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0歳2月 初めての友人
仔馬が乳を貰っていると、隣の馬房から嘶きが聞こえてきた。
『おかーちゃん』
『なあに?』
『なんで、おとなりには、いつもスタッフさんたちが見に行くの?』
少し間が空いてから、隣の母親の嘶きが聞こえてきた。
『お隣の旦那さんも奥さんも、牧場を救った偉大な競走馬だからね。あの人たちがいなければ、私もきっとここに戻ってくることはできなかった』
『ふーん』
冷たい視線を感じた。
『じゃあ、べつにアイツがえらいわけじゃないね』
その会話を聞いた仔馬は、その通り。ついでにエロくてエゾキチックだよ…とボケた。
彼は、牧場スタッフたちから大いに期待されていた。母親から乳を貰えば誰かが見に現れ、放牧エリアで草を食めば2・3人のスタッフがスマートフォンで撮影し、走りでもすればギャラリーができてしまう。
そんなスタッフたちの期待とは対照的に、同級生たちからは反感を買った。牡は何でアイツばっかりと愚痴をこぼし、牝に至ってはずるい奴と言いたげな視線を向けてくる。
仔馬はおもしろくないと思った。同級生たちもスタッフたちも当たり前すぎる行動しかしていない。だから当たり前の反応が返ってくるだけの毎日を過ごすことになる。もっと好奇心を掻き立てられることがなければ、せっかくの青春が台無しだ。
そう思った直後に、牧場スタッフが馬房の掃除をはじめた。鼻歌を口ずさんでいるので、母カグヤドリームの世話ができることに喜んでいるのだろう。
仔馬はスタッフの背中を眺めていると閃いた。シャツがちょうど出ているから、引っ張っるとおもしろいのではないだろうか。
『こら、ジュニア!』
カグヤドリームに怒られたが、仔馬は心の中の満たされない何かを与えられたような快感を覚えた。今、スタッフのシャツは大きく伸び、彼の背中が見えている。仔馬にとっては斬新な光景だった。
「ああ、こら、シャツが切れる…やめてって!」
それからというもの仔馬はいたずらに精を出した。同じスタッフだけを標的にしてもおもしろくないので、他のスタッフにも、ポケットに干し草を突っ込んだり、ズボンを下ろしてみたり、靴紐を解いたり、膝カックンをしてみたりとバリエーションも豊富に取り揃えてみた。
するとスタッフたちは、仔馬にシュババというあだ名をつけ、以前にも増して可愛がるようになった。この程度の粗相など可愛いものなのだろう。
隣の馬房にいた仔馬ブラウンカグヤの2022は、そんなシュババを毎日観察していた。吹雪に見舞われた日も、つまらなそうに視線を向けている。
『かーちゃん』
『なあに?』
『こんな吹雪の日まで、スタッフさんが見に来てるよ。シュババのどこがいいのかなぁ?』
『ダメよそういうこと言ったら。生まれた日も近いのだからいい友達になれるかもしれないよ』
『でもアイツみたいな馬を、ああいうライバルをやっつけたい』
ブラウンカグヤは困った顔をしたが、2022は恨めしそうな表情を隣の良血仔馬に向けた。
『だって、おとーちゃんは速かったんでしょう。だけど、かてなかったせいで、おしごとが…なかなかもらえないみたいってスタッフさんたちも言ってた』
『それは、仕方のないことだよ。誰が悪い訳でもないの』
一方、隣の馬房にいた良血仔馬シュババも、隣にいる仔馬が気になっていた。
『母さん』
『なあに?』
『となりの仔…速そうだね』
『それはそうでしょう。お隣の奥さんはドドド…お父さんさえ恐れた競走馬ですし、旦那さんは、誰よりも果敢にダービー馬に挑んだ方です』
シュババは納得だと思いながら頷いた。
『それに、あの仔の毛並み…おもしろい』
