番外掌編:咲くも咲かぬも主次第

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番外掌編:咲くも咲かぬも主次第

23a77a9f-cb70-48c7-942c-994cd9da00ac 「春になったらわっちの蕾を摘み取ってくんなんし 。そうしたらぬしの好きな寒牡丹になりんすえ。あゝそれもわっちの命が持てばの話でありんすがえ」  百花花魁は艶やかに笑う。 そこで豪介はうたた寝から覚めた。部屋の隅で居眠りをしてしまっていたらしい。豪介の想い人は衝立の向こうで客と寝ている。  牡丹の枯れるその日まで。ふたりの向かう地獄には、かかと数歩の後じさり。  芳町の坊主相手にしがない陰間商売をしていた柏木屋を一躍有名にしたのは、他でも無い百花花魁である。  初めはおとこ女郎と馬鹿にされながらも、他の陰間とは一線を画す美しい花魁姿に好色者が興味津々で食いついた。  秘牡丹から薫るほんのり甘いいちぶのりの香り、天にも昇る心地の四十二のひだに奥へ奥へと誘われて、髄の髄から狂わされる。そんな噂が広まって、次第に大尽達も忍んで来るようになったのだ。  百花花魁は寒牡丹。咲かせたいなら主が来い。  花魁の髪を飾る牡丹の簪に準えられた売り言葉も相まって、柏木屋の評判は日に日に高まっていく。鯉塚元治郎の耳に届くのもそう遅い事では無かった。  鯉塚元治郎は芳町きっての火消し頭である。火消しだけで無く、香具師の元締めや喧嘩の仲裁も一手に引き受けるその人望に町からの信頼も厚い。  そんな元治郎の元に、柏木屋から百花花魁のまわしを引き受けてはくれないかという依頼が持ち込まれた。花魁を巡る刃傷沙汰が一度や二度ではすまなくなってきた、というのだ。  陰子は本来、客の待つ茶屋に布団を持ち込んで色事に励む訳だが、その布団運びやら提灯持ちやらを務めるのが金剛とも呼ばれるまわしの仕事である。  だが百花花魁は、茶屋を回らず柏木屋の二階で客を取る。まわしは付いていない。屈強な用心棒を早急に用立てて欲しいというのが柏木屋の頼みであった。  こと花魁のまわしとなれば腕っ節だけでなく機転の利く者でないと立ち回れないであろう。元治郎が白羽の矢を立てたのは、自身の跡取りにと考えていた豪介だった。豪介は頭も良いが面も良い。無論腕も立つ。 「豪介よ、陰間の金剛なんざ本当は引き受けたかねえんだが。町の金主たっての望みとあっちゃなぁ」  渋い顔の元治郎に、豪介は笑って云った。 「おやじの名を汚す事は決してしねえよ、任せてくんな」  こうして豪介は百花花魁のまわしを請け負う事になった。  だがいざ豪介がまわしに付いてみると、なかなか上手いこと花魁と嚙み合わない。傍に来るな話し掛けるなと、けんもほろろな花魁の態度に豪介は手を焼いた。  柏木屋の店主に聞いてみれば、百花花魁は客以外には誰にでもそういう態度なのだと云う。  幼い頃借金のかたに売られてきた百花花魁は、少しでも多く稼ぐために花魁の恰好をし客の気を引く事を思い付いた。金の為なら媚びへつらいも平気でするが決して本心は見せるまい。そういう線引きを己に強いているのだろう、と豪介は思った。ならば己は遠からず近からず花魁の身を守るまでだ。 「花魁、俺が付いてやすから休んでくだせえ」 「花魁、飯の支度が出来ましたぜ」 「花魁、気晴らしに買い物にでも出ましょうかい」  花魁、花魁。豪介の低くて耳ざわりの良い声と鋭いが優しさのこもった目が、百花花魁の心を少しずつ溶かしていった。 「豪、さん」  初めてその名を呼んだ時の豪介の嬉しそうな顔。その笑顔を見た時のえもいわれぬ胸の高鳴り。