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 真っ赤な朝日が重く垂れ込めた雲の隙間から顔を出す明け方は怒りで空腹を訴える唸り声も、また歩き回る人影も見えない。だから、このチャンスを逃すことはできない。風がそよぐ中、巣へ帰っていく動物たちに別れを告げたわたしはお気に入りのワンピースの裾をひらめかせると村の集会広場に足を向けた。  この村も以前は大きな都市だった。  倒壊を免れたビルは今では廃墟と化し、道路は雑草に覆われて車の墓場になった。今や絶滅危惧種となり果てた人間は郊外へ。安全と食糧を求めて、そのまた向こうへと逃げ散っていた。ここに残ったのは、わたしを含めてひとにぎりの者たちだけだ。  人類を地上から洗い流すようにあらゆる兵器が投入された大浄化戦争(スィープ・ウォー)が既存の文明をリセットしてしまったのだ。           *  集会広場に人影が絶えるのをわたしは待った。そして警備の者から、かすめ盗った鍵束から一本一本試して、やっと鉄扉を開錠した。かつては地下鉄の駅改札に通じる階段の先は真っ暗で(かび)臭く、血の微粒子が微かに混じっているのに気がついた。嗅覚がまだ残っていてよかった。戦争で視力を奪われた者、聴覚を奪われた者、触覚や嗅覚。果ては、すべての感覚を奪われた不幸な者さえいた。でも幸いなことに、わたしは多くの者たちと同じように声を含む二、三の感覚だけしか無くしてはいなかった。  わたしは手探りで、ゆっくりと微かな血の匂いをたどった。暗闇を何歩か進むうちに、昨日、村の外縁部で捕まった若い男の脚につまずいて転びそうになった。彼のものと思われる苦痛を含んだ小さな悲鳴が上がった。わたしは急いで、その場に(ひざまず)くと彼の胸や二の腕を探り当てると手のひらで軽く叩いて落ち着かせようとした。それでも執拗に抗うので、わたしは階段まで急いで戻ると階上から差し込む朝日の中で、自分のシルエットを使って身振り手振りで早めの脱走を訴えた。わたしの必死さが伝わったのだろうか。 「わかった……わかったよ」  しわがれた声の返答に、わたしは安心して彼の元まで戻ると、その腕をとって立たせようとした。 「すまないけど、ゆっくり頼むよ。捕まったときに、けっこう痛めつけられたんだ」  わたしは首を大きく縦に振って了解の意思を示すと彼に肩を貸した。 「君は誰だい」彼は喘ぎながら立ち上がると、わたしに顔を向けた。「まさか口がきけないのかい」  わたしは明かりの漏れる階段まで彼を連れて行くと、自分の口を指さして首を左右に振った。彼はしばらく口をつぐんでから理解したように「ごめんよ。助けてくれてありがとう」と礼を言った。  わたしは身振り手振りで「早く逃げるのよ」と彼を促した。
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