都を追われて、ふたり旅

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都を追われて、ふたり旅

「ところで」俺はビアンカから身を離して、その顔を真正面から見た。「お前はどうやって都に戻るつもりなんだ」 「……」 「本当に考えなしなのか」  うなずく彼女。 「さっきの奴らみたいに『シュッ』とは?」 「無理よ。やったことがないもの」 「参ったな。──『婚礼までに戻る』という手紙を残したのは本当か?」 「ええ。でも私、もう戻りたくない。マテウス様と一緒に行くわ」 「駄目だ」  即座に否定すると、彼女はまたも目を見開いた。 「あんたは一刻も早く俺から離れて、安全な場所に行かないといけない」  怪我が痛むがなんとか山を降りて、昨日の宿屋に助けを求めるしかないだろう。俺の剣を売ればまとまった金になる。金か剣そのものを渡して近くの領主を呼びに行かせて…… 「マテウス様、どうして!」  ビアンカが俺の腕を掴む。 「あの《竜の珠》は偽物だろう?」 「何故それを!」  叫んだ彼女ははっとした顔で口を閉じた。 「そうか、やっぱりな。あんたも知っていて、だからこそ『帰り』はないかもしれないと思って、対策をとっていなかった」  ビアンカの顔がみるみるうちに情けないものになっていく。 「……ごめんなさい」 「あんたが謝ることじゃない。王が珠をヒスベックに返したくないのなら、慎重に慎重を重ねて対策を練るはずだ。敵の裏をかいて俺に運ばせるのは、案としてはいい。だが王がそこまで俺を信用しているとは思えない。駐屯軍になぞ行かないと逃亡したら終わりだ。だから」胸の奥が痛む。「俺は囮だ。《珠》を運ばせている秘密をわざと漏らし、誰かに奪わせる。第三者でもヒスベックでも構わない。運搬中に盗まれたという事実がほしいだけ。もし犯人がヒスベックで、来し方が見られる魔法で王の仕組んだことだと知られてしまっても、問題はない。ヒスベック王室が他国の兵を襲ったと公言できないからだ」  ビアンカが力なくうなずく。 「王としては、運搬役が殺されるほうが都合がいい。近衛連隊の分隊長なら、そこそこ強い。ついでに魔法も秀でているとの嘘も上乗せしておけば、襲撃する方は最強の刺客を送る」 「伊達に隊長になったのではないのね」ビアンカが力なく微笑んだ。「ごめんなさい。酷すぎる話よね」  俺は王に使い捨ての駒にされたのだ。仕えて十年、野心のために近衛になったとはいえ、仕事には真摯に取り組んできたつもりだったのに。俺のプライドは木っ端どころか砂粒サイズに砕け散った。だが──。 「傷つかないで。陛下には人の心がないのよ」 「俺のことなんて、今はどうでもいい」  ビアンカの頬を人差し指でなぞる。 「さっきの三人がヒスベックの手先だったなら。例の魔術師が来し方を鑑定して偽物だとバレる。本物の在りかを俺たちに吐かせようと絶対に戻ってくる。その前にあんたは安全なところに逃げなくちゃならない」  ビアンカは瞬いた。 「逃げないわ」 「駄目だ、俺はあんたを守れない」  あんな高度な魔法の攻撃に俺は対抗できないし、背中の怪我は酷い。命に関わる深傷ではないが、ただれたこの背で地面を滑った。このままなら破傷風になるだろう。下手をしたら命はない。  よしんば回復し駐屯軍にたどり着いたとしても、それは王の望むところではないのだ。俺に未来はないかもしれない。 「あんただって魔力を使い果たしたんだろう? そうでなくても確実に劣勢だ。ビアンカ。城に一刻も早く帰れ。そして王子と結婚するんだ」 「さっきはそばにいて欲しいって!」 「いて欲しいさ。だがあんたの安全のほうが大事だ。俺はこうしている今も、奴らが戻ってこないか不安で怖い」  三人の中の少なくともひとりは、女を殺すことに抵抗がなかった。 「マテウス様」  ビアンカがにっこりと微笑む。 「自分のことは自分で守る。マテウス様も私が守る」 「魔力を……」 「先ほど言いそびれてしまったの」ビアンカはそう言って胸元のボタンを外し、首から下げているものを引っ張り出した。小さな巾着だった。彼女はその中から何やら取り出して掌に乗せた。それは俺が二年前に彼女に渡したハンカチだった。 