ネコの目的

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ネコの目的

 馬の元に戻り(幸い盗まれていなかった)、ビアンカに俺の服を着させた。どこからどう見ても無理やり男の服を着せられている令嬢にしか見えないが、ドレス姿よりはましだ。……多分。  それから非常食代わりに持っていたくるみをやった。  彼女が言うには、ネコの姿でいるときはネコの食事の量で十分なのだが、人に戻ったとたんに空腹を感じるのだそうだ。  だけどネコの姿でいられるのは一日が限度。俺の前で魔法が解けないよう、夜と昼にいったん人の姿に戻り、ネコに変身し直していたという。 「やけに小汚なくなっているときがあるのは何でだ?」  そう問うとビアンカは頬を染めた。 「狭いところをみつけると、気になってついつい入りたくなってしまうの」 「そんな理由かよ」 「自分の望みどおりに自由に動けるのよ。誰にも咎められずに」  にこりとしたビアンカに、たった一度だけ言葉を交わしたときのことを思い出した。  二年ほど前のことだ。ひとりで城の敷地を定期巡回していた俺は、とある庭園のそばで激しく罵る声を耳にした。何の騒ぎかと駆けつけた俺が見たのは、どこか喜色をたたえた怒り顔で怒鳴り散らす三人の姫君たちと、その前でうつむいて小さくなっているビアンカだった。  姫君たちの言い分はただの言いがかりで、ビアンカごときがこの庭園に入るなんておこがましいとか、花が腐るから二度と入るななんていうバカらしいものだった。  姫君たちの傍らには侍女たちが、その外側には警護の近衛たちがいたが、諌めるどころかニヤニヤ顔でビアンカを見ていたのだった。  城内では見慣れた光景で俺は『またか』と思った。ただこの庭園、先代王妃が他国の流行を取り入れた田舎式庭園で、多種多様な草花や木が渾然一体となっており、田舎者の俺が見ても我が国の気風には合わない代物だった。だからここを訪れる者なんて誰もいない。  それなのに姫君たちは腹違いの妹を責め、挙げ句に 「二度と入らないと土下座して誓いなさい」  なんて迫っていた。  ビアンカは震えながら地面に手と膝をつき頭を垂れて、姉の言葉通りに誓った。そして彼女は頭を姉に踏まれ蹴られ、大声で笑われたのだった。  ろくでなしの一団が去り辺りに静かさが戻るとビアンカはようやく立ち上がった。顔は涙でぐちゃぐちゃだった。  こんなのは見慣れた光景。  そう思っていた俺だったが、以前から彼女の境遇は、エリート身分ばかりの近衛隊の中で、実家の貧乏さや田舎さをバカにされている自分に重なるものがあるとも感じていた。  だから周りに誰もいないこの状況に思考は異常をきたして、俺は彼女に歩みよりハンカチを差し出すなんて愚行に出てしまったのだった。  だがビアンカは首を横に振った。 「ありがとうございます。だけど私に関わると出世に響きますから、お気持ちだけいただきます」  その言葉に俺の中で何かがブチリと切れた。 「そんな事ぐらい知ってるわ!」  相手がこんな風でも王族であるのに、俺はつい地の口調で言ってしまった。 「何を従順に従っているんだ。そんなんだからあいつらがつけ上がるんだぞ! 少なくとも侍女や近衛よりは身分は上! 母親がなんだろうと半分は王の血が流れているんだろうが。  頭があるなら、あいつらに対抗するすべを考えろ。どうすれば苛めを回避できるか、やり込めるには何が必要か。  惨めな境遇を当然のことと受け入れているのは、ただの怠慢! 逃げだよ、逃げ!」  俺は最低だ。  俺の父や兄たちは貧乏な男爵家に生まれたことに何の不満も抱かず努力もしなかった。そんな彼らとビアンカを重ね合わせて俺は、かつての苛立ちを、まだ子供のビアンカにぶつけたのだ。  大の男、しかも厳つい近衛になじられたビアンカは目を見開き硬直していた。  さすがにしまったと気づいたが、やってしまったことは取り消せない。俺はハンカチを無理やりビアンカの手に持たせ 「返さなくていい」  と言ってその場を去ろうとした。  その時。 「ありがとうございます」と彼女は言った。「こんなに親身になってもらうのは初めてです」  そうじゃないと思ったが、俺は黙ってうなずいた。  ビアンカはハンカチを胸の前で握りしめ、 「いただきますね」  と一言残して走り去ったのだった。  俺と彼女が言葉を交わしたのは、この一回だけだ。  その後も姉姫たちはビアンカを苛めていて、なにひとつ変化はなかった。──今の今までそう思っていた。 「あなたに言われて私に何ができるか、一生懸命考えたの。私の得意なことは魔法だったからそれを活かして、とね」 「まさかそれでネコになる魔法を」 「その通りよ」  ビアンカは正解と言って、手を叩いた。記憶にある彼女より、陽気でたくましい。 「あんたがネコになるのは分かった。で? なんで俺についてきた」  まさかと思うがあの一件で俺に恋をして……。 「会いたい人がいるの。ドゥショー伯爵家のブレソール」  ……どうやら俺は自意識過剰らしい。そりゃそうか。十歳近く歳が離れている。 「ん? ドゥショー伯爵? 駐屯軍のある地の領主か」 「そうなの」とビアンカ。「会うというより、ブレソールを一目見られればそれで満足できる。いえ、欲を言えば、ネコの私を抱っこしてもらえたら、とても幸せ」 「婚礼で国を出る前に?」  ビアンカはうなずいた。 「叶わない夢だと思っていたの。彼は病に臥せっている伯爵の代わりに領地経営をしているとのことで、私が出国するまでに都に来る予定はない。私があちらに行く予定もない。彼に二度と会うことなく、私は顔も知らない人の元に嫁ぐの。  そう思っていたら、あなたが駐屯軍に赴任すると聞いたのよ」 「で、これ幸いとついてきたのか」 「その通り」 「帰りはどうするんだよ」 「そこまで考えていなかったの」 「アホか!」  ビアンカは首すくめ、曖昧な笑みを浮かべた。 「あの姫が、こんな後先考えないお転婆になるとは」 「あなたが喝をいれてくれたからよ」 「あの時の俺を殴りたい。あんたを連れているのがバレたら処刑もんだ」 「大丈夫、絶対に人の姿を見られないようにするから」 「俺に見られたじゃないか」 「あなたが協力してくれれば大丈夫よ」  ビアンカが俺の腕を掴む。 「お願い、私を連れて行って!」 「……そりゃ姫君を捨て置くわけにはいかないだろう」  渋々とそう言うと、ビアンカは顔いっぱいに笑みを浮かべて 「ありがとう」  と言った。  ──変わらない笑顔だ。  二年前に俺のハンカチを握りしめ、『いただきますね』と言ったときと。 「せいぜいネコの姿を頑張ってくれよ」 「ええ!」 「まあ、あれは何だな、悪くない」  柔らかくて温かいネコは。俺の心が安らぐ……。 「ん? ネコはあんただ」  俺はビアンカを見る。  三度、いや四度だったかもしれない。「汚れたネコを丸洗いしたが……」  とたんにビアンカの顔が真っ赤になる。 「あれはネコだから!」 「そんな顔になるなら、今後二度と汚れんな!」 「ど……努力するわ」  そこは『努力』なのか。  よほど狭いところに入るのが好きらしい。ネコライフを満喫しまくりじゃないか。  あの惨めなビアンカが、今はこんな風なのか。 「ハハハッ」  気づいたら口から盛大な笑い声がこぼれていた。  本心から笑うのなんて何年ぶりだろう……。
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