幼児

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幼児

計算に関しては──まあ期待はしていなかったが、エリーの学習能力は本当に初級程度だった。 必要最低限の読み書きはできるため、文章問題を読む(・・)ことはできるのだが、そこに意味(・・)を付随させてしまう。 『リンゴが2個ありました。Aくんが3個持ってきました。Bさんが1個食べました。残りはいくつでしょう』 「えっ!お友達が持ってきたリンゴを、1人で食べてしまったのですか!そんな……お腹を壊していませんか?」 「いや、そういう問題ではなく……」 『オレンジは1つ銅貨3枚です。リンゴは1つ銅貨2枚です。お母さんはオレンジ3つとリンゴを5つ買ってくるようにと言いました。CちゃんとDくんは銅貨を何枚出しましたか』 「まあ!CちゃんとDくんはすごいですのね!わたくし、オレンジとリンゴは1つずつしか持てませんわ」 「いや、これは持って帰るのがどうとかいうのでは……」 簡単な足し算や足し算と引き算が加わった文章問題を解かせるのは、単純な計算だけでは美しくないという貴族が多いため、エリー嬢のために雇った家庭教師が選んだものだが、どうにも理解してもらえない。 では庶民のように本当に数字と記号だけで問題を出せば── 2 + 3 – 1= 3 + 3 + 3 = 2 + 2 + 2 + 2 + 2 = 9 + 10 = 「まあ!数字の間にあるこの読めない文字は何ですの?え、これが演算……まあ!ではこの十字の記号は何て言いますの?何故こんな形ですの?」 「お、お嬢様……形ではなく、この記号は『足す』や『引く』という意味ですので、それに従って計算していただかねば……」 「どうして『引く』となりますの?」 最終的にはリンゴやオレンジ、そして銅貨や銀貨を並べて物質的に理解してもらうという幼児に教えるが如き方法で、ようやく先に進み始めた。 「……初級計算もできないお嬢様は初めてですわ……」 「そうなんですか?」 「ええ。普通は乳母などが簡単な計算を教えますの。わたくしたち家庭教師はそれを下地として、貴族学園に入っても困らないだけの知識を与えます。ですが……」 チラッと見るその視線の先には、応用としてリンゴの前に銅貨を5枚置き、2つの時は銅貨は何枚という進んだんだか戻っているのだかわからない授業を、ルエナが幼少期に遊んでいた人形たちを生徒に見立ててエリーが行っている。 それに付き合っているのはエリーと同僚と言えるはずのルエナ付きの侍女だが、彼女たちまるで彼女がルエナの妹のような態度で接していた。 「……本来はああやって遊ぶのは、それこそエリー嬢が5歳ぐらいの時でなければならないのです」 「でしょうね」 前世の記憶があるとはいえ、さすがにシーナが『詩音』だった時の幼児期など忘れてしまっているため、きっと幼稚園生ぐらいであればああやって友達と遊ぶのだろうなと考えた。 確か園児共同で使える玩具の中には精巧にできたレジ台があって、『お店屋さんごっこ』なんかして遊んだような気もする。 しかしああやってお人形遊びで計算や文字を教えるのならば、子供向けの絵本があってもいいと思うのだが、どうやら宗教経典を子供向けに砕いて優しく教えるのは『子供のためにならない』という考えがこの世界の一般なのか、絵画ですら子供向けではない。 「……本当に、全部解決したら『絵本』を発行したいわ」 「えほん?何ですか?それは」 「え?たとえば、犬と猫がこうやって仲良く冒険に出るとか……」 「何てこと!こんな非常識な物、子供が本当のことだと思ったら大変ではありませんか!」 シーナがサラサラと紙に何かのキャラクターに見える二本足歩行の擬人化した犬と猫を描いてみせると、まるで悍ましい物を見せられたかのように、家庭教師は両手で顔を覆った上にバッと勢いよく身体を逸らした。 「ええ~……そ、そこまで……?」 エリーの文章理解能力はともかく、計算への理解度と、シーナが考えている『乳幼児向け絵本の出版』への道はまだまだ遠そうだった。
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