宿屋にて

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宿屋にて

 宿の部屋に入ると扉をきっちりと閉めた。  背嚢を床に下ろして口を開ける。と、ぴょんとネコが飛び出して来た。 「おい、ネコ」  俺がそう声をかけるとネコは俺の前にお座りして見上げてくる。 「いいか、絶対に鳴くなよ。獣連れとバレたら追い出される。少しでも声を出したら窓から放り出すからな」  ネコは分かったとでもいうかのようにまばたきをした。  ネコっていうのはそんなに賢いのだろうか。飼ったことなぞないから分からない。  ネコは腰を上げると早足で部屋の中をぐるぐると回る。ずっと背嚢の中にいたからかもしれない。そんなに窮屈ならついてこなけりゃいいのに。  俺はネコを連れてくる気なんてさらさらなかった。水をやり終えその場を離れようとした時このネコは、突然俺の膝の上に飛び乗ってきたのだ。下ろそうとしても爪を立ててしがみつく。脅かそうと殴るふりをしたら、盛大にびくりとはしたけど逃げなかった。  こんな蚤がいそうなぼろぞうきん、相手なんてしたくないのに。  そう思いはしたが結局どうやってもネコは俺から離れず、諦めた。こいつを連れて旅を再開してすぐに小川があったから放り込み、 「ついて来たいのなら清潔になれ!」  と言ってやったら大人しく体を洗われていた。素直なところは悪くない。  きれいになったネコはそこそこ可愛く見えた。毛の色は三種類でしましまになっている。サイズは多分、大人と子供の中間くらい。  なんで俺について来たいのか知らないし邪魔でしかないのだが、ネコの温かさはなんとなく良いものに感じられたのだった。 「おい、ネコ」  ネコはぴたりと止まり俺を見た。 「俺は食事に行ってくる。ここで静かにしているんだぞ」  ネコはまたまばたいた。やっぱりそれは返事らしい。 「……宿屋の主人にみつかりでもしたらネコ鍋にして喰うからな」  ネコはふいと顔をそらして歩き始めた。理解できなかったのか、ネコ鍋に気分を害したのか。  部屋を出て鍵を閉め、階下に向かう。昼間はあいつに手持ちのパンをやったけど、夜もそれでいいだろうか。肉を部屋に持ち帰りたいなんて頼んだら、さすがに怪しい。  食堂に入ると賑わっていて、ようやく隅に空いた席をみつけて座った。オススメ料理と酒を頼み、聞くとはなしに耳に入ってくる会話を聞く。 「──商いで都に行く? やめとけやめとけ。近いうちに戦になるかもしれないぞ。俺は怖いから隣国に逃げるところだ」  そんな言葉が耳に止まり、振り返って声の主を探す。すぐに見覚えのある顔を見つけた。宮廷に出入りしていた肖像画家だ。若く技術は高いが、酒と女が好きで常に金欠との噂だった。だからこんな宿にいるのだろう。 「この国にはな」と画家が声を潜める。「特大のお宝があるんだ。なんと《竜の珠》だ」  へえと聞き手が声をあげる。だがそれは有名な話だ。聞いているヤツが本当に知らないなら、よほど遠くの地から来たかアホウかのどちらかだろう。  あっという間に料理が出てきた。チキンと野菜の煮込みだ。きっと大量に作り置きしてあるのだろう。  《竜の珠》とはその名の通り、竜が持つ珠だ。普段は胎内にあり死ぬときに口から吐き出すという。竜の力の源であり、強い魔力を帯びている。そのせいなのかそれを持つものは栄華を極めると言われていて、当然誰もが欲しがるお宝だ。  だけど竜なんて滅多に人前に現れないから世界にどれほど存在しているのか、どんな生態をしているのか全く分かっていない。《竜の珠》は世界に三つしかないと言われている。 「ところがこれ、何十年か昔に隣国ヒスベックの王室からこの国の王子が盗んだものらしい」画家はますます声を潜める。「もちろんこっちの主張は、『盗んだものではない、竜の死に立ち会った者から手に入れた』だ。