百花花魁の心に牡丹の蕾が綻んだ。  だが他聞に漏れず花の盛りは短い。若い男のあそこから可愛げが無くなれば、たとい見目の良い花魁だろうが味は落ちるのだ。  豪介が百花花魁のまわしに付いてから二年でその時は来た。  散々使い回された秘牡丹から若い蜜の香りは消えたと噂が立ち始めた。おとこ女郎屋と叩かれていた柏木屋も今や御職を抱える大所帯である。百花花魁にとうが立ったところで大騒ぎするほどの事でも無い。花の咲かない牡丹に用は無いとばかりに百花花魁の年季明けが決まった。  借金は消えたが、百花花魁は途方にくれた。生まれ故郷は捨ててきた。家族ももう己の事など亡い者と思っているだろう。春を売る以外の生き方を知らない花魁に年季明けの喜びは無かった。 「花魁、これからどうやって暮らしていくんで?」  豪介の問い掛けに、百花花魁は困った顔で笑う。 「年季は明けても他に行くあてもありんせん。力仕事が出来るわけでなし、この辺りでまた身でも売れたら御の字と思いんす」 「花魁、」 「豪さん、長いことわっちなんぞに構ってくれてありがたいことでありんす。もう用は済みいんした。元のお役目に帰ってくんなんし。豪さんをこれ以上柏木屋に縛り付けておくいわれもなくなりんしたし」 「そうさな、じゃあ自由にさせてもらうぜ」 「豪さん?」  百花花魁が柏木屋で取った最後の客は、豪介であった。 「なんで、豪さん」 「ずっとこうしたかったのさ。俺ぁ、お前さんが他の客に抱かれている間、衝立の向こうでずっと思っていたのさ。いつかお前を抱きてえってな」 「でも。わっちなんて、ひだの伸び切った枯れ牡丹でありんすのに」 「お前さんのここは寒牡丹さね。冬と分かっていながら牡丹自身が己の力で咲き誇るのさ」 「寒牡丹」 「ああそうさ。さて、俺あ商売相手に手ぇを付けちまった。おやじの顔に泥を塗る事になる。俺も此処には居られねえ。丁度良い、俺と道行してくんな」 「そんなんいけんせん。豪さんはおやじさんの跡を継ぐお方でありんしょう?」  豪介は、胸に縋る百花花魁の御髪を節くれだった指で優しく梳かしてやった。鯉塚の家を捨てる覚悟はとうに出来ていた。おそらく花魁に出逢ったあの日から。 「牡丹の枯れるその日まで、たとい蕾が咲かずともだ。俺ぁお前を摘んだりなんかしねえ。花魁、いや健吉よ。俺と一緒に生きてくんな。この先待っているのは地獄かもしれねえが」 「豪さん……、ぬしさん」  か細い花魁の啜り泣きが豪介の胸を濡らす。豪介は誓った。お前が咲けぬと云うのなら、俺が地獄に咲かせようさ。百花の名前は芳町のどぶに捨てて行け。 「あい」  その晩以降、豪介と健吉の姿を見た者は誰も居ない。aff1260e-6c23-4051-8ec4-7f517485ac8698043801-f618-4a9c-acd3-e29fc2f7bb5905e7b796-61b2-490c-a55b-9d94dcccd879d23a6e0b-1743-4594-ab55-157598548ed839618db6-3205-4d4f-bad2-2093c8d97b09 以前、反目ノ四獣共同企画でのコラボ時に創作したものです。おとこ女郎は創作ですが、芳町や天神下などでは、歌舞伎役者の陰子などが男娼の仕事をしていたということから、こんな想像をしてみました。 文フリ、遊郭マーケットに無配で持っていくので、ぜひ読んでみてください。 素敵な牡丹のイラストは、マンガ担当のりんごちゃんねるさんにいただいたものです。
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