パンが食べたいだけで

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 お店を開けて、食パンを売りさばく。平日より土曜のほうが売れるらしい。反対に他の惣菜パンの売り上げは減るそうだ。 「へえ、おもしろい」  私はまた卵の殻剥き係。今日のたまごは高級品ではないらしい。お風呂に入ったせいもあって、指先がふやけたままだ。それでも、ちょっと幸せ。  イサさんはずっとレジにいる。子ども連れが多くてがやがやしているけれど、客単価はそんなに高くないみたい。少子化のせいだろうか。でも店が賑わっているのを見るのはなんだか嬉しかった。壁に沿ってずらりとパンが並んでいる。真ん中に小さなテーブル、レジ脇に冷蔵のもの。店自体は10坪くらいだろうか。奥の厨房も同じくらいの広さ。オーブンやら大きな冷蔵庫があるのでこっちのほうが狭く感じる。  チンとオーブンが鳴って久しい。忙しすぎて忘れてる? 余熱で休ませているのかもしれない。気が回っていない? 「イサさん、オーブンのパン並べましょうか?」 「あ、やるよ」  並べることはできても、イサさんのように、 「焼き立てですよ」  と大きな声で言えないもの。言えるようになるのかな。いらっしゃいませだって気恥ずかしいのに。  イサさんの声につられて次々とパンが売れてゆく。私のサンドイッチも完売。  10時頃にやっと遅い朝食。 「土日はいつもこう」  イサさんは立ったままコーヒーを淹れてパンを食べた。チーズのパン。フランスパンじゃない。パウンドケーキを大きくしたような形のパンにチーズがねじ込まれている。 「おいしい」  頬張る場所によってはチーズのみを食べている。 「これはわりと売れるんだ。硬くなっちゃったらちょっと焼いてもいいし」  イサさんはちぎって食べていた。 「私はおいしいものしか食べていないのに口コミひどいですよね」 「見たの? やだなぁ。店を始めて間もない頃のが多いんだ。金を払って買ってるんだからおいしくて当たり前、悪ければバッシングっていう風潮だよね。最近は特に。クリームパンは再考中です」  オーブンの音がして、イサさんは店に戻った。私は忘れているだろうシーツを2階のベランダに干した。  血が消えてくれてほっとしている。私の体の奥はまだちょっと痛いです。  ここで抱かれたんだな。あの人に。そんなことを思い返してしまう私はふしだらなのでしょう。  家々の屋根を見下ろしながら、どこの家でもあんなことをしたりパンを食べたりして生活しているのだなと思うと急に世界が美しく見えた。  それを終えたらお店で接客のお手伝い、パンを並べるお手伝い。私の仕事はお手伝いだけだ。 「ありがとうございます」  とイサさんが言うと、 「ありがとうございます」  と返してくれるお客さんもいる。  ロールパンにたまごを挟んでたまごサンドの出来上がり。ポテトサラダは業務用のものだ。作ってる暇なんてないのだろう。でも、作ったほうがおいしいだろうに。
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