の遺跡だ。そしてあの箱はその中に収められていた。時間の流れが我々とは違う。つまり、ほぼ二度寝みたいなものだった。だからやんわり、やめてくれと舌で押し退けようとした。  ありえない馬鹿馬鹿しさだが、これ以外にはちょっと考えられない。国樹は窓際まで撤退しつつ自分を納得させる。  最後にもう一つ、重要な要素がある。  今までいまいち確信を持てずにいたが、もはや確定と言ってもいいだろう。  二人が語り合う様子を見つめながら、国樹の心は嫌な緊張感に締め付けられていた。 「あいつも、嘘をついていなかったのか。だがだとしたら……一体なんなんだ……こっちのがよっぽどややこしいじゃないか……」  国樹は誤魔化しようのない恐怖と違和感から、自然とゼスに鋭い視線を向けていた。  間違いなくあいつは、ゼスは人間ではない。  あの箱同様、人ではない存在だ。
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