カグヤドリームも頷いた。
『ええ、白と茶色の模様…ホワイトスポットと言うべきでしょうか?』
『それだと誰の子供かわからないから…ブラウンスポットなんてどうかな?』
「その名前、いただき!」
そう言ったのは、今年牧場長になった柿崎ツバメだった。人間は基本的に馬の言葉を理解できないはずなのだが、彼女は例外で、このような馬同士の会話にも頻繁に割り込んでくる。
『ちょっとツバメお姉さん。これはあだなみたいなものだよ』
「いいの、これいじょうピッタリな名前もないでしょう」
柿崎ツバメは鼻歌を歌いながら隣の馬房に立つと、ブラウンカグヤに向かって言った。
「ブラウン、あんたの息子の名前だけど…ブラウンスポットを推薦しておくよ」
唐突に言われたブラウンカグヤの2022は不機嫌そうに口を開こうとしたが、ブラウンカグヤは、にっこりと笑った。
『わかりました。是非、私の愚息を可愛がってください』
柿崎ツバメは鼻歌を口にしながら納屋を出ると、シュババは申し訳なさそうにブラウンカグヤを見た。
『ごめんなさい。僕が変なこと言ったからお子さんの名前が…』
『いいのよ。ブラウンスポットなんて素敵な…』
『そんなわけあるかぁ!』
ブラウンカグヤの2022は、声を荒げてシュババを怒鳴りつけた。
『チョーシにのるなよオマエ…!』
『こら、ブラウンスポット!』
その言葉を聞いたブラウンカグヤの2022はショックを受けた様子で震えていた。生まれて初めて母親に怒鳴られただけでなく、気に入らない同級生の考えた名前が容認されてしまったことが、あまりに衝撃的だったのだろう。
『……』
妙な間が空いた。シュババもカグヤドリームも、ブラウンカグヤも黙って、ブラウンスポットを見つめると、彼の瞳が潤んだままゆっくりと歪み、やがて1粒の涙と共に、今までにない大きさの嘶きをぶちまけるように響かせた。
『みんな、みんな、だいきらいだーーー!』
ブラウンスポットが馬房の中で暴れると、偶然にも出入り口が開き、勢いよく廊下を駆け抜けて納屋の外まで走り去ってしまった。
『ちょっと待て、外は吹雪だぞ!』
シュババの父ドドドドドドドドドが叫んでも、ブラウンスポットが止まることはなかった。
責任を感じたシュババは、馬房のカギを揺すると開いた。どうやらロックが完全にかかっていなかったようだ。
これは幸いと馬房から出ると、一目散にブラウンスポットを追った。カグヤドリームやブラウンカグヤの声が聞こえたが、そんなことに耳を傾けている余裕などない。
一番最初に飛び出したブラウンスポットは、銀世界の真っただ中で立ち尽くしていた。あまりに雪が激しすぎて目の前が満足に見えないのだろう。
『うわ…』
彼は突風にあおられながら目を細めると、遠くから仔馬の嘶きが聞こえてきた。
最初のうちは意地を張るように黙っていたブラウンスポットだったが、次第に体が震えだし、心細くなったらしく瞳に涙が溜まりはじめた。
『さ、さむい…なんだよ…これ?』
ブラウンスポットは、本能的に雪の中にいるのが危険だと理解したようだ。慌てて戻ろうとしているのか、辺りを見回していたが、どうすることもできないようだ。
そんななか、再び嘶きが聞こえてきた。
『おーい、ブラウンカグヤの2022…返事をしてー!』
『……』
この状況にあっても、やはりシュババに助けてもらうのには抵抗があるようだ。再度、シュババの嘶きが響いても、ブラウンスポットはもじもじしている。
すると、どこかから雪が崩れ落ちる音が聞こえてきた。
『うひゃあ!? なんだ…いまの音!』
『そこにいるのかい?』
ブラウンスポットはバツが悪そうな顔をしたまま、ゆっくりと嘶いた。
『そ、そうだよ…そっちはだいじょうぶ?』
『平気、今行くよ』
