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昔日の影
「三郎太お帰り。さあ平吉、最後はお前の番だ」
一番歳上の正太郎が三郎太に声を掛けた。平吉より先に丸刈りにされ、白い粉塗れになった三郎太はしょげた顔である。
「正太郎兄さんは良いさ。兄さんは坊主にしても綺麗なお顔だもん。俺はこんなんじゃ暫く客も取れやしない」
平吉は項垂れている己より少し背の高い三郎太の坊主頭をじょりじょりと撫でてやった。
「三郎太兄ちゃんも似合っているよ」
にっこり笑った平吉の頭に、「ほら、前を向きな」と正太郎の持つバリカンの刃が入る。平吉の頭頂部に道が出来ると、漸く三郎太の顔にも笑顔が戻った。
「平吉、おっかしいの」
「何だよ、三郎太兄ちゃん。さっきまでめそめそしていたくせにさ」
「ほら平吉も出来たよ。列に並んでデーデーテーを撒いてもらっておいで」
三人が殺虫剤まみれの丸刈りになったのには理由がある。
彼らが生計を営む赤線区内でチフスが出た。何処ぞの店の、女給の子供が罹ったというのだ。衛生検査の厳しいこの区域でチフスが広まりでもしたら一大事と、その店は疎か一帯に住む者全員がDDTを噴き掛けられる羽目になった。男と子供は髪も刈るという念の入れようだ。正太郎と三郎太、平吉の三人も例外無く丸刈りが言い渡されたのである。
整ったかんばせの正太郎は、坊主にしても美しかった。ぞろりと剃り上げたうなじが浴衣によく映える。翻って、同じ柄の浴衣を甚平に仕立て直してもらった二人、三郎太と平吉は可愛らしい顔立ちではあるものの今の恰好ではどうにも説得力に欠ける。髪が伸びるまで客引きはお預けかもしれない。
「平吉が戻って来たら、冷やしておいた西瓜を食べようか」
「西瓜?」
「そうさ。差入れにってお客さんが西瓜を持って来てくれたのさ。二人には特別に大きく切ってあげよう」
道の向こうから、頭から粉を掛けられ真っ白の平吉が走って戻って来た。
「正太郎兄ちゃんも三郎太兄ちゃんも、おれに内緒で何をこそこそしているんだよう」
「こそこそなんてしていないさ。平吉が戻って来るのを待っていたんだよ」
「本当かあ?」
「本当さ」
「二人とも、こっちへおいで」
正太郎が店裏の小さな路地端へ二人を呼ぶ。店がひしめき合う狭い赤線区にぽっかりと空いた秘密の場所。お天道様の下を歩けない特飲女給よりも更に肩身の狭い彼らは、日陰の小さな秘密基地で時折こうして時間を過ごすのだ。
壊れ掛けていた祠を直し、草を毟り、石を置いて、その日の辛かった事楽しかった事を語り合う。
「平吉、どっちが種を遠くまで飛ばせるか競争だ」
「三郎太兄ちゃんには負けないかんな」
「お前ら、西瓜落とすなよ」
「あ」
「ほら見ろ」
「ばっかだなあ。ほら、おれの分けてやるよ」
「平吉、ほっぺたに種がくっ付いているぞ」
「どこどこ」
白いまだらの丸刈り頭が三つ。身を寄せ合うように生きる彼らのささやかなひと時は、昔日の思い出。
終
Twitterお題#深夜版創作坊主男子ワンドロ
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