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向かい合わせの細川さん
僕は今凄く緊張している。それは別に運命の人が目の前に居るとか、憧れの人が目の前に居るとかの感情ではない。ただ、何と表現していいか分からない。けど、緊張している。緊張している顔を見せないように必死に下唇を噛んだ。店の中は冷房が効いているので何とか汗をかかずに居られた。
細川さんは全然ハンバーガーを食べようとしていない。僕はもしかして一緒に食べたくないのかなと思ったりして聞いた。
「細川さんハンバーガー食べないの?」
「ああ、ごめんね 田中くんなんか考え事してるから食べたい方が良いかなって」
「そうだったんだ ごめん じゃ出来たてのうちに食べよう」
「はーい!いただきますー」
僕も小さい声で
「いただきます」
と呟いた。
細川さん小さい口をめいいっぱい開けてハンバーガーを食べていた。
「食べにくかったら、ナイフとかフォークあるよ」
「ありがとう でも、私ハンバーガーこうやって食べたいタイプなんです!」
「それは僕も」
「美味しいです!こんなに美味しいのは初めて!」
「ありがとう 店長に伝えたら喜ぶよ」
「店長さーん」
「なんだい?」
「ハンバーガーとても美味しいです!」
「そうかいありがとう なんかサービスしたげるよ」
「えーありがとうございます!」
「サービスくれるんだって どんなものくれるんだろう?」
細川さんは目をキラキラさせて笑っていた。僕は恋愛とかには全く興味がなくてそういう話はよく分からないけど、多分こういう人がモテるんだろうなって思った。
「そういや僕の事知ってるって言ってたけど、高校の時は合唱部だったの?」
「違うよ 運動部」
「え?じゃなんで知ってんの?」
「クリスマスの日とかに駅前で歌ってのを見たの 外国の歌を歌ってて言葉は分からないけど凄く感動しちゃって その中で1人だけ必死に何かの意志を持って歌ってる人が居るなって思ってたのが田中くんだった」
細川さんは笑顔で僕に話してくれた。
あれは確か高校1年の時だ。僕たちの合唱部は毎年クリスマスの日駅前で歌うのが恒例行事となっていた。みんなは学校が冬休みになってるのになんで歌わないといけないだと文句を言っていた。だけど、僕は人前で歌うことが楽しみで仕方なかった。なんの自信もないけど。歌ったのはモーツァルトのAve verum corpusときよしこの夜だったと思う。クリスマスの時期になればどこかで必ず耳にするだろう。殆どの人は通り過ぎて行くけど、何人かの人は立ち止まって見てくれて温かい拍手をくれた。多分その中に細川さんも居たんだろう。運命というか、世間は狭いなと思った。
「あの時は寒かった記憶しかない でも、お客さんの拍手が嬉しかった」
「私ね最初電車の時間があるから立ち止まる気は無かったんだけど、気がついたら美しい旋律と温かい歌声に聞き惚れて足止めてた」
「結局電車には間に合ったの?」
「ううん!間に合いませんでした 」
僕達は顔を見合わして笑った。
ふと店長の方を見ると仏のような顔でこっちを見ていた。
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