パンが食べたいだけで

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 眠ったらチーズにまみれる夢を見た。単純なのは昔からだ。影響を受けやすいとも言う。小学生のとき算数のテスト結果が悪くて数字の9に追いかけられる夢を見た。怖くて、今でも9は嫌い。  パン屋の朝って開店前に準備をするからとてつもなく早かった気がする。5時? 4時?  目覚ましはかけなかった。起きられなかったらそれまで。  会社に行かなくなってもしばらくは6時半に起きていた。私ってそういう人間。  営業時間は7時から。だから6時に行った。お店のドアは開いていなかった。それでもいい匂いがする。寒い朝で、鼻から吐く息も白い。  空が青い。やっと見上げられた。久しぶりだね。ずっとあなたはそこにいて、変わらないのでしょう。私は大きくなって、弱くなった。  店主さん、発見。パンを並べている。食パンだ。1斤のまま並べている。  気づいてほしくて窓越しに手を振った。 「あれ、おはよう。本当に来てくれたんだ」  昨日と同じ困ったような笑い方。笑うと目尻に皺ができるから、そこそこの年齢なのかもしれない。 「おはようございます」 「寒いね。入って」 「うわ、すごくいい匂い」  店内にはまだ食パンだけ。 「食べてみる?」 「いいの? 嬉しい」  食パンを半分に割ったら湯気が立った。なんだろう、見ているだけで幸せ。 「どうぞ」 「いただきます」  なにもつけていないのに甘い。なにもつけていないからうまい。  私の口の中はパンでいっぱい。 「どう?」 「おいしいです」  噛むほどに唾液に絡む。 「朝一は食パンだけなんだ。これから他のパンを作り始めます」 「私はなにを?」 「開店するとちょっと混むので接客」  そんなのできない。 「無理です」 「慣れたらね。今日は卵の殻剥いて。それ全部ね。ゆで卵くらい剥けるでしょ?」 「はい、たぶん」  エプロンとバンダナを貸してくれた。手の洗い方を教えてくれる。ちゃんとしている人だなと思った。 「肘までしっかりね。爪はこれでゴシゴシして」  と大きな歯ブラシのようなものを渡される。 「はい」  水分をきちんと拭ってアルコール除菌。  開店のときだけちょっと混んだ。お客さんがささっと来て、食パンを買う。そのままの人もいるし、カットする人もいる。皆さんの朝食になるのだろう。  私は後方でひたすら卵を剥く。剥きづらい。使っていなかった指がもう疲れを訴える。たまごサンドならどうせぐちゃぐちゃにするのだろう。
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