「私の宝物」  ビアンカは頬を染めて言うと、畳まれていたハンカチを開いた。黒い珠が現れる。 「本物の《竜の珠》よ」とビアンカ。 「はあっ!?」 「一年くらい前に私がこっそり偽物とすり替えたの。『惨めな境遇を変える』ためにはどうすれば良いか考えてね。未だに陛下も誰も気がついていないのよ」  嘘だろ。俺の言葉が彼女にそこまで影響を与えていたのか。 「最初に襲撃されたときに突然、光が爆発したでしょう? あれは多分、珠のせいよ」 「これのせい? あんたが何かしたんじゃなかったのか」 「半分は私。ネコの私は本来は人の姿に戻る魔法しか使えないの。呪文を唱えられないから。あの時は危険を感じて咄嗟にシールド魔法の呪文を叫んだけど、ネコの鳴き声にしかならなかった。それに私はあんな派手なシールドは使ったことがないの」  だから、と言った彼女は珠に 「お力をお貸し下さい」  と頼んだ。そして立ち上がり俺の背中側に座り直すと、それを持った手を傷に当てた。じんわりとした温かさが感じられ、痛みが徐々に引いていく。  やがてあれほどの激痛が綺麗さっぱり消えてなくなったのだった。 「治ったわ。完璧。跡もない」  ビアンカが嬉しそうに声を上げる。 「……凄いな、珠の力」 「ね? だからちゃんと使うことができれば、彼らが戻ってきても大丈夫よ。自分もあなたも守れるわ」ビアンカはニコニコしている。「だから一緒に駆け落ちしましょう」 「駆け落ちかよ」 「ええ」 「そうなると足がつく預金は下ろせない。俺は無一文だ」 「何とかなるわ。あなたは剣が、私は魔法が得意なんだもの。すぐに仕事はみつかるわ。それに『栄華を極める』と言われる珠がきっと加護してくれる」 「本気か」 「本気よ」  ビアンカの青い瞳をみつめる。  どんな扱いを受けていようが、彼女は王女だ。貧乏な駆け落ち生活なんて出来るのだろうか。  ──だが俺は、彼女を失いたくない。  と、馬の蹄の音がした。振り返ると猟師が俺の馬を引いて山道を降りてくるところだった。 「うわ、どうした、背中がまる見えだ」と猟師が驚く。 「……その馬は俺のだ。見つけてくれて助かる」  果たして猟師が素直に引き渡すか、と心配したが杞憂だった。 「そうかい、そりゃ良かった。立派な馬だったからこりゃ何かあったと思ってな。麓の町に届けようかと──なんだこりゃ!」猟師の目が地面に残った血のあとを見ている。  俺は立ち上がり、剣と書状を拾った。書状は俺の移動の辞令だった。 「ダンナ。頼みがある」俺は懐から出した数枚の銅貨を猟師に握らせた。「麓に行って、これを」と今度は書状を渡す。「拾ったと届けてくれないか。血のあともあった、恐らく魔熊に襲われたんだろう、と」 「構わんけど、どういうことだ」 「俺が彼女をこっそり連れ出して、駆け落ちしたんだ。一緒にいることは知られていない。ここで俺がひとりで死んだことになれば、追っ手が来なくなる」  猟師は俺とビアンカの顔を交互に見た。 「お願いします」とビアンカも頭を下げる。 「よし、分かった。ひと肌脱ごうじゃないか」  人の良さそうな猟師はふたつ返事をして、書状と僅かに残った背嚢の肩紐(血液付き)を持って去って行った。  その背を見送るとビアンカは満面の笑みを俺に向けた。 「駆け落ちをしてくれるのね」 「その代わり、たまにもふらせてくれ」  ビアンカが俺に抱きつく。 「お好きなだけどうぞ!」 「ネコのときの話だ!」  人の姿のビアンカを撫でまくる。それはやぶさかじゃないが、今は早くこの場を去らなければ。いつあの三人が戻ってくるとも限らないのだ。  ただ、俺も出来立てほやほやの愛しい恋人を堪能したい。 「少しだけだからな」  そう断りを入れ、馬にふたりで跨がった。幸いビアンカは頭ひとつ分、俺より小さい。前に座ってもらい馬を進める。これじゃネコのときと変わらない。 「すぐにネコになってもらうぞ。あんたは目立つ」 「マテウス様は私とネコ、どちらの姿のほうが好きなのかしら」 「両方に決まっている」  前に座るビアンカの頭を撫でる。すると 「ゴロゴロ」  という可愛らしい声が返ってきたのだった。
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