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夏休み前のテスト
蝉の鳴き声が徐々にボリュームを増していく。
蝉の鳴き声が聞こえなくなったと思ったら、今度は人のざわめきが聞こえる。
ある人は取り引き先にに電話を掛けて。またある人は誰かに怒鳴っていて。
僕、田中翔(19歳)は大学へ行く為に人がごった返ししている踊り場を通り抜けて改札を抜けた。
いつもの光景。おじさんのポマードとコロンの臭いと多分さっきまで働いていたであろう髪を巻きまくったお姉さんの香水の匂いが相まって気分が悪くなりそうだ。
今日は大学の期末テストだ。今日の期末テストを終えれば晴れて夏休みだ。
大学の夏休みは2ヶ月ぐらいある。けど何もやることがない。友だちや彼女も居ない。
バイトは週に3日ぐらい家の近くのカフェで働いている。バイトと家の往復の夏休みかな。そんなことを考えてると大学の最寄り駅に着いた。
「テストだるいよね〜。」
「分かる。それより夏休みどうする?フェスとか海とか楽しいことがいっぱいー」
多分同じ大学の名前も知らない人たちが楽しそうに話している。僕にはそんなの無縁だと思って期末テストの最終確認をするために参考書に目をやった。
期末テストが行われる教室に入る。僕は歴史学科に所属している。
先生が教室に入ってくる。
「はい。教科書や参考書は鞄の中にしまってください。あ、あとスマホの電源は切っといてね。」
そう言うと先生は問題用紙と回答用紙を配り出した。
前の人から順番に回答用紙と問題用紙が回ってくる。前の人が雑に紙を握ったせいでちょっとクシャクシャになってるものが回ってきて少しイライラした。
「全員行き渡りましたか?テスト時間は90分です。テスト開始から60分は退出出来ません。前の時計で60分経てば退出しても構いません。では、初め!」
みんなが一斉に鉛筆を取って解答用紙に記入していく。記述問題が多い問題なので60分では終わらないと思いながら、今まで勉強してきたことを思い出しながらペンを走らせる。
「はい。そこまで!」
気が付いたら90分が経っていた。途中の60分も気付かなかった。なんとか最後まで解き終わった。手汗が凄かったので穿いてたジーンズに擦り付けた。
先生が回答用紙と問題用紙を回収していった。
これでテスト終わり。今日はバイトも何もないのでそのまま家に帰ろうと思い筆箱に鉛筆をしまって席を立った。
「あの。」
僕の後ろから細い声が聞こえた。1人の女の子に声を掛けられた。髪は少し茶色に染めていて、ワンピースを着た細い子だった。
「え。」
僕は思わずキョドってしまって変な声を出してしまった。それを隠すために平然を装って
「なんですか?」
と答えた。
「あの。私細川ゆみって言います。私合唱部に入っていて、今度コンサートやるんで来てください!」
あー、なんだただの客集めか。ちょっと期待した僕がバカだった。
「あー。行けたら行きます。」
僕は絶対行かないなーと思いながら答えた。
「いや、絶対来て欲しいんです!」
「え、なんで?」
「田中君に聞いて欲しいんです!」
「なんで名前知ってんの?」
「知ってますよ!有名ですよ。」
凄く純粋な目で見てくる彼女が眩しかった。
僕は高校の時に合唱部だった。でも、色々あって2年の途中で辞めている。全国大会には1回出た事があるけど、そんなに強豪校でもなかったのでなんで彼女が知ってるいのか不思議でしょうがなかった。
「来月の今日あるんで、予定空けといてください!」
今日は8月16日だから9月16日がコンサートらしい。
「あ!連絡先も交換しときましょ!来てくれるために毎日連絡しますね。」
なんでそんなにグイグイ来るのか?って思った。でも、嫌味もなかったし不快な気にもならなかったので僕達は連絡先を交換した。
「じゃ私はこれで。今日も練習なんです。」
そう言うと彼女は階段を降りっていった。
彼女と別れたあとずっと彼女の事が頭にあった。何処かで会ったけ?学科は一緒でもほとんど見たことなかったし。当初の予定だと家に帰ろうと思ったけど、そんな気分でもなくなったので学食を食べて帰ろうと思った。
食堂に向かった。地下にある。階段を降りると壁に色々なサークルのチラシやセミナーのチラシが所狭しと貼られていた。その中に合唱部のチラシもあった。歌う曲と場所と今までの経歴と何処かの演奏会の集合写真が載せられていた。僕は無意識に彼女を探していた。
