鬼灯の鈴

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鬼灯の鈴

 時は昭和の元年、一九二六年のことでございます。尾張随一の遊郭、旭廓(あさひくるわ)が中村の地へ移って数年、関東の方では大きな震災のあった年でございました。  その年、ひとりの女郎が遊里ヶ池へと身を投げました。女郎の名前は鈴乃(すずの)。池のほとりでは目印にでもしたのでしょうか、鬼灯の鉢植えの傍で、襦袢にくるまれた男の赤ん坊が泣いていたと言います。程なくして、中村遊郭のあちらこちらで奇怪な人死にが起こるようになったのでございます。   「う、わああ、」  肝の抜けたような声と共に、金峰園二階の部屋から番頭が飛び出してきた。番頭は階段を踏み外しえらい物音を立てて転がり落ちる。 「どうした、騒がしい」 「あっあっ、旦那様。とうとううちもやられたかも」 「やられたって、まさか」  楼主と番頭が手を取り合って部屋を覗けば、そこには何か重たいものに潰されたような骸がふたつ。    これで三件目である。廓での情死など今に始まったことではないが、何せ見るも無残な客と女郎の変死体。おかしな噂が広まっては遊郭の営業に差し障ると、先の二件同様他言無用で闇に葬り去られた。  まことしやかに噂は流れ、泊まり客の敵娼(あいかた)を渋る女郎も出始めている。まだ被害に合っていない福本楼の楼主は一計を案じた。  情事を終えて客が眠り出した丑三つ時、どこからともなく鈴の音がしたと、唯一生き残った二件目の女郎が証言している。ならば鈴の音を合図に、控えていた男手が女郎と入れ替わり、奇怪な因縁(いわく)を突き止めてしまおうじゃないか。あわよくばその場で引っ括ってしまえ。  福本楼では番頭の他に呼び込みの牛太郎ひとり、下足番ひとり、部屋の采配をする廻し方ひとり、男手を持っている。いつ、どの部屋のどの女郎の元に奇怪がやって来るのかも分からない。泊りの部屋の押入に男手を張り込ませること数日。  廻し方の十太(じった)は、微かな鈴の音を聞いた。ちりん、ちりん。それは風に乗って遠くから聞こえてくるような十太の耳元で鳴っているような、不思議な気配である。  これか。客と女郎の睦言にも飽きて、窮屈な押入の中でうとうとしかけていた時であった。押入の中でも聞こえる鈴の音など、これはまさに奇怪に他ならない。十太はそうっと襖を開け、しどけない姿で客に添い寝をしている女郎の肩を揺すった。 「姐さん、姐さん。起きて下せえ」  女郎と入れ替わりにそっと寝床へ滑り込む。呑気にいびきを掻いている客に辟易としながら、十太は女郎の残り香漂う布団を頭から被った。  息を殺すこと数分。「ちりん」鈴の音はふいに大きく鳴り響く。続け様にひと息断末魔の声「ぐお」。  ぐっすり寝ていた客は、せめてもの幸いか寝ている間にあの世へ旅立ったようだった。  堪え切れず震える十太の布団の上にもじっとり湿り気のある重さがのし掛かってくる。 「オマエラヲユルサナイ」  低く唸る様な声。重苦しい空気に息が出来ない。十太は必死で布団から這い出した。黒く大きな影が十太の眼界一杯に広がる。まるで背骨の曲がった大男のようだ。 「てめぇ、なにもんだ」  十太とて女郎屋の若い衆(わかいし)だ。多少なりとも腕に覚えはある。己を必死に奮い立たせ、懐に忍ばせた小刀に手を伸ばした。 「オマエ、スズノカ」 「すずの?いいや、おいらは女郎じゃねえよ」 「スズノトオナジニオイガスル」  黒い大男は十太の腕を取り、軽々と布団に組み敷いた。  いけねぇ殺られる。客は布団の上で肉も骨もぺったんこに潰されているのだ。こうも易々と一本取られては、どう足掻いても勝ち目はねえ。十太はもはやこれまでと強く目を瞑った。  ぴちゃり、ぴちゃり。着物の裾が捲られ、股の間が何やら熱く濡れるような心持ちに、十太は慄いた。己の一物も意に反して硬くそそり立っているのが分かり、頬がかっとなる。 「なに、をしやがる」  黒い大男は十太の股の間から上半身をのそりと持ち上げると、ゆっくりとその体躯を十太に重ね合わせてきた。 「や、めろ、おいらは女郎じゃねえって言ってんだろ、が。見えねえのかよ」  女郎の残り香が十太に染み付いているのを勘違いされたに違いない。あらん限りの力で抵抗を試みるも、黒い影を押しのけることは叶わなかった。  次第に黒い影が十太の身体に入り込んできた。なんだ、これ。十太からふと力が抜けた。黒い影の心が、泣き叫んでいる。 「スマナイ、スズノ。スマナイ。オマエヲサガセナカッタオレモ、オマエヲヨゴシタオトコタチモ、ヨゴレチマッタオマエモ、スベテガユルセナイ。スマナイ、スズノ」  男の心がそう言って泣いていた。十太の髄の奥深くに直接届く様な声だ。十太はその男を知っていた。そう、わたしの愛しいあんた。正太郎さんね。 「正太郎さん、ごめんね。汚れちまってごめんね。わたし、あんたの子供産んだのよ。間違いない、あんたの子。それだけはわかってほしいの。ごめんね、正太郎さん」  十太は、そう言って黒い影を抱きしめた。己の全てで黒い影を受け入れたいと心から願っている己が不思議で仕方ない。けれど、十太はそうしてやりたかったのだ。  わたしは鈴乃。東京の吉原の女よ。正太郎さんが身請けしてくれるって、それを楽しみになんとか生きてきたけれど、大地震で店も何も無くなっちまって。わたしはからだを売るしか能がないからさ。正太郎さんを捜そうもせずにこっちへ流れてきたの。身籠っていると知った時にはどうしようもできなくなっていた。  せめて鬼灯をひとつぶ、口にできていたら。赤ん坊は産んだけれど、わたしにはもう赤ん坊を育てる力も生きていく力すら残っていなかった。  正太郎さんも死んだのね。ごめんね、こんな奇怪な姿にさせちまって。わたしをゆるせない、ゆるせないと思って死んじまったのね。  ぽとり、ぽとり。十太の顔に雨が降ってくる。黒い影は涙を零していた。 「スマナイ、スズノ。アカンボウヲウンデクレテアリガトウ」 「あの子の傍に鬼灯の鉢を置いてきた。お願い、あの子を。お願いします」 「オレカラモタノム」  いつの間にか夜は明けていた。福本楼の楼主と番頭、若い衆は部屋を開けると、はてこれは一体と首を傾げた。  潰れ死んだ客と部屋の隅でがたがた震えている女郎、布団の上で泣き疲れて眠る廻し方の十太。  七月七日の丑三つ時に、この部屋で何が起こったのだろうか。  これ以降、中村遊郭で奇怪な人死にはなくなりました。遊里ヶ池の傍で拾われた赤ん坊は遊郭近くの寺に預けられておりましたが、暫くして福本楼の十太が育ての親に名乗り出たそうでございます。赤ん坊は正太郎と名付けられました。  やがて太平洋戦争が始まり、十太も連れて行かれました。育ての父親を失った正太郎が流れ流れて春を売るのは、また別のお話でございます。          終  
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