間もなく足音が聞こえてくると、額に目立つ白斑のある小さな仔馬が姿を見せた。毛並みは栗色で脚は4本とも真っ白な毛に覆われ、まつ毛は長く、賢そうな顔立ちをしている。
ブラウンスポットがじっくりとシュババの立ち姿を見たのは、これが初めてだった。
『カグヤドリームの…2022』
シュババは、ブラウンスポットに寄り添うと辺りを見回した。
『ここは…どこだろう? 納屋からそれほど離れてはいないと思うけど』
『ば、バカじゃないか…ボクなんてほっとけばよかったのに…』
その言葉を聞いたシュババは目を細めた。
『バカの由来はたくさんあるみたいだけど…シカをウマと思い込める人間の方が、たくさんの家来を従えられると思わないかい?』
ブラウンスポットは核心を突かれたように目を見開いた。
『歩ける?』
『う、うん…』
吹雪は相変わらず激しく、2頭の仔馬の視界を完全にふさいでいた。
『このままじゃ、ぼくたち…どうなるんだろう?』
『凍え死ぬだろうね』
ブラウンスポットが落胆したように首を下げると、シュババは更に言った。
『だけど大丈夫』
『え…どういうこと?』
ブラウンスポットが顔を上げると、シュババはしっかりと前を見据えて鼻腔を広げた。彼の力強い息が煙のようにあたりに広がっていく。
『君のお母さん…ブラウンカグヤは、どんな強いライバルにもぜったいに背中を見せなかった馬…いやアスリートだった』
その瞳がブラウンスポットを映した。
『お父さんもそう。ダービー馬に何度負けても、決して頭を下げない競走馬だ』
シュババはブラウンスポットを鼓舞しながら自分自身も納得させた。自分の側には優秀なパートナーがいる。だからこんな吹雪なんかには負けないと信じようとしていた。
しかし、ブラウンスポットは脚を止めた。
『ブラウン…?』
振り返ると、その相棒は絶望した様子で視線を返してきた。
『ボロ負けでもギリギリの負けでも…負けは負けだよ。弱い馬に、かちなんてない!』
その腹の底から絞り出すような嘶きこそ、ブラウンスポットの本心なのだろう。シュババもまた勢いよく反論した。
『その、弱いと思われていた馬が…勝つこともある!』
ブラウンスポットが目を大きく見開くと、シュババは何だか急に恥ずかしさを覚えた。
『今のは全部、父さんとお母さんの受け売りだよ』
シュババはしっかりと前を睨んだ。
『とにかく…においをさがそう。小生は君の、君は小生のにおいをさがして』
ブラウンスポットは、それはそうだと言いたそうに頷いた。自分自身のにおいは意外と見落としがちだが、大嫌いなシュババのにおいならわかる。
2頭は吹雪の中、鼻を地面近くに寄せて探るように歩いた。
ホワイトアウトという状況にも関わらず、シュババとブラウンスポットは、元居た納屋へとたどり着いた。
その時にはドドドは、ツバメや他のスタッフたちと一緒に表に出る準備をしていた。
「あ、ツバメ嬢…2頭が戻って来ました!」
「もう、こんな吹雪の中に飛び出してっちゃダメでしょう!」
『しんぱいかけてごめんなさい』
ブラウンスポットが謝ると、ツバメは大きくため息をついて他のスタッフたちにわかるように翻訳した。
「とにかく、体を拭いてやるから、早くお母ちゃんのところに戻りな」
スタッフたちはブラウンスポットたちの体を拭くと、仔馬たちはそれぞれの母親の元へと戻った。
やがて、無事に3月を迎えたシュババは、納屋から出ると放牧エリアへとやってきた。そこでは、生まれたばかりの同級生たちが追いかけっこをしていたが、シュババの姿を見ると表情を変えた。
『あ、ミライダービーウマさんがきたよ』
『レンシューのジャマにならないよーに、バショをあけよう』