ヒスベックは《竜の珠》を失って以降、天災や内紛で国力を落とし、取り返すことは叶わないまま今にいたる」 「本当に効能があるのか!」聞き手の感心しきった声。「で? ついに取り返すための戦争ってことか」 「その通りだ。ヒスベックは最近、再び力をつけているらしい。戦をする資金も貯まっているとか。それをちらつかせて、この国に《竜の珠》の返還を迫っている」 「へええっ」  確かにヒスベックからは《竜の珠》に関する親書が届いており、一部では開戦の噂がある。だけどそうはならないだろう。どうやらヒスベックはハイレベルな魔術師を雇い入れたようだ。その魔術師はモノの来し方を見られる魔法を使えるという。我が国にある《竜の珠》が盗難品でないのなら、魔術師に鑑定をさせろとあちらは主張しているのだ。  そしてヒスベックは、返還をするなら、盗難は過去のことだから不問にすると言っている。  多分うちの国王は魔術師に鑑定させ、結果に驚いたふりをして、盗難品ではないと信じていたと主張することだろう。それが一番無難だ。 「で、その《竜の珠》ってどんなものなんだ?」  先ほどの聞き手が尋ねる。 「さあなあ。城深くに隠されていて、王以外は誰も見たことがないって話だ」  確かに俺も、それを見たと話す人を知らない。城には十年勤めていたが。  食事を終えて立ち上がる。混雑した食堂から出るには画家のそばを通らなければならなさそうだ。仕方ない。どうせ向こうは俺のことなんて知らない。  黙ってヤツのテーブル脇を通り抜けようとしたその時。 「あれ、あんた」と画家が俺の腕を掴んだ。「やっぱりそうだ。近衛第三隊の隊長だ。こんな安宿で何をしているんだ?」  ドキリとする。が、ギロリと睨むと画家は 「ああ、すまん。任務だったかな」  と言って、わざとらしく口の前に人差し指を立てた。  無視をしてその場を離れる。王家を守る近衛連隊がこんなところに仕事で来るはずがないじゃないか。軽薄者は頭も軽いらしい。だが勝手に勘違いをしてくれるのはラクだ。  せっかく飲んだ酒も抜け、気分悪く部屋に戻ると、ひとのベッドのど真ん中で丸くなっていたネコが顔を上げた。 「なんだ、分かるのか」  俺は懐からハンカチを取り出し、開く。ひとかけらの鶏肉が露になるとネコは起き上がってベッドの上を優雅に歩いて来た。ハンカチごとネコの前に置いてやる。  ネコはそれにかぶりついた。  その様子をしばらく見つめてからベッドにうつ伏せになった。 『近衛第三隊隊長』。その肩書きを名乗れたのは昨日まで。  俺はもっともっと上に上り詰めたかったのに、誰かにはめられ地位も信用も失ってしまった。貧乏男爵家の三男で終わる人生は嫌だったから、必死に頑張ってきたのに。  俺をはめたヤツを捜しだし殺してやりたい。  だけどそれもできない。  俺はクビになったのではなく、国境地帯に駐屯する部隊に移動する。そこは都から見るとヒスベックとは正反対に位置し、噂じゃ厄介者を押し込めるためだけに作られた部隊って話だ。  任命は国王の名をもってされていて、退職は許されなかった。すれば王命に背いたことになってしまう。  都から出ていかなければならない俺は、犯人捜しをすることも、ましてや自分の無実を証明することもできない。  俺の今までの血の滲むような努力はすべて無駄になったのだ。  悔しさと惨めさで、赤ん坊以来流したことのない涙が目に浮かぶ。顔をシーツにこすりつけ、なかったことにする。  と、顔のそばに気配を感じた。目を開けてみるとネコが丸まっていた。  こいつが部屋にいなかったら、食堂で浴びるほど酒を飲んでいただろう。何もかもを失ったのに夜中に宿屋を追い出されるなんて真っ平ごめんだから、急いで戻ってきたのだ。  そっと手を伸ばして背中に触れる。ふにゃりとして温かい。  明日もこいつはついて来るつもりなのだろうか。
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