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第1話
17 April 1912 London
世間はあの船の話で、もちきりだ。
2日前、世界最大級にして世界最速を誇る豪華客船タイタニック号が、サウサンプトンからニューヨークへ向かう航路上で、氷山にぶつかって沈没した。政財界の大物や著名人が多数乗り込んでいたそうで、安否を確認する記事、事故の詳細の記事で、連日、新聞は貸しきり状態。
「自分はタイタニック号の事故を予言した」だの、「沈没の前兆があった」だの、怪し気な巷説までが登場し、新聞そのものの信憑性までが危ぶまれる。
──そもそも、なにより肝心なのは、遠く離れた海の上の事故ではなく、大英帝国の地面の上で起こる事件だろうに!
心中に沸き起こった憤慨を口にすることはなく、表情にも出さず、男は顔を上げた。読んでいた新聞を角をそろえてきちんと折り畳み、あげく、ゴミ箱へ直行させる。これが、この男の不満の表し方だ。
いつもこんな調子だ。
サービスが気に入らないレストランでは、なめるほどきれいに食べ尽くした皿を順番に積み上げ、さらにナイフ、フォークもきっちり載せて、誰にもわからぬように不満を表現する。「自己完結型」と言われれば、そうかもしれない。
人並みに不平不満、憤慨憤怒といった感情はもっているが、それを表情には出さないようにしている。おかげで、ものわかりよく、従順に見えるらしく、他人からの評価は「おだやかで、欲がない」。世間の目がいかにだまされやすいかの証明である、と、本人は思っている。
着任して1週間。与えられた、たったひとりの小部屋には、退屈を紛らわせるものもない。
──おじはいったいどういうつもりなのだろう。
ふと、この小部屋に自分を放り込んだ“おじ”のことが頭をよぎった。
“おじ”といっても、血のつながりはない。“おじ”は警官だった父の相棒だった。父が殉職したとき、残された母とまだ幼かった自分を庇護し、援助してくれたのだ。なぜ警官の妻になったのだかわからないほどお嬢様育ちの母は、“おじ”がいなければ、子どもを抱えて路頭に迷うしかなかっただろう。まさに「命の恩人」だ。
子どもがいない“おじ”にとって、親友の息子は自身の息子たりえたのか。十分な学資を援助し、ケンブリッジのカレッジで法学を学ばせくれた。結果、自分は今ここにいる。
──何かウラがある気がする。
大学の卒業式に現われた“おじ”は、にんまり笑って言ったのだ。「このときを待っていた。今日から君は『私の部下』だ」と。
「マクファーレル警部補。レイノルズ警視総監がお呼びです」
軽いノックとともにかけられた言葉に、思わず首がすくむ。
──「噂をすれば」どころか、「ちょっと思い出した」だけなのに。
「マクファーレル警部補!」
「はい! はい、今、行きます」
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