同級生たちは、皮肉たっぷりにシュババから遠ざかっていくと、背後から別の馬の嘶きが響いた。
『あいかわらずだな、天才ウマさん』
それはブラウンスポットだった。シュババも笑いながら嘶き返す。
『当然だよ。場所を空ける才能だけは、誰にも負けないからね』
ブラウンスポットは豪快な笑い声を響かせた。
『オマエって…やっぱりサイテーだよ!』
風が2頭のたてがみを揺らすと、彼らはお互いを見あった。
『少し走らないか?』
『うん!』
シュババとブラウンスポットは、仔馬とは思えない脚力で放牧エリアを駆けはじめた。
他の同級生たちは、シュババだけでなくブラウンスポットも嫌っているらしく、特に牝馬たちが否定的な視線を向けていた。
『ミライダービーウマさんと、ダービーフーキイーンチョウさんがならんではしってるよ』
『サイコーのコンビだよねぇ』
『うん、けっしてマネできないゴーカイなはしり』
シュババを邪魔者扱いする同級生は多いが反応はそれぞれだった。ただ冷たい視線を向ける者もいれば、今のように悪態をつく者もいる。
その中でも特徴的なのは、体格の良い牝馬だった。彼女は闘争心をむき出しにした。
『今日こそは、負けないよ!』
彼女は牝馬とは思えない脚力でシュババたちを追ったが、ブラウンスポットがちらりと視線を向けるだけで、軽くあしらわれるように引き離された。
『ぜったい…ぜったいに…追いついてやるー!』
シュババはここではじめて背後を見た。その目は真剣で、肝に銘じておくと答えている。
シュババとブラウンスポットは出入り口を駆け出ると、牧場の入り口から納屋を眺めていた。
『あの吹雪の日に迷い込んだのって、ちょうどこの辺りだよね』
『うん、こうしてみると…本当に近いんだな』
しみじみとした様子のブラウンスポットとは対照的に、シュババは不安そうに言った。
『結局、君の名前はブラウンスポットになってしまったけど、気に入らないのなら別のを考えるよ』
ブラウンスポットは首を振った。
『わかってないなー。だいっきらいなオマエが付けた名前だからこそ、いみがあるんだ』
『どういうこと?』
シュババが首をひねると、ブラウンスポットははっきりと言った。
『この名前は、ショーガイのライバルから受け取った、チョウセンジョウだと思ってる。オマエら親子はこーいうナマエ好きなんだろう感もマンサイだし!』
『なるほど。そういう考え方もあるのか…』
『オレとオマエはてきどうし。だから安心しろよ!』
ブラウンスポットがほほ笑むと、シュババは照れ臭く感じながら目を逸らした。
その直後にブラウンスポットは変な顔をした。
牧場の看板には【ほのぼの育成 グランパ牧場】と書かれていたが、ほのぼのの前に、とても大きくスパルタしきという言葉が削り込まれている。
ブラウンスポットは首を傾げた。
『カンバンにこんな字…書いてあったっけ?』
『ああ、これは昨日…小生が書いたんだよ。ほのぼの育成ではグランパの競走馬の本当の姿が伝わらないから』
『なんで、馬のお前が字を書けるんだよ!?』
『字をかけた方がエゾキチックだと思わないかい?』
ブラウンスポットは『エゾキチック…北海道テキって言いたいのか?』と呟きながら疑問を口にした。
『お前、実は自分のことをヒトだと思ってたりしない?』
シュババはきっぱりと答えた。
『そんなことはない。小生はサラブレッド…ウマ目、ウマ科、ノウマの亜種だよ』
『うんうん、それこそエゾキチックな馬の答え…なわけねーだろ! お前の頭の中には何が入ってるんだ⁉』
『3日前に家出したので、現在はノーミソです』
もはや、何も言い返せないブラウンスポットであった。
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