パンが食べたいだけで

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 働く? 私が?  この数年は考えたこともなかった。大学時代、みんなが落ちた会社に自分だけ内定をもらって嬉しかった。入社して、揉まれて一人前になるよりはるか手前で私は挫折した。そんな私が働けるのだろうか。  帰り道、下校途中の小学生の集団と、彼らを見守る保護者達とすれ違う。大人たちはお喋りに夢中でちっとも子どもを守っていない。子どもたちは守られていると思い込んでいい気なものだ。私もそちら側にいたい。  でもね、大人にはなってしまうんだよ。時間が経つだけなのに勝手に二十歳を過ぎたらもう大人。そうなのかな。親が生きているうちは子ども扱いしてよ。普通の家ならそれもいいのかもしれない。私は違ったから、大人ぶって、大人になりきれなくて、潰れた。  反逆者だったらそこにいる子どもや大人を殺すのだろう。私にはその野望も勇気もなく、パンを持ってひっそりと移動中。  早く食べたい。ひとつのことしか考えられないのは昔からだ。  無事にプレハブへ帰宅。ドアを閉めて施錠。 「ふう」  大冒険だった。今更、ドキドキ。既にへろへろ。足の裏が痛い。こんなに長時間歩いたのはどれくらいぶりだったのだろう。服は入ったけれど、太っている可能性もある。というか、筋肉が落ちて体がぷにぷにしていることには気づいていた。  コーヒーも好きなほう。味にはうるさくない。お湯を沸かしてインスタントコーヒーを用意。ドリップがいいけれど、ゴミが増えることは避けなければならない。それ以外にここにいる私には使命がない。 「いただきます」  いざ、口に入れる。コーンのパンはマヨネーズの味しかしない。油っぽい。パンの味がしない。期待外れ。  クリームパンまでパサパサ。コーヒーがなければ窒息している。なぜだろう。口の中でカスタードが潤滑油の役目を果たさない。カスタード自体の味は悪くないのに。  コーヒーで流すように飲み込んだ。 先ほどから、外は打って変わって風の音がする。やっぱり外は寒くて嫌いだ。  隙間風すら入らないプレハブの中でパン屋を検索する。『冨田パン』の口コミはひどかった。 『先代のときはおいしかった』 『店主の愛想が悪い』 『食パン以外おすすめしません』 『どうやったらあんなにまずいパンが作れるのでしょう?』  やっぱり店主が変わっていた。もっとおじさんで眼鏡をかけたひょろっとした人だった。今の店主は息子さんなのだろうか。悪い人じゃないのだろうが、パン屋としては腕が足りない。  私ごときが人を精査するなんておこがましい。  明日、行かなくちゃいけないのだろうか。私に働くことなどできるのだろうか。  どうしてそんな流れになったんだっけ? 今日を思い返してみる。 「お店で食べたパンはおいしかったな」  クルミの触感とよもぎの味が舌に蘇る。今度はよもぎあんパンがいいな。  今度っていつだろう、私がここを出るのは。このままではずっと閉じこもっているに違いない。  何時に行くべきなのだろう。聞かなかった。電話もしづらい。もう混んでいる時間帯だろう。
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