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12月30日、智也は実家に帰省していた。智也は東京に住む8歳の小学生だ。年末年始は家族そろって北海道の実家に帰省している。
智也は夏にも帰省しているが、どちらかというと年末年始に帰省する方が好きだ。東京ではめったに見ることができない雪が降る。雪景色が見られる。智也は雪景色が好きだった。
実家は北海道の幌士別(ほろしべつ)という集落だ。この集落は寒い北海道の中でも特に寒い。30年余り前には鉄道が走っていたものの、国鉄再建法で廃止になり、バスに転換された。だが、そのバスも年々本数が減っていき、数年前に廃止になった。
この日は晴れていた。幌士別は大人の肩ぐらいまで雪が積もっていた。この集落は50人未満で、高齢者ばかりだ。人通りは少ない。
「智也ー、どこに行くの?」
「ちょっとそこまで」
智也は外に出た。智也は嬉しそうだ。東京ではめったに見れず、こんな雪景色は見れない。智也は広がる雪原に息をのんだ。
智也はその先に行ってみようと思い、雪原を歩き始めた。雪原はどこまでも続いているようだ。辺りには何も見当たらないようだ。その向こうには雪山が見える。
しばらく歩くと、人家が全く見えないところにやってきた。広がるのは雪原ばかりだ。智也は辺りを見渡した。すごい所に来たな。早く戻らないとお母さんに怒られちゃう。
「遠くまで来ちゃったな」
智也は引き返そうとした。だが、周りには何も見当たらない。周りは雪景色ばかりのように見えた。
「これは、何?」
智也が振り向くと、何かを見つけた。広い雪原に稲荷像がぽつんと立っている。稲荷像は寂しそうな表情だ。何年も一人ぼっちで、誰かを待っているような表情だ。
「ねぇ」
突然、誰かの声がした。智也は辺りを見渡した。だが、誰もいない。智也は首をかしげた。幽霊だろうか? 気のせいだろうか?
「君、誰?」
「誰って、お狐さんだよ。ここにあった稲荷神社の守り神だったのさ。でも、もう稲荷神社はないの。神主さんや、ここにお参りに来た人、どこに行っちゃったのかな? 何年も探してるんだけど、会えないんだ」
智也は驚いた。しゃべっていたのは稲荷像だ。その稲荷像は幌冠という炭鉱の町の稲荷神社の稲荷像だ。10年前に集落がなくなって、建物が跡形もなくなってからもここに残っていた。
稲荷像はずっと帰らぬ人々を待っていた。10年前、この幌冠から人がいなくなった。建物は次々と解体され、全部解体されると誰もいなくなった。ただ、稲荷像だけは残された。
「わからないの?」
「うん」
目の前に白い九尾の狐が現れた。この稲荷神社に祀られている狐だろう。九尾の狐は寂しそうな表情だ。何年も人を探していて、やっと会うことができた。だが、町の人ではない。でも、九尾の狐はそれでよかった。誰かに会えるだけで幸せだった。
「そうか」
智也は九尾の狐の頭を撫でた。
「こんな雪原に、どうして稲荷神社があったの?」
智也は疑問に思っていた。こんな所にどうして稲荷像があるんだろう。ここには何があったんだろう。
「ここは、幌冠(ほろかっぷ)っていう集落があったんだ。炭鉱で栄えた町で、最盛期には5000人以上が暮らしたんだ。でも、炭鉱が閉山して、人口が減って、20年ぐらい前にこの集落は消えちゃったんだ」
九尾の狐はここにかつて幌冠という大きな町があったことを話した。智也は驚いていた。ここにもそんな大きな町があったとは。
智也は祖母から神威別の歴史を聞いたことがあった。神威別はかつて炭鉱で栄えた町で、最盛期には1万人が暮らしていた。だが、現在では50人未満が住む小さな集落だ。
「そうなんだ」
智也は驚いていた。このただっぴろい雪原には、かつてこんな大きな町があったとは。どんなところだったんだろう。どれだけ賑わっていたんだろう。
「この幌冠まで国鉄のローカル線が延びていて、石炭輸送で大活躍したんだ。でも、閉山になって、過疎化が進んで、廃止になったんだ」
九尾の狐は当時のことを思い出しながら語った。あの頃は賑やかだった。たくさんの人々がお参りに来た。正月は多くの人で賑わい、七五三の子供の晴れ姿を見た。だが、お寺はなくなり、ただ広い荒野で孤独に誰かを待っているだけだ。
「どんな所だったんだろう」
「見せてやろうか?」
突然、九尾の狐は提案した。当時の幌冠の幻を見せて、どんな町だったのか、智也に見せてやろうと思った。
「うん」
