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第7章 -26「夏の日、冬の思い出」
2日後、以前にカガリが寝込んだときと同じように、ペンション「愛の巣」は緊急シフトで営業を再開した。フロント担当は南さん、ベッドメイキングや掃除にはペンション村の人たち。ここまでは予想の範疇。
けれど、いかに南さんのコネクションが広く強いとはいえ、2日のうちに見つかるのかと不安だったディナーのソムリエ兼ウエイターに、なんとあの加納さんがやってきたのにはびっくりしてしまった。
「加納さん!?」
「ここでは加藤で頼むよ」
メガネがキラリと表情を隠し、相変わらずキレ者という印象を抱かせる。
「ベアさんとカガリの勧誘は、諦めたんじゃ……」
「そういうことは他言無用にお願いするよ。今回のヘルプはベアさんとの取り引きがかかっていてね。それで引き受けたんだ。また1週間ほどよろしく頼みますよ、先輩」
加納=別名・加藤さんは、機嫌よく笑いながらキッチンへと下りて行く。
ボクの頭の中は「?」マークでいっぱいになった。
「別に僕がリゾートホテルに行くわけじゃないよ」
昨日はそのままディナーの戦場に突入してしまい、聞く機会を失った質問を、ボクは翌朝、仕入れから帰ってきたベアさんを待ちかまえて尋ねた。
すると、ベアさんは笑いながら答えてくれた。
「加納さんのホテルのレストランメニューの組み立てや味つけについて、アドバイスすることにしたんだ。これからは、たまにホテルレストランのシェフやコックが料理の研修に来るよ。レストランメニューに『元「ミラノワール・パリ」シェフ エリック・ビヤール監修』なんて書かれるそうだしね」
ふっと身体から強張りが消えたことで、ボクは自分が緊張していたことを知った。
──「愛の巣」からベアさんがいなくなるかもしれない。
その想像だけでショックを受けてたなんて、自分でも驚きだ。
「そうなんだ。でも、どうして? 今以上に忙しくなるんじゃない?」
「まあ、なんだね。篝に対する、男の矜持みたいなものかな」
「どういうこと?」
「9月になれば、篝は間違いなく、この日本でも有名になっているよ。ココにいることは、お客さまやペンション村の人たちにご協力願って秘密にするにしても、 Kagariの名やパリでの経歴が取り沙汰されるのは確実だろう。そんな彼の連れ合いとして、僕もそれなりに地歩を固めておきたいと思ってね」
「……」
「モノクローム・ニューヨーク青山店の開店は12月なんだけど、やはり12月に東京の表参道に進出してくるレストランからもスーパーバイザーの話が来てるんだ。おもしろそうだし、やりがいもありそうだから、引き受けるつもりでいるんだよ」
「ベアさんもカガリもすごいね」
「でも、ココは変わらないから」
「……」
「僕たちの立場は変わっても、このペンション『愛の巣』は変わらないから。安心していていいよ」
「……うん」
──それって……。
ベアさんが言いたいことがわかったような気がした。
──そう思っていいのかな。
8月1日の朝、ボクはペンション「愛の巣」を後にした。
「彬矢、もしミショーに“時限装置”を聞く気があったら、ここを訪ねろ。行くなら、ついでにこの封筒を渡してくれ」
──それは「必ず行け」と言ってるのと、どう違うのだろう。
東京へ向かう電車のなかで、ボクはカガリから預かった名刺と封筒を見た。
「弁護士 滝沢美潮」。名刺に書かれた住所は、東京のものだった。封がされた封筒には「Cher Michaux」の文字。
──これは、カガリがくれた次の道しるべなんだろうか。
新たなステージが始まる予感がした。
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