パンが食べたいだけで

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 緊張したままでちっとも睡魔が訪れない。イサさんは熟睡。心臓の鼓動が聞こえる。男の人は速いのかな。イサさんの腕が重い。いつか、私もこの人の腕の中で熟睡できるときが来るのだろうか。  目覚ましが鳴ったのは5時。 「おはよ。電気つけたまま寝ちゃった」 「おはようございます」  男の人がパンツを履く姿って、なんだか弱々しい。昨日は強引にあんなことしたくせに。 「着替えたら下おいで」 「はい」  布団を剥いでぎょっとした。本当に血って出るんだ。ちょっとだけど、明らかに血だ。どうしよう。  昨日から悩むことばかり。  階下に降りてもイサさんの姿はない。もうパンを焼いていた。 「発酵が終わった分をこれぐらいにして、こうして丸めて3つ入れて焼きます。で、焼いてるうちに次の分を発酵。今日はお風呂に入っちゃうね。いつもは夜入るんだけど」 「あのう、洗濯機をお借りしたいです」  と私は申し出た。 「洗濯はまとめてするので洗うものはそのカゴに」 「諸事情で、早急に洗いたいのです」  シーツを見せるのは嫌だったし、イサさんも血は苦手だと言うので丸めて洗濯機に突っ込む。 「ごめんなさい。大事にしたつもりだったんだけど」  イサさんが頭を下げる。 「いや、最初だから出ちゃうんだと思う。すいません、迷惑かけて」  自分の体のことなのに確証がない。でも、まだじんじんする。  イサさんがお風呂に入っている間、オーブンの見張り。タイマーはあるが、一度だけ黒焦げにしたことがあったそうだ。膨らむ。え、まだ膨らむの? 入れ物より出すぎ。あんなに小さかったタネがすっかり食パンの形。イサさんの食パンは正方形ではない。膨張してこの形になるのだ。納得。フタをすると正方形になるのかな。 「焼けてる?」  イサさんの顔が近い。 「はい」 「もうちょっとだな。そこ熱いから触るとき気をつけて」 「はい」 「まおさんもお風呂入ったら?」 「あ、はい」  ふっと笑って、 「そんなに緊張しないで」  と頭を撫でた。 「しちゃうんです。ごめんなさい」 「そうだよね。ごめん」  人の家のお風呂も初めて。あったかいし、眩しい。昔から朝にお風呂に入るとなぜか関節が痛む。処女じゃなくなっただけ、それなのに体がほっとしている。内側から温かい。これはなんの魔法なのだろう。  イサさんのTシャツとスウェット。エプロンも新しいものが用意されていた。パン屋だから清潔感は大事にしているのだろう。
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