怒る怒鳴る喚く

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 くそ。  近頃の俺は一体どうしちまったんだろう。  無性に腹が立つ。  腹が立って腹が立ってしょうがないんだ。    ある瞬間、これが頭に血が上るってことかと分かるくらい急にこめかみ辺りの血管が輪ゴムできゅっと縛られたみたいになって「アイタタッ」と思うと、間を置かずしてその縛った輪ゴムがパチンと切れた具合いになる。すると大量の血液が一気にどどどっと体の一番上、即ち頭のとっぺんに大集合したみたいな感覚になるんだ。  もうそうなりゃ自分じゃどうしようもない。お手上げだ。コントロール不能状態よ。    その後俺を動かすのは俺じゃない、本能さ。    本能のやつが大集合した血液をどうにかしなきゃ体に悪いとばかりに指令を出すんだ。  はあ…もういけねえ。    指令を受けた俺、どうすると思う?     怒るのさ。  怒鳴るのさ。  喚くのさ。    俺の怒りの根源となった相手を鬼の形相で睨みつけ、これでもかってくらいに容赦無く怒鳴りつける。おうおう、もうそうなりゃ身内だろうが赤の他人だろうが知ったこっちゃない。子供だろうが大人だろうが関係ねえ。なんなら木にへばりついてシャーシャー鳴いてる蝉にだってお構いなしさ。酷い時には蝉もいやしない木に向かってだ。 「貴様ー!俺をコケにする気かー!」  俺は怒鳴る。  沸々煮えたぎる血がおさまるまで、  大集合した血がさあーと潮が引くように退散するまで俺は喚き続ける。  まるで狂犬だよ。  止められないんだ。  全くあんなのは俺じゃねえ。  この前なんかは家の向かいの公園から子供の騒ぐ声がキャーキャーし始めて、昼寝を邪魔された俺はもう気が付いたら庭下駄を突っ掛けて走り出していた。  その時の俊敏さったら自分でも驚くよ。エネルギーに満ち満ちているんだ──御年75歳のこの後期高齢者の俺が。日頃は腰が痛いのなんの言って女房に頼まれた便所の電球の交換さえ後回しにしているくせに、その時ばかりは若い頃みたいに体が動く。別人だよ全く。  あれが負のエネルギーってものなんだろうな。  すごいな負ってのは。平常からあっという間に不機嫌の最大値だ。刃物を振り回す通り魔事件なんてのは正に負のエネルギーのなせる技かもな。しかしこの負のエネルギー、長くは続かないんだ。  ふと正気に戻る。  すると目の前にはおびえて顔を引きつらせた若い母親と下にはビービー泣きじゃくる3歳くらいのガキ。  一体この事態どう落とし前付けたらいいのさ。    分かるだろ?   そうだ、もうそのまま怒鳴り続けるしかないじゃないか。  だから年寄りの癇癪は長い。  もう本人はすっかり冷めてるんだけど後に引けないんだ。勇敢な誰かが止めに入るか、怒鳴りつけてる相手が踵を返して逃げ去るかまで続けるしかないんだよ。  内心は「もう早くどっか行ってくれ」さ。  なあ悲しいだろう?  しかし問題はまだ残っている。怒鳴る相手がいなくなったとしてホッとするも束の間。周りを見渡せばまだ遠巻きに野次馬が見てるんだ。  さあどうするよ。  そうだ、怒鳴るしかないじゃないか。 「何見てるんだー!見世物じゃねえーぞー!」  な、みっともないだろう?  哀れだろう?  悲しいだろう?  ふぅ……  よーし着いた。  どうにかスーパーまでの道中怒らないで来たぞ。  途中途中で横並びでしゃべくる女子高生に道を塞がれだり、歩き携帯のサラリーマンにぶつかられそうになったり、犬のクソを踏んだりしたけど、女房の教え通りに深呼吸を繰り返しながらどうにか癇癪を抑えることが出来た。  今日は調子がいい。  怒らず怒鳴らず喚かずに済みそうだ。  さてさて女房に頼まれた特売のマヨネーズはどこだ。通常298円が本日限り98円のマヨネーズだ。  ん……?  ない    ない    ない?  ………… 「何ー!売り切れただとー!貴様客を馬鹿にするのかー!まだ昼前だぞー!売り切れとはどういうことだー!店長だせー!」  誰か止めてくれ。  俺の本能を止めてくれ。  俺は本来こんな人間じゃないんだ。                END    
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