「あの、邪魔なんですけど。」
僕は
「え、っ」
と振り向いた。
何人かの男女のグループがいた。みんな髪を染めていてほとんど金髪だった。
どうやら食堂に入りたかった人たちだったらしい。
「あ。ごめんなさい。」
そう言って僕は道を開けた。僕はそのチラシをスマホに撮って学食を食べる時に見ようと思った。多分彼女に言えば何枚でもくれるんだろうけど。
僕はいつも肉うどんを食べる。ネギとか天かすを麺が隠れるほど入れるので適量でお願いしますと貼り紙をされるようになった。
僕はうどんをすすりながらさっきスマホで撮った合唱のチラシを眺めた。ダメだ。全然思い出せない。そうやってスマホを置こうとした時に彼女からメッセージが入っていた。
「さっきはいきなりごめんなさい。いきなり声を掛けてびっくりしたよね?でもね、私は田中君に助けられたの。これから練習だから、またね。」
助けられた?僕の頭は?マークで覆われた。どういうことだ?考えれば考えるほど訳が分からなくなった。
うどんを食べ終わって食器を返却口に持っていく。喉が乾いたので自動販売機でお茶を買った。ベンチに座ってお茶を飲んでると歌声が聞こえた。大学の合唱部の演奏は入学式の時に聞いた事がある。なんの曲を歌っていたかは忘れたけどとても心地良かったのは覚えている。
そんなことを思い出しながら空を見ていた。すると、空が段々曇ってきて真っ暗になった。いきなり雨が降ってきて僕は慌てて近くの建物に入った。
「やばいぞ。傘持ってきてないしな。」と独り言を呟いていたら
「あれ?田中君?」
何処かで聞いた事のある声が聞こえた。
細川さんだ。
「どうしたの?ずぶ濡れじゃん!あ、外酷い天気。これでとりあえず拭いて。」
彼女はそう言うとハンカチを取り出して差し出してきた。
「ありがとう。」
僕は濡れた身体をハンカチで拭いた。
「傘とか持ってないの?」
「うん。しばらく止みそうにないから帰れないや。」
「じゃあさ、今から練習見に来ない?」
「え。でも。」
「まぁ良いから。見てるだけで良いから。」
時間潰しには丁度良いかなって思って軽い気持ちで見に行くことにした。
練習部屋のドアを開けると20人ぐらいの人が練習をしていた。
「田中君ここに座っててゆっくりしててね。」
「あ、うん。」
そう言って彼女は20人の輪に入っていた。
「あの人誰?」
「見学者?」
色々な声が聞こえた。多分入部希望者だと思われてるんだろう。
練習が始まった。まず発声練習とかストレッチから始めていた。僕はイヤホンをつけて音楽を聞こうとしたけど、流石に失礼になるような気がしてそっと鞄にしまった。
発声練習は力強くてこれから歌の練習を乗り切ろうというものが感じ取れた。
曲の練習が始まった。細川さんのパートはソプラノらしい。
「じゃまず一旦通すね!」
指揮者の人がそう皆に言う。指揮者の人は女の人だ。確か、入学式でも指揮を振っていたなと思い出した。曲が始まった。
男女合わせて20人ぐらいの合唱団。混声合唱はだいたい、ソプラノ、アルト、テノール、バスのパートで構成されている。細川さんがいる合唱部は各パート5人ぐらいでバランス的には丁度良い。各パートが情熱的にそして優しくしなやかに歌っている。外は土砂降りだが、外のことを感じさせないような歌が続いていた。頬を水が流れた。涙。曲を聞いて何故か涙が出てきた。いきなり来て泣いてるのがバレたらきっと変な人扱いをされると思ってさっき細川さんに渡されたハンカチで顔を押さえた。
いつの間にか過去の記憶が蘇ってきた。
僕が高校の時に所属していた合唱部は所謂先輩の絶対王政みたいな感じで後輩が口出しをするなんて言語道断っていう雰囲気の部活だった。
僕は小さい頃から歌うのが好きだった。部活に入るまで歌うのが好きだった。部活に入って歌が苦痛になった。
ある日1人で練習していると一人の先輩が入ってきた。
「あ。お疲れ様です。」
僕は声をかけた。しかし、当然のように無視をされた。そして何も言わず部屋を出ていった。たまに河原とかで練習をしていた。たまたま通りかかった知らないおばあちゃんに
「上手ね〜」
と褒めて貰ったりした。
嬉しかった。たまたま通りかかっただけで誰かも分からない僕の歌を褒めてくれた。
笑顔で家に帰ったことを覚えている。
