四 六十にして学を志す

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四 六十にして学を志す

 私達には最低限、論文を公表することは許されていたが、長い間、それぞれの学会に受け入れられることはなかった。彼らは、私達のアラを見つけようと論文を読んでいたが見つからず、ただそれを真実とは認めたくはないようであった。未来を予測することはできないし、非科学的なことであると考えられていた。ただ真実があるだけなのだということが研究者としての思想であり、それは私も変わらない。 私達はそんな吹き上げるアゲンストの中、インチキであるとの無言の烙印を押されながらもこの山上建屋に籠城し、新たな論文を発表し続けた。ただ、私が五十五才を迎え、兄が六十才となる頃、私達を取り巻く風向きが変わった気がした。大陸の縁に位置するこの国にて、兄が主張していた沿岸域の海底火山噴火が立て続けにおこった。この状況は、この国に暮らす人類に大きな傷を与えた。研究者達は私達の論文を引用し始め、異質なこの二人と酷評されていた兄の論文もまた再評価され、引用件数は増えていった。私達の論文は一五年弱の歳月を経て、陽の目を見たのである。ただ、私は年老いて、兄もまた同じように年を取った。 一五年前に現在の出来事を予測していた私達の言葉に重みがでてきたわけである。一五年間、二人と二体で静かに暮らしていた山上建屋には、数名が私達の研究成果を理解したいと直接訪れ、にわかに活況を帯びた。 「昨日もアポイントメントのメールが来た。ところで今日の打ちあわせは何時からだ?」  兄は六十才を過ぎたが、昔と変わらぬ意欲を見せている。ただ、ここと下界を行き来する頻度は減ってきていた。下界にあった私の自宅はすでに売却し、兄もとっくに持家を手離していて、幼い頃に過ごした田舎の古い旧家だけが残っている。下山した時はそこに寝泊まりすることが多かった。  書壁は一五年の時を経ても色あせずに、私達の前に立っている。いつまで私達に情報を提供してくれるのか、見当もつかない。変わらずに存在する書壁と対照的に一五年前に一ヶ月程で建てたこの山上建屋は山岳地域特有の過酷な環境影響により、外壁の汚れや内装の破損が目立ってきた。山岳地域の温度変化による膨張収縮は様々な部材の劣化を加速させる。 「打ち合わせはたしか一三時からだよ。ヘリコプターではなく、自力で登ってくると言っていたから。まあもう少し早く到着するのではないかな。昼飯を食ってから打ちあわせだろうし。飯は持ってくるのだろう。」 「そうだな。今日登ってくるのは、情報処理関係の大学講師だったな。」  私は手元の履歴書に目を落とした。私の予測通りにユーラシア大陸の東縁、つまりこの国で大規模な海底噴火活動が起こった時から、そのことに興味を持った数名の研究者が山上建屋を訪れて来た。それは、今回のような情報科学分野の研究者もいれば、地質学や言語学の研究者もいた。彼らの多くは登山口からここまで自力で登ってきたわけである。それは一つ障壁となって、本当に興味を持った人間のみがここへ辿りつく結果となった。そのため増えたと言ってもその人数はたいしたものではない。今日のように月に数回、数名の研究者や学生が登ってきては私達とのディスカッションや書壁の観察、データベースの閲覧を要望してきた。データベースの閲覧以外は私達は彼らの要望に応えた。つまり書壁データベースの閲覧は開示しなかった。それはこのデータベースの商業利用を考えていたためである。一五年という歳月は私達を下界から孤立させた。私達は独自に研究資金を手に入れる必要があり、登山の繁忙期にはあふれた登山客を有償で宿泊させることもあった。書壁を維持するための資金を必要だったのである。効率的な書壁利用のため、書壁を利用して研究成果を挙げるため、純粋な興味のため。目的と手段は数年のスパンで入れ替わったが、私達の研究に賛同し、地質学―言語学―情報科学の三部門を縦断できるような組織を作ることをこの十年間は目標としてきた。                * データベースの商業利用を進めるために雇おうとしているのが、今登山道を登っている女性講師であった。三十才の独身女性で日本国籍であること、情報科学の分野、特にデータサイエンス分野で最近論文を多数公表していることなどは事前に送られていた個人情報シートには記載されていたため、情報としてすでに知っていた。データベースの商業利用と、情報漏えいを防ぐための人材が私達には必要だった。この分野以外に、言語学と地質学の分野から人材を集め、書壁を中心に据えた研究施設を作ることを長年の夢としていたのである。下界から登ってくる講師はどんな女性なのか。彼女自身の人間的な情報は何一つ私達は持っていなかった。学会で話したこともなく、やり取りをしたのはメールだけで、電話で話したこともなかった。 「そろそろ到着するかな。」 そういって二人でインスタントラーメンをすすっている。山ではこれが一番うまい。  南側に面した建屋二階の窓から登山道を登ってくる赤いウィンドブレーカーを着た女性の姿が見えた。彼女は長い髪を後ろに束ね、歩くたびに毛先が揺れていた。 「やっとお出ましだ。ラーメンを片付けよう。」 兄も私もこの年まで独身であった。この年までお互いに一人身でいたということに大きな意味はない。ただ結果的に結婚せずに生きていただけである。