第7章 -25「夏の日、冬の思い出」

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第7章 -25「夏の日、冬の思い出」

「カガリってすごいな」 「うん?」 さっきまでカガリの世話をしていたベアさんは、今はキッチンにいる。留守の間、使われなかった調理器具を洗ったり、食料の在庫を調べたりと忙しいベアさんを手伝いながら、ボクはウッドデッキでのふたりの会話で感じたことを言葉にした。 「カガリが病気のこと怖がってるなんて、全然気づかなかった」 「そうだね。彼は弱みを見せるのを嫌うから。でも、ずっと見てると、なんとなくわかるんだけどね。朝は機嫌がいいから。とくに僕より先に目が覚めた朝は、ものすごく機嫌がいいからね。目覚める、それも誰かを不安にさせる前に目覚めるということが、篝にはどんなにうれしいことなのか。それに気づいたときは、今のキミと同じように、彼は強いなと感心したよ」 「ベアさんはカガリのこと、なんでもわかるんだ」 「篝のすべてを好きになってしまったんだから、しょうがない。彼の一挙手一投足が気になるし、隠している気持ちを知りたいと思う。悩んでいないか。苦しんでいないか。理性的なふりをして、またなにかを諦めようとしていないか。……たまに踏み込みすぎて、怒られるんだけどね」 冷蔵庫を覗きながら食料の在庫を点検しているベアさんは、メモ書きの合間に答えてくれる。 「ベアさんがカガリとずっといっしょにいてくれるの、とってもうれしいよ」 「キミにそう言ってもらえると、僕もうれしいよ。ずいぶん心配させたようだから」 冷蔵庫の扉を閉めて、ボクのほうに向き直ると、ベアさんは微笑んで言った。 「キミのおかげだ。ありがとう」 「ううん。ボクはなにもしていないよ」 「いや。キミがここに来てくれたおかげで、僕はパリに行って、なにもかもに決着をつけることができた。もう篝は僕が出て行ったあとのことを考えなくなるだろう。いつか独りになるという覚悟をさせなくてすむ。それが本当にありがたいよ」 ──ねえ、ベアさん、カガリはあとどれだけ……。 いつからか、ボクの心にこびりついて離れなくなってしまった疑問。でも、これは聞いてはいけないことだってわかっているから……。 「うん。ボクも安心して出て行ける」 「篝になにか言われたのかい?」 ベアさんは驚いたようすもなく、尋ねてきた。 「うん。7月いっぱいで出て行くようにって。もう次の人も決まるからって」 「そうかい」 腰をかがめて調理台の下のキャビネットを開きながら、ベアさんは言葉を継いだ。 「僕の手助けは必要かい?」 「ううん。施設に帰って、学校に戻るって決めたから」 「そうか」 ベアさんの横顔が目を細める。 「篝も言ったかもしれないけど、キミが思うように、キミにとってのいちばんの幸せを見つけて、そうなっておくれね」 「……うん」 「関わった人が幸せになってくれることが、篝を幸せにする。僕からもお願いするよ」 「……ベアさん」 「ああ、でもそうか。僕はまたしても、うっかりライバルをつくってしまったわけか」 ボクの顔を見て、ベアさんはニヤッと笑った。緑がかった茶色に見えていた、その瞳が緑色に変わる。 「篝がキミになにかを決心させたなら、それは篝がキミに真剣に向き合ったということだろう。となると、僕もうかうかしてられないな。なにせキミたちはよく似てるから。ナルシストの気がある篝の前に、成長したキミが現われたら、ちょっと穏やかじゃないね。キミ、いい男になりそうだし」 「え……」 いきなりのライバル宣言に面喰らいながらも、問い返した。 「ボクとカガリって似てる!?」 ベアさんはくくっと笑った。 「似てる。といっても、ついさっき、キミが、篝が漏らした言葉を教えてくれたときに気がついたんだけど。やっとわかったよ、篝がキミを警戒しなかった理由が。自分自身を警戒する人間なんていやしない。そういうことだったんだね」 「ど、どのへんが?」 「一生懸命、自分の足で立とうとしているところとか。自分に好意を向けてくれる人には、自分をさておき、尽くそうとするところとか。大きな苦悩をかかえていても、それを隠そうとするところとか。強がりなところとか。わりと自分の力を過信しているところとか」 「……そ、そうなのかな」 褒められているとは思えず、貶されているとも思えず、ボクは中途半端な返答をした。 そこで、ふと思いついた。 「カガリがボクの話を聞いてくれたのも、自分と同じように悩みを抱えてたからってことなのかな。……同情だったのかな」 ボクはちょっぴりガッカリした気分でつぶやいた。 「彬矢クン、キミ、篝に好意をもっているようなこと、言わなかったかい?」 「……ええと……あの……ずっと前に『好きだ』と言ったことはあるけど。でも、カガリ、眠っていたから、聞こえなかったと思う……」 「それが、聞いていたりするんだよ。篝は敵が多かっただけに、寄せられる好意に弱い。キミに好意を向けられたときから、篝はキミに本気で向き合う気になったんだと思う」 ──あれ、聞かれてたの!? 頬が一気に熱く火照る。 「キミが篝を好きなら、キミはきっと自分自身を愛せるよ。本当にキミたちはそっくりだから」 「ベアさん……」 「幸せにおなり」 「うん、ありがとう。……ありがとうございました」 鼻の奥がツンとなって、慌てて頭を下げる。 下げた頭に大きな手の重みを感じた。カガリの手のぬくもりとはまた違う、がっしりと固い手のあたたかさ。 ──ボクと同じくらいの年齢の息子をもつ父親の手。 ボクにはなかった、父さんの手。それはきっと、こんな感じなんだろう。 「明後日から営業再開だ。もうしばらく手伝っておくれね」 「うん」 「さて、僕の秘蔵の菓子や飲み物をきれいに片づけてくれた犯人はわかってるんだけどね」 「う、うん」 「気にくわないことがあると、僕の好物を平らげてしまったり、雑多なクッションをばらまいて、せっかくのインテリアコーディネートを台なしにしてしまったり。幼稚なイヤがらせは、かわいらしさをアピールしているつもりなのかね、まったく。でも、そんなの、こちらはお見通しだから。スーツケースから、今回買い込んできたものを出すのを手伝ってくれるかい」 「うん」 ──ベアさんとカガリって、どっちが上手(うわて)なのか、ほんとわかんないよ。
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