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真の目的
ビアンカが泣きながら、俺の背中に手を当てる。
脅威が消えて冷静になると、そこの痛さは半端なかった。服が破れて肌があらわになっている。見えないから分からないが、ただれているんじゃないだろうか。俺が滑った斜面には血のあとが付いている。
「ダメだわ」とビアンカ。「魔力を使い果たしてしまって治せない」
赤らんだ頬が涙でぐしゃぐしゃだ。かつての記憶がよみがえる。ハンカチを渡してやりたいが探す余裕がないから、手でぬぐう。
「あんたは怪我は?」
「ない。と思う」
しゃくり上げながら答えるビアンカ。首を巡らせるが馬の姿はない。逃げたようだ。当然か。背中を隠したいが着替えは馬の腰だ。
「ごめんなさい」
「いいから」
と俺は言ってビアンカの真向かいになるよう座り直した。彼女に怪我が見えないほうがいいだろう。
疑問はたくさんあるが、おおかたの予想はつく。俺は知らされないまま重要な何かを運ばされ、あいつらはそれを奪いにやってきた。そしてそれをビアンカは『珠』と呼んだ──。
「あんたは何をどこまで知っているんだ。俺についてきた目的は? 」
彼女の頬をまたぬぐいながら訊く。
「……マテウス様が女性使用人用の浴場を盗撮していたと聞いて……」
「やってないっ!」
反射的に叫ぶ。
そう、それが俺にかけられた冤罪。
浴場から近衛が連絡に使う通信用水晶がみつかった。それは音声と映像を離れた場所にある水晶に届けることができる、魔道具の中でも最高ランクの品だ。すぐにその機能を利用した悪質な犯罪と分かったのだが、問題はそのあとだった。水晶にはナンバリングがしてあり、みつかったものには俺の番号がついていたのだ。
もちろん俺はそんなことはしていない。だが俺の部屋からは受信用の水晶も出て来てしまった。水晶はひとりひとつしか持てないにも関わらず。そして俺は犯人と決めつけられてしまった。
近衛の信頼と品性を貶める恥ずべき事件。ただ俺も伊達に隊長の地位まで上りつめた訳じゃない。その功績を鑑みて、クビにはならず犯罪者として裁かれることもなく、駐屯軍への流刑となったのだ。
「分かっているわ。恐らくあなたを嫌っている人たちに仕組まれたのよ」とビアンカは涙をぬぐう。少し収まってきたようだ。「上昇志向の強いあなたにしてはお粗末な犯罪だから、おかしいと思って調べたの。ネコになるのは、こういう時に役立つの。どこにでも入り込めるうえに警戒されない」
なるほど。考えていた以上にすごい魔法だったらしい。
「どうにかしなくてはと思ったけど、既にあなたの駐屯軍行きが決まっていたの。しかもろくな調査もされていなかった。それで陛下たちを探ったら……」
ビアンカは気まずげに目を伏せた。
「俺に《竜の珠》を運ばせる計画をしていたのか」
彼女が驚いたように目を見張る。
「あんたが自分で《珠》と言ったぞ」
「そう。気づかなかったわ。──陛下はどうしても珠をヒスベックに返したくないの。それで盗まれたことにして隠すと決めた。城内ではヒスベックのハイレベルだという魔術師に探しだされてしまうかもしれない。折よくあなたが不祥事を起こし、処分をしなければならなかった」
「なるほどな。惨めに都落ちをする男が国宝を預かっているなんて誰も考えない」
ビアンカが目を伏してうなずく。
「だが残念ながら秘密は漏れて、奪われてしまった訳か」
あの三人組のひとりはビアンカが王女だと知っていた。彼女はろくに外に出たことがないのに。そして言葉には訛り。ということは我が国と交流のある外国の、恐らくは王室に関係する人間だろう。犯人候補筆頭はヒスベックだが、そうでない可能性も十分ある。
「それにしても《竜の珠》はそんなに小さいのか」
書状用の小箱に入るなんて、イメージとはだいぶ違う。
ビアンカが急に顔を上げる。また驚きの表情をしている。
「まあそんなことはどうでもいい」と俺。
「マテウス様」とビアンカ。
「そのマテウス『様』ってなんだよ」
これまで彼女には『あなた』と呼ばれ、名前を口にしてもらったことは一度もない。
ビアンカの顔がみるみる赤くなり、また目を伏せてしまった。
「あんた、ブレソールに会うためについて来たんじゃないな」
彼女はもう耳まで真っ赤だ。
「俺を助けるためだ」
彼女の頬に触れると初めてではないのに、ビクリとされた。
「俺に恩を感じているからか?」
ビアンカはうつむく。
「それとも、こんな最低な男に……好意があるのか」
ああ、俺は本当に最低だ。
冤罪を掛けられ精神が参っている俺は、癒してくれるネコと離れがたいと思っている。だが本当か?
俺はロリコンじゃない。
ありがとうと言った笑顔が二年前と変わらなかった。
誰もが俺を白い目で見た中、彼女だけは信じると言ってくれた。
寄り添い眠るもふもふの温かさ。
様々な思いが俺の中を駆け巡る。
必死に俺を助けようとするビアンカ。
そのビアンカを助けようとする俺。
俺はもう、近衛じゃない。王族を助ける使命感なんてものはない。
答えは明白じゃないか。それなのに俺は自分がこれ以上惨めになりたくなくて、先に彼女に『好き』と言わせようとしている。
「マテウス様」意を決した顔でビアンカが俺を見る。「私……」
「ビアンカ」
彼女の言葉を遮り名前を呼ぶ。心臓が破裂しそうだ。
もし彼女に引かれたら。おじさんのくせに気持ち悪いと言われたら。
そう考えるだけで泣きたくなる。だが俺は、彼女にだけは最低な振る舞いをしたくない。
「ビアンカ。もしあんたが俺に好意があるのなら」ごくりと唾を飲み込む。「……俺は飛び上がるほど、嬉しい」
ビアンカの目が、これでもかというくらいに見開かれる。この反応はどっちだ。喜んでいるのか、気持ち悪く感じたのか。
早く、答えてくれ。俺の心臓がもたない。
「私ではあなたに何の得にもなりません」そう言うビアンカの目に、また涙が浮かぶ。「冤罪を晴らす力もない。それでもよいのですか」
イエスか! こっちまで嬉しくて泣きそうだ。
「俺はあんたにそばにいて欲しい」
彼女が王女だとか婚約者がいるとかは、ひとまず置く。
俺を助けるために必死になってついてきた、そんなビアンカがただただ愛おしい。彼女に腕をまわして抱き寄せる。
「あなたがどんな最低な方だとしても」ビアンカが震える声で言う。「あなたに叱られた言葉が私の支えでした。マテウス様をお慕いしています」
「俺は、あんたにだけは最低な男になりたくないらしい」
俺はビアンカの砂まみれの頭にキスをした。
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