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煽惑
ディーファン公爵家のベッドは快適で、ルエナの専属侍女が公爵家奥にひっそりとある使用人用反省部屋に監禁されるようになってからは使用人たちとも少しだけ仲良くなり、けっして居心地が悪いとは言えない。
それでもシーナは睡眠のためではなく、一時的な保護のために設置されている薄いマットレスの上で、心地よく目覚めた。
「うぅ~~~~ん!ああ~~……よく寝たぁ……」
「……そんなに快適に目覚められると、我がディーファン家のもてなしが悪いと勘違いされかねないのだが……」
「う、うわぁっ!アルッ?!」
やや落ち込んだ表情のアルベールがベッドの横に座っているのを知ったシーナは、ビクッと大袈裟なぐらいに驚いた。
起きたてで周囲に気を配る余裕もなかったのだが、まさかここまで護衛についていてくれるとは知らず、シーナは気絶ついでにぐっすりと眠りこんでいたのである。
「ア…アハハハ~……いや、ごめんごめん。ほら……アタシって生まれついてはド貧民……いや、賤民?せんべい布団でもありがたいっていう暮らしだったから」
「せんべい……?」
「いつか作ってあげるわ……同じ物じゃなくても、近い物が作れると思うから」
米があれば見様見真似だったり、テレビの情報番組で見た作り方を思い出して作れるはずだ。
穀物がなければ、焼き物か何かで再現すればいい。
食べ物に拘らないのなら、人形用の布団で再現しても──
「結局あの者は医師として確かに勤務はしていたが……心理的に人の不安を煽ったり宥めたりするのに長けていて、また催眠術も使えたようだ」
「催眠術……」
「これもまた軽く精神を支配するような薬を使っていたらしいが、その時に体調だか精神だかに強く適応する者がいたようだ。夢現に婚約者では満たされない不満を吐露させ、そこを意識的に埋めることで自分に依存するように仕掛けていた。自ら純潔を捧げるようにと唆したことはないと言っていたが……それもどこまで真実なのか」
「……そう……きっと後悔している令嬢もいるわね……」
「ああ、学園卒業後に婚姻するはずが令嬢側から破棄して修道女になった者もいるし、『病死』や『事故死』とされているが葬儀など諸々が終わった後に貴族院に届けを出している家もある」
「そんな……」
「きっとすべてがそうだというわけではないだろうが、病死は特に疫病の素となることを恐れ、遺体は火葬されることが全国民に義務付けられている。事故死の場合も損壊した遺体を永久に残すのは忍びないと……」
「そうして遺体がなくなれば、その後に不貞の痕を暴くことはできないし、貴族家としての体面も保たれるってわけ…ね」
「ああ……」
高潔さに攻撃性が高まっていたルエナがまさか王太子以外の男性に肌を許すことはないと思うが、学園内で倒れ、薬物入りのお茶で精神的にも脆弱になっていたところに新たな投薬で自我を失わせてモノにし、自分に対して誘惑したから恥をかかせないために応じたとでも主張されれば、婚約破棄どころか他家の令嬢の死と同様のことが起こり得たかもしれない。
そこまで悪辣な手が伸びていたとは思いたくはないが、公爵令嬢に対してかなり威圧的に攻撃できる人間というか家格を考えれば、不可能ではないと疑いたくもなる。
「どちらにしてもこの学園からいかがわしい行為を行う要注意人物として排除されることは決定したし、これ以上身体を穢される令嬢は出ないだろう」
「そうね。できれば男性の医師だけでなく、女性の医師や看護師も数人置いてほしいところだけどね」
「うぅむ……しかし、女性の医師というのは……そもそも女性に医師など……」
まさか自分のこの一言がシーナにとって地雷のひとつだとは思わずに、アルベールは考え込みながら小さく零した。
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