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第2話
スコットランド・ヤードことロンドン警視庁の最奥に、その部屋はある。
いかめしいドアを静かにノックすると、聞き慣れた声が「入れ!」と答えた。ドアを開けると“おじ”、すなわちレイノルズ警視総監と、見たことのない老人が立ち上がった。
「おお! この若者が……」
「そうです。イニス・マクファーレルの息子エリオットです」
「おう、おう」
初対面の老人にすがりつかんばかりに腕をとられ、思わず後ずさりながら、マクファーレル警部補は声を絞りだした。
「レイノルズ警視総監! この方は?」
「医師のソーンワイク博士だ。君の父上とわしと博士は親友でな。3人で警察機構を変えていこうなどと、勇ましいことを企んでいた同志でもあったんだ」
──父とあなたがそんなことを考えていたとは、初耳です。
という、素朴な感想を口に出さなかったのは賢明だったかもしれない。
「イニスが生きておれば、実現できたが……」
「博士、彼がいますよ。エリオットが!」
「そうだのう。イニスの息子なら、我らの理想の警察機構を実現させてくれるじゃろう!」
マクファーレル警部補の腕をしっかり捕らえたまま、放す気配もないソーンワイク博士と、重厚な仕事机の向こう側から身を乗りださんばかりのレイノルズ警視総監。話題の中心になっているらしい本人をそっちのけで、オヤジふたりがウキウキしている。
──盛り上がってるところ悪いんですが、僕にはそんなつもりは毛頭……というより、そんな話、初耳なんですが。
「ということで、任務だ! エリオット」
いつもこの“おじ”にはいいように扱われ、あしらわれているが、これほど気ぜわしく興奮している彼を見るのは初めてかもしれない。話の不穏な展開を予感しつつも、マクファーレル警部補は勧められた椅子に腰を下ろし、“おじ”の興奮につきあうことにした。
「我々は、その昔、警察に科学的捜査法の導入を提案した。もっと合理的に確実に犯罪者を特定できるように、博士が考え出した捜査法を実践した。イニスとわしとで成果をあげ、科学捜査の有用性を証明するはずだった」
「だが、道半ばにしてイニスは死んだ」
「そう。おかげで相当に時間はかかったが、捜査方法の改革はなし得た。今では、ヤードは世界に冠たる『近代的警察』となった。しかし、もうひとつ、我々がやりたかったことがある」
レイノルズ警視総監が言葉を切ったのは、そこで「なんです?」のひと言が欲しかったからだろう。しかし、マクファーレル警部補は「なにを言われても、やすやすと思いどおりにはなりません」という思いをこめて、口を開かなかった。
「特別捜査官、および特別捜査班の設置だ!」
部下のそんな思いを知ってか知らずか、レイノルズ警視総監の晴れやかな宣言に、ソーンワイク博士の楽しい秘密を打ち明けるような声が重なる。
「なかなかよい響きと思わんかね。特別な犯罪を捜査する特別な警察じゃ」
「一刻も早く、我々こそが初代特別捜査官になりたかったんだが」
「イニスを無視してはのう。なにせ彼が一番なりたがっとったからのう」
「1888年のジャック・ザ・リッパー事件のときは、『チャンス!』と思ったんだが」
「イニス抜きではのう」
「そう。だから、我々は待った。エリオット、お前が一人前になるのを!」
「ようやくこれで特別捜査班がつくれるんじゃ! 我々3人が初代じゃぞ! 初代! よきかな、よきかな!」
オヤジたちがキャッキャと盛り上がる横で、マクファーレル警備穂は頭を抱えていた。
──ええと。基本的にそういうものは、特別捜査が必要ななにか事件があってこその……。いや、そもそもなりたいからなるってもんじゃ……。
「もちろん、特別捜査班には事件が必要だ」
マクファーレル警部補の心を見透かしたように、レイノルズ警視総監は1冊のファイルを取り出した。机の上に広げられたそれにさすがに職業的好奇心をかき立てられたマクファーレル警部補は、立ち上がって覗き込んだ。3人が頭を寄せ合い、自然、密談のかっこうになる。
「おお、よいのう。この雰囲気じゃ」
「いいですな。このわかりあった仲という感じは」
──僕はなにもわかっちゃいませんが。
そろそろいちいちツッコむのにも疲れてきた。いったいいつになったら本題に入るんだ。そう思ったタイミングで、その話は始まった。
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