二人で研究にのめり込んでいたということも少なからず影響していたのだろうと私は思っている。 「どんな女性だろうか。優秀だと助かるな。ここまで来てくれる貴重な人材だからな。」  兄はそう言った。こんなにも長い間兄と一緒に研究をすることになろうとは考えてもいなかった。そうすると兄が考えていることは口に出さずともなんとなくわかる。これから登ってくる女性講師に興味があるのは間違いない。それくらいは私にはわかる。おそらく私が考えていることも兄はわかっているだろう。女性講師はどんな人間なのだろう。遠方の小さな点として見えていた姿が、縦に伸びてきた。もう数分もすれば到着するだろう。                 * 兄についてこの山域を歩いているとライチョウやカモシカ、キジなどの動物を見かけることがあり、山上建屋の近くでも見かけることがあった。最近は、さらにこれらの野生生物に加えてアンデスヤマネコが現れることがあった。アンデスヤマネコは山岳地域にのみ分布する猫で、尾は長く、足から尻尾の先まで濃茶色の縞模様で覆われていた。彼らは崖に覆われたここのような岩場でも自由に歩き回ることができるようである。昔は見ることはなかったが、山上建屋の周囲に研究者達を含め人が増えてきてから、周辺で見かけることが増えた。とてもかわいらしい見た目をしている。最近は残飯や人の気配を感じて姿を現すことが増えたような気がする。アンデスヤマネコはおそらく書壁背後の岩場のどこかを寝床としていて、どこからか現れては山上建屋の周りをうろついていたのだろう。ただ作業中のNUはこの猫を見ると突然凍りついたように動かなくなったり、逆に狂ったように四肢を振り回してひっくりかえったり、妙な動きをすることがあった。 アンデスヤマネコは二~三匹まとめて小さな集団で見かけることが多かった。いつの間にか研究所の建屋の周りに住み着いてしまった。 「こんにちは。カネコです。M.C.labの入口はこちらでしょうか。」 二階研究室に設置されたインターフォンに先ほどの女性の全身像が映し出されている。M.C.labという名をきいて一瞬なにを言っているのかわからなかったが、ここを訪れる研究者達がこの山上建屋のことを『Mountain cats lab (M.C.lab)』と呼び、兄がそれを面白がって正式名称にしたことを思い出した。アンデスヤマネコが出現するこの建屋に集った研究者達がここは山猫研究所だとふざけて話していたものを兄が気に入ったのである。                 * 目の前に立っている女性講師は窓から見た時と同じくらいに小柄だった。ダボッとしたウィンドブレーカーと大きなザックを一階入口の土間に置いてもらい、二階の居室に昇ってきた女性講師はさらに一回り小さく見えた。私達は小さな女性講師を二階の研究スペースの一つに座らせて、面接を開始した。事前に目を通していた履歴書に記された研究内容、これまでの業績、そしてM.C.labで、何をやりたいと思っているのか。すでにほとんど把握している内容だった。カネコ氏はとても優秀で情報科学に精通していること、M.C.labに大変興味があり、今後大変有用なものになるであろうこと、商業利用への道筋と今後の展望について理路整然と説明した。三十分ほどの面接時間で私達はカネコ氏が十分に優秀であることがわかった。私達は書壁の見学をおこない、『入山』を許可するとともに、膨大なデータベースを開示した。履歴書上はすでに三十才を過ぎていたカネコ氏だが到底そのようには見えず、実年齢よりも幼く見えた。それはカネコ氏の大きな瞳、細い縦長の虹彩、束ねられた長い黒髪のせいだったのかもしれない。さらりとした長いシャツの裾から見えているカネコ氏の左手の薬指には小さな指輪が光っていた。 「入山を許可します。」 私達がそれを決めたのはその数時間度だった。カネコ氏は大げさに喜ぶことはなく、にこやかにほほ笑むと静かに、今日からここに住み込んでも良いのですかと聞き、さっさと一階土間に荷物を取りに行ってしまった。M.C.labの拡大により、居住部分の建屋を増築すると山頂小屋の必要はなくなり、老朽に伴い閉鎖することが決まった。そこで小屋番を事務員として雇い入れ、合計四名でM.C.labは小さな所帯を立ち上げた。  小屋番が加わったのはカネコ氏が来てから数か月後であったが、それだけの間にカネコ氏は書壁情報データベースを用いて未来予測するというコンサルタント業を立ち上げていた。それは一五年間、観察と解釈しかできなかった私達にとって大きな驚きであった。カネコ氏は優秀なデータ情報科学者であり、カネコ氏の膨大なデータベースを華麗に有効利用する様に驚愕した。過去に私達が公表してきたことであったが、カネコ氏が始めたコンサルタント業とその広告活動により、書壁の存在と書壁に映し出される文字群が過去と未来の事象を提示しているということがより世間に広まっていった。現在この国に住む我々に恐怖を与えている大規模火山活動が起きることを事前に予測していたという事実は刺激的ではあったのだろう。 一部の不動産ディベロッパの業者が半信半疑でM.C.labに土地開発を依頼してきたのが始めの一歩だった。依頼内容は地質学的に推測できる地価上昇地域の選定である。この依頼を皮切りに、立て続けに次に起きるであろう地質現象を知りたいという人々からのコンサルタント依頼が集まってきた。
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