突然、辺りがまばゆい光に包まれた。智也は驚いた。何が起こったのかわからなかった。
「な、何だこれ?」
光が消えると、そこには集落が広がっていた。これが幌冠だろうか? とても信じられない。こんな広い荒野に大きな町があったとは。だが、いつの頃だろう。
「こんな所だったんだ」
「うん。ここが幌冠駅だよ」
九尾の狐が指さした先には、鉄道の駅があった。幌冠駅だ。幌冠線の終点で、ここで採れた鉱石をここで国鉄の貨車に積み替えていた。神威別を経て幌冠まで鉄道が延びていたとは知らなかった。
突然、汽笛が聞こえた。SLだ。SLは幌冠駅の広い構内で入換中だ。側線には長い石炭列車が停まっていて、SLが前に連結されるのを待っていた。
「SLだ!」
智也は驚いた。図鑑やテレビでしか見たことのないSLが目の前にある。しかも現役だ。
智也は駅に入った。駅の待合室では多くの人が改札を待っていた。その中には老人だけでなく、子供もいて、多くの子供が生活していたことをしのばせる。
智也は路線図を見た。すると、途中駅に神威別を見つけた。実家のある神威別にも駅があったなんて。信じられなかった。
「幌士別・・・、幌士別にも駅があったんだ!」
「おうちのある所なの?」
「うん」
九尾の狐は智也が神威別に家があることを知らなかった。
「あそこはまだ人が残ってるんだね。当時は集落ではなくて町だったんだよ。この幌冠も町で、ここも神威別も炭鉱で栄えたんだよ」
「そうだったんだ」
「あっ、石炭列車だ!」
智也は側線に停まっている石炭列車を見つけた。石炭にはここで採れた鉱石を満載していた。この石炭列車は終点の振別(ふらべつ)駅まで運ばれる。
「長いだろ? この荷台に多くの石炭を積んでたんだよ」
智也はしばらく見入っていた。課外授業で貨物駅を見たことがある。だが、石炭列車は見たことがない。
後ろを振り向くと、劇場らしき建物がある。隣には映画館もある。劇場や映画館には多くの人々が出入りしている。彼らはおしゃれな服を着ていた。まるで都会のようだ。
「劇場や映画館もある!」
「ここはまるで都会だったんだよ」
九尾の狐は嬉しそうだ。賑やかだった頃の幌冠を語るのがとても嬉しかった。この荒野にこんな町があったことを多くの人に知ってほしかった。
「でも、どうしてなくなっちゃったの?」
「石炭よりも石油が使われるようになったんだ。そして、石炭が売れなくなって、炭鉱は閉山したんだ。町の人口はあっという間に少なくなり、劇場の映画館もなくなった。そして、鉄道もなくなり、人もいなくなった」
それを言い出すと、九尾の狐は悲しい表情になった。寂れて、なくなっていく町を語るのが辛かった。
「そうなんだ」
再び、辺りがまばゆい光に包まれた。今度は夜の幌冠駅だ。辺りには光が見えない。閉山して寂れた頃の幌冠だろうか。駅の側線は全てなくなり、駅舎側のホームはもう使われていないと思われる。ホームには多くの人が集まっている。すっかり寂れて、乗客が減ったにもかかわらず。
「これは?」
智也はどこの時代の様子なのかわからなかった。ただ、寂れた頃の幌冠だとはわかっていた。だが、ホームにこれほどの人が集まるとは、何事だろうか。
「幌冠線の最終日だよ。30年以上前に廃止されたんだ」
九尾の狐はいつの間にか涙を流していた。この町の発展に大きく貢献した幌冠線が、まもなく廃止されようとしている。その日は昭和59年3月31日。今、駅に停まっているディーゼルカーが最後の列車だ。いつもは単行しか走らないのに、まるで全盛期、いや、それ以上の10両編成だ。幌冠駅のホームでは短すぎて、列車はホームからはみ出してしまった。
そこに、幌冠駅最後の駅長がホームにやってきた。駅長はこの町で生まれ育ち、ずっと幌冠線に関わってきた。そして今は幌冠駅の駅長だ。だが、この幌冠線が廃止になると、札幌に転勤になる。住み慣れた町を離れるのは辛いことだ。だが、栄えるものはいつかは滅びるもの。今がその滅びる時なのだ。だが、まさか自分の頃にそれが起こるとは。駅長はいつの間にか涙を流していた。
「まもなく、振別行きの最終列車、幌冠線の最終列車が発車いたします! 皆様、ホームで手を振ってお見送りください!」
司会の人がスピーカーで声を出していた。それと共に、『蛍の光』が流れてきた。別れの曲だ。それほど周りの声がうるさかった。司会の人も涙を流していた。
駅長は列車の先頭の横に立つと、手を挙げた。
「出発、進行!」
