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無知
『お嬢様』たちにあまり下賤な、というか前世の記憶から引っ張られる言葉を漏らすことは控えた方がいい──シーナは「後でね」と言ったが、エリー嬢にもルエナにもその意味を言わないことに決めた。
いやそこまで好奇心を持ち続けるとは思わないが。
「それよりも、エリーにはもう少し算数とか勉強が必要ねぇ……」
「そうね。読み書きはできるのだけれど……どうやらイェン伯爵は、エリーには基本的な教養として本を読むことと、刺繍、ダンスを習うことだけはさせていたのよね?」
「はい、ルエナお姉様」
「え?じゃあ、ちゃんと勉強はしてたのね?」
「それが……」
言い淀んだエリーはチラッとルエナに視線を送ってから、恥ずかしいというように顔を赤らめて俯いてしまった。
そんな様子の可愛らしい妹分に視線を返しながら溜息をついたルエナは、シーナがまだ知らなかった情報を教えてくれる。
「それがね、シーナ……エリーのお父様は計算を教えてはいけないと、家庭教師だけでなく伯爵家に仕える使用人すべてに言いつけていたようなの」
「は?」
シーナはその言葉に思わず目を剥いた。
たとえ高位貴族であろうと、女性は婚家の家政を預かる。
さすがに王妃や王子妃となればその規模は大きくなりすぎて、必要な都度に必要な部門の女官を呼んで必要な額を算出させ、それから与えられた後宮予算を振り分けたり臨時で支出したり、もしくは収入を把握しなければならないが、それに計算能力は必須なのだ。
なのに、自分の娘に必要な学習機会を与えないなんて──
「何てこと……いや、それはそうか……あまり賢くなると、自分が上に立てなくなるから……」
「シーナ?」
「シーナお姉様?」
ブツブツと呟いて推測を始めたシーナに声を掛けたがそれに反応はなく、ルエナとエリーは不思議そうな表情を浮かべてお互いの顔を見る。
「イストフ!」
「え?」
「あの……イストフお兄様は今、エビフェールクス家のタウンハウスにいらっしゃると思いますけれど」
「あ、そうよね」
何だかんだで学園内では一緒に行動しているため、リオンが遠ざけた他の学園内側近と違って一緒にいることに違和感が無さすぎた。
おまけに何かと都合をつけては、ようやく初恋のエリーに会いにこのディーファン公爵家にやってくる。
「まあちょっとロリコン入っているのは、見たことないイストフ兄と同類って気もしないではないんだけどね……」
「え?」
「何でもないよ~。そっか……まあそうだよね……でもやっぱり、エリーのためにも初級計算ぐらいはできておいた方がいいよねぇ」
「そうですわね……では、家庭教師をつけましょう」
あまり悩むことなくルエナが微笑む。
「え?いや家庭教師って。普通、預かったお嬢さんの教育係って雇わないよね?」
「ええ。『普通』ならまずわたくしより年下の側付きなど置きませんもの。でも、エリーは違いますでしょう?何となく……この子を今の状態のままイストフ様が娶られるのはいけない気がしますの。イストフ様のお兄様が『本当は自分の婚約者なのだから』と取り返しに来た時、知識があるのとないのとでは違いますでしょう?」
フフフ…と笑うルエナだが、シーナにだけ向ける目付きには『エリーを守ってあげましょうね?』という強い意志が感じられる。
むろんそれには大賛成ではあるが、シーナはそれはそれとして、イストフから彼の兄と義理の父になるはずのイェン伯爵のことを聞き出すことも心に書き留めた。
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