あの時はまだ歌が好きだった。
しかし、現実というのは良いことばかり起きないっていうのが世の常らしい。
合唱の練習には全体練習とパート練習というものがある。ふたつの練習は読んで字のごとくだ。
パート練習の時は地獄だった。殴る蹴るとかは無いが、基本的にダメ出しや、人間性、芸術性を否定することばかり言われた。これならまだ殴られた方がマシだと思ったぐらいだ。
段々と練習に行くのが辛くなった。だけど、誰にも相談も出来ない。
それでも何とか部活を続けてこれたのは河原とかで練習してる時に褒めてくれた人が居たから。
だけど、2年生の時のある出来事がきっかけで僕は部活を辞めた。
そんな事を思い出しながら細川さんの合唱部の練習を眺めていた。
こんな人たちと練習したりしてたら今でも続けていたのかなと想像した。
練習が始まって1時間ぐらい経った。外を見ると土砂降り。まだ帰れないなと思いながら座っていた。
「じゃ、ちょっと休憩。」
指揮者の人がそう指示する。
細川さんが僕の所に小走りできて、僕の横に座った。
「どうだった?経験者からの目から見て。」
細川さんは目をキラキラさせながら僕を見てくる。僕は少し目を逸らしながら
「温かい音だと思う。」と言った。
細川さんは嬉しそうに聞いていた。
しばらくしてから外を見ると雨が止んでいたので、
「雨が止んだから帰るね。今日はありがとう。」
「こっちこそ無理に誘ってごめんね。またお話しようね!」
僕は練習場を後にした。
ジーパンのポケットに右手を突っ込んで、左手にトートバッグを持って駅まで歩く。
「あ。ハンカチ。」
細川さんにハンカチを返していないことに気付いた。
ちゃんと洗って返すか。けどいつ返そうか。連絡しないといけないな。
そんな事を考えながら駅の改札を抜ける。
ホームまでの階段は雨のせいでぬかるんでいて滑りそうだ。
電車が来るのを待つ。さっきまで雨だったのが嘘のように青空になり、段々と日差しが強くなってきた。
僕の家の最寄りはこの駅から3駅ぐらいの所にある。本当は大学の近くにアパートを借りたかったけど借りることができなくて仕方なしに住むことにした。
駅に着いた時に電話が鳴った。
ケータイの画面を見るとバイト先の同僚だった。
「もしもし。」
「田中君。ごめん。今日バイトだって事忘れてて、1日テストなの。代わりにシフト変わってくれないかな?」
「全然良いよ。」
「ありがとうー!今度なんか奢るね。」
電話掛けてきた女性は矢吹沙耶。大学は違うがバイトのシフトがかぶることがたまにあり少し話す程度の仲だ。同い年というのもあって会話には困らなかった。
見た目は茶髪で髪にはパーマをかけていて服装は花柄のものが多い。いかにも今時の大学生って感じだ。
彼女は4時からのシフトだった。
時計を見ると3時だった。バイト先は家のすぐ近くなので一旦家に帰って行こう。そう思った。
最寄り駅から家までは大体徒歩で10分くらい掛かる。前は自転車で駅と家を往復してたけど自転車の空気を抜かれたり、鍵を壊されたり、盗まれる事があったのでそれから徒歩で移動するようになった。免許は持っているけど免許取得してからは運転はしていない。
僕がバイトしているカフェは今風っていうよりかは、ちょっと古風な感じのカフェだ。多分、喫茶店って言った方が様になるような雰囲気の店だ。店長は白髪まじりのダンディな男性で孝宗さんって呼んでいる。バイトは僕と矢吹沙耶ともう1人女の子が働いている。
基本シフトは店長と2人体制になることが多い。連休の時には3人体制にもなる。
店長はプライベートとかを優先させてくれる人で無理にシフトを入れない人だ。寧ろシフトにいっぱい入ろうとすると
「勉強大丈夫か?」
と心配してくる程だ。
「お疲れ様です!」
そう言って僕は店のドアを開けた。
「おお!翔。どうした?飯食いにきたのか?」
「いや、沙耶ちゃんがテスト忘れてたみたいで。シフト交代しました。」
「なるほどな。お前テストは終わったのか?」
「はい。」
「出来はどうだ?」
店長はかけている眼鏡を除けて僕を見つめてきた。
「まぁまぁですね。多分。」
「ちゃんと単位取れよ。取らないと給料出さなかいからな。」
2人で顔を見合わせて笑った。
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