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「まだ少しでも物資が残ってればいいんだけど……」
街外れで突然そう呟いた彼は立ち止まった。わたしたちの視線の先には満月に照らされた古びたスーパーマーケットがあった。奇跡的に正面の大きなガラス扉が一枚割れているだけで、他に異常は認められなかった。ただ広い店内は暗くて奥まではっきり見通せない。彼は道に乗り捨てられている車のトランクからバールを見つけだすと、わたしに顔を向けた。
「危ないから、君はここにいてくれ。ぼくはこういうのに慣れてるからね」
なんて愛らしいんだろう。
か弱いのに、彼はわたしを気遣ってくれている。
心がきゅっと掴まれて、こそばゆくなる。
もちろん、その気持ちだけで充分だ。わたしは首を何度も横に振ると道端に落ちている、こぶし大のコンクリートの欠片を拾い上げた。
彼と目が合った。とても真剣な目だ。
わたしも一所懸命に彼の目を見つめ返す。
根負けしたように彼はしぶしぶ頷くと、私の同行を認めた。
*
店内に入った彼とわたしは略奪にあった店内を慎重に奥へと進んだ。天窓からの月明かりの中、彼は食料品が何も残っていない荒れた店内を確認しても動じることがないばかりか、自分の家のようにオフィスを目指して自信たっぷりに進んでいった。オフィスでは、てっきり倉庫の鍵でも探すのかと思ったが、彼はオフィスの隣の薄暗いロッカールームを物色しはじめた。
「ぼくは戦争の中盤まで、この手の店舗でアルバイトをしてたのさ。そこで学んだのは、戦争中はお金なんかより物資。だから物資を探すんなら、倉庫なんかは駄目。かえって金目のものしか無なさそうなところを探すんだよ」
彼はそう言うとロッカーの横に積み上げられた古い段ボールの中から2つの手提げ金庫を見つけると、手際よく1つ目の蓋をバールでこじ開けた。中には懐中電灯と拳銃が入っていた。続けて2つ目の蓋をこじ開けると、今度は数本のキャンディーバーとビスケットの袋が2つ入っていた。歓喜の声を上げた彼の顔は輝き、とても愛らしかった。ますます守ってやりたいという思いが強くなる。
「さぁ、君も」
口いっぱいにビスケットを頬張った彼は勧めてくれたが、わたしは首を左右に振って断った。だって、お腹は空かないし、彼の嬉しそうな顔を見ているだけで胸が一杯になって、なにも欲しくはなかったから。
「ほんとに要らないのかい。昨日から君も食べてないじゃないか」
わたしへの気遣いに、またも相好が崩れる。
わたしは手を差し伸べて彼の頬を撫でた。
彼の目にわたしへの感情が宿る。
心が通じあっている。
そう思った矢先だった。私の背中越しに店内に鋭い視線を向た彼は唸り声をあげる数頭の大型犬に拳銃を向けた。
「いけない。やめて」
わたしは心の叫びをすぐさま行動に移した。
拳銃を持つ彼の手をはたいた途端、轟音がオフィスの空気を激しく震わせ、闖入者を一瞬たじろがせたが、犬たちに逃げる様子はなかった。きっと空腹すぎて獲物を置いて逃げるわけにはいかないのだろう。わたしは彼のもう一方の手から素早くビスケットの袋をもぎ取ると、中身を掴んで店内の暗闇へ向けて投げ入れた。
「なにをするんだ」
彼の叫びを無視して、今度は2つ目をよく見えるように大きく振ってから、これも同じように店のもっと奥へ投げ入れた。犬たちはビスケットの軌跡を追って店の奥へ駆け込んでいく。わたしは彼の手を取ってオフィスの裏口のドアを開錠して外へ出ると、スーパーマーケットをあとにした。
*
彼はまだ怒っていた。
無理もない。せっかく見つけた食糧を無駄にしたと思っているんだ。犬たちも傷つかず、誰も傷つかなかった。でも、それは彼には通用しないようだ。あくまで人間中心の考え方。学校の『歴史と霊長類の生存哲学』という授業で習った通りだ。人間はか弱い。か弱いからこそ武器を取って異端者を群れから排除することで安心を得ようとする。そして、か弱さゆえに、より多くの同類を求め、社会と文明を作り上げてきた。
だから……。
「怒って悪かった」彼は突然立ち止まると、わたしに顔を向けた。「そもそも君が助けてくれなかったら、ぼくは今ごろどうなっていたか……だから、もう犬に大切な食料をやるなんてことは、やめてくれよ」
……だから人間は、ほんとは寂しがり屋で怖がりなんだと、わたしは思う。
納得するわたしを見て、はにかんでキャンディーバーを頬張る彼は、やっぱり可愛い。
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