駅長の大きな掛け声がすると、気動車のドアが閉まった。気動車は大きく長い汽笛を上げた。まるで泣いているようだ。それと共に、列車の乗客は窓から顔を出した。乗客はみんな手を振っている。別れの挨拶だ。
気動車は大きなモーター音を上げて、ゆっくりと動き出した。ホームの人々も手を振っている。みんな幌冠線との別れを悲しんでいるようだ。北海道中とつながっていたレールが今、途切れようとしている。
「ありがとう幌冠線! さようなら!」
10両編成の長い気動車は幌冠駅を後にした。列車は漆黒の闇に消えていった。もうこの町に列車は来ない。そう思うと、泣き崩れる人々もいた。
「後部、よし!」
駅長は涙ながらに最後の掛け声をして、その場にうずくまった。もうこの町に列車は来ない。今まで自分と共に歩んできた路線がなくなってしまった。これほど悲しいことはない。札幌に移ることになるけど、どうしても忘れることができない。これからは心の中で幌冠線は走り続けることだろう。
智也は再びまばゆい光に包まれた。気が付くと、そこは元の荒野だ。
「こんな荒野にこんな町があったなんて、信じられないよ」
智也は九尾の狐が見せた幻のことを思い出した。こんな町があったんだ。どんな人の営みがあったんだろう。
「また誰かに会えて、よかったよ」
九尾の狐はまた人と会えて嬉しかった。今日ほど嬉しいことはない。
「ここに住んでいた人々、どこに行っちゃったんだろうな」
九尾の狐はここにお参りに来てくれた人々、ここで七五三参りをした子供たちのことを思い出した。今頃、その子供たちはどうしているんだろう。会いたいな。探そうとしても、ここから離れることはできない。神社がなくなったとはいえ、稲荷像がある限りここから離れることができない。
「気になるの?」
「うん。神主さんはもちろん、そこで遊んでいた子供たち、よくお参りに来てくれた人々。また会えたらいいな」
九尾の狐は少し涙を見せた。神主はどこに行ったんだろう。もう死んだんだろうか? 生きていたらまた会いたいな。
「そうだね」
智也は九尾の狐のことが気がかりだった。長い間、ずっと一人ぼっちでいて、かわいそうだ。何とかしたいな。でもどうにもならない。もうここには誰も住んでないんだから。
「智也ー!」
突然、後ろから声がした。父だ。心配してここまでやってきた。一緒に母もいる。両親は九尾の狐が見えなかった。子どもしか見えないようだ。
「お父さん、お母さん」
「ここにいたんだ」
両親は智也を抱きしめた。無事で嬉しかった。
「うん」
「心配したんだぞ」
智也は両親と一緒に実家に戻っていった。智也は振り返って、稲荷像を見ていた。
その夜、智也は家族と鍋を食べていた。鍋は祖母が作った。祖母はかつて幌冠に住んでいたという。だが、智也には話したことがなかった。夫は炭鉱の職員で、閉山まで働いた。その後は幌士別で農業を営んでいた。
「ここって、集落があったの?」
智也は幌冠の事が気になっていた。本当にこんな町があったのか。その町を知っている人はいるんだろうか?
「うん」
智也は驚いた。祖母が幌冠に住んでいたとは。もっとそのことを知りたくなった。
「ここには、幌冠っていう集落があったんだよ。賑やかだった頃は多くの人が暮らしてたんだよ」
祖母は集落のことを思い出していた。若い頃は幌冠は活気に満ちていた。多くの人々が行き交い、駅は多くの乗降客で賑わっていた。劇場や映画館もあり、まるで都会のようだった。あの頃に戻りたい。でももう叶わない。閉山して鉄道が廃止になり、しまいには町どころか集落自体がなくなってしまった。
「やっぱりそうだったんだ」
智也は改めてその幻は荒野にあった幌冠という大きな町だったと実感した。荒野にこんな町があったなんて。
「あの頃は賑やかだったな。多くの人が行き交って、まるで都会のようだったんだよ」
祖母は立ち上がり、棚の中からあるものを出した。それは幌冠が賑やかだった頃の集合写真だ。その中には若い頃の祖母もいる。
「これが、当時の写真?」
智也はその写真を見た。幌冠駅の写真だ。幌冠駅の職員や、鉱山の関係者、その妻の集合写真だ。
「うん、そうだよ」
智也は今日であった九尾の狐のことを思い出した。こんなに多くの人々がいたのに。その人たちを探したくても、ここを離れることができない。写真の人たちはどうしているんだろう。もし会うことができたなら、九尾の狐に会わせたいな。
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