2:冬将軍と絆創膏

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2:冬将軍と絆創膏

 どこか漫然とした校歌斉唱を経て入学式が終わると、中庭が新入生とその保護者たちでいっぱいになった。  このあとホームルームがあるけれど、教室と先生たちの準備が整うまでは自由時間。  湿った冷たい空気の上を、たくさんの話し声が複雑に入り混じりながら通り過ぎていく。  中学校からの持ち上がりとは言え、新しい制服に新しい校舎。  やっぱり、昨日までの自分とはどこか違う……気がする。 「西園寺」 「ん?」 「お前、もう入寮したんだろ?」 「うん、週末に」 「マジか、早!」 「部屋、広い?」 「中学の時よりはね」  僕と同じように参列者のいない生徒たちが、ワラワラと集まってきた。  時間を持て余してるのもあるんだろうけど、やっぱり親が見に来ていなくて寂しい……と言うのが、彼らの本音だろう。    今にも雪の降り出しそうな白い空を見上げ、僕は小さく身震いした。  桜咲いたら一年生――そんな歌があるけれど思い描く景色が再現される年は稀で、入学式の日はいつだって冬将軍が舞い戻ってくる。  吐いた息が白く濁ると、真冬に遡ったようで余計に寒く感じた。  中庭を取り囲むように植えられた桜の木は、どれも満開からはほど遠い。  せっかく開きかけた蕾も、勘違いしてまた眠ってしまっ――ん?  数ある木の中でも創立記念樹として植えられた歴史ある桜の陰で、深緑色が翻った。  中庭の賑わいから身を隠すようにそこにいたのは、神崎理人だった。 「うっ……うっ……」  件の代表挨拶のあと教師に連れ出されていた彼は、小さな後ろ姿を小刻みに上下させながら、泣きじゃくっていた。  そんな彼を、黒いスーツに身を包んだ男性と、桜色のジャケットが綺麗な女性が、一生懸命慰めている。  纏っている上品な空気が、いかにも彼の両親らしい。  「いいじゃないか。きっとみんなに名前覚えてもらえたぞ?」 「そういう問題じゃないもん……っ」 「うーん……あ! 挨拶自体はすごく立派だった! 父さん、ビデオ撮ったから、明日職場で自慢しちゃうぞ!」 「そういう問題でもないもん……っ」 「そ、そうかあ……」    会心の一撃が外れた勇者のように撃沈し、父親は母親に助けを求めた。   「とにかく、その膝をなんとかしましょ」  ふう……と息を吐いて身を屈める彼女の動きをなんとはなしに目で追って、僕はギョッとした。  せっかくの真新しい制服が無惨な姿になっている上に、ずる剥けになった膝小僧から、真っ赤な血がだらだらと伝っている。  まさか、そんな状態で壇上に上がったのか。  中庭に集結した人だかりは決して少なくないのに、大人も子どもも、チラチラと視線を送っているだけで誰も何もしようとしない。  もちろん僕も助けてやろうなんて殊勝な気持ちはなかったし、なんなら「ざまあみろ」と思っていたくらいだった。  くだらないプライドなんて潔く脱ぎ捨てて、まーくんに手を差し伸べてあげればよかった――と後悔するのは、まだ見ぬ未来の僕の話なのだ。  その時、人の塊の中から飛び出したのは、『生徒会』の腕章をつけた一人の上級生だった。  三年生になったばかりの、木瀬(きせ)航生(こうき)だ。  彼は、迷うことなく中庭を横切り、神崎一家に走り寄った。 「君、大丈夫か?」 「あっ……」 「医務室、案内しようか。痛いだろ? それに、早めに消毒しておいた方がいい」  長い身体を折り曲げ、木瀬先輩が傷ついた膝小僧を覗き込む。  神崎理人は後ずさり父親の背後に隠れると、ぶんぶんと首を振った。 「い、痛いの、嫌だ……」 「えっ?」  は?  子供かよ。  木瀬先輩の驚きと、僕の心の声が重なる。 「こら、理人! すみません。医務室には私が同行しても大丈夫でしょうか?」 「え、ええ、それはもちろん……神崎くん、お父さんが一緒なら行ける?」 「やだ……っ」  父親のジャケットにしがみついたま頑なに首を振る神崎理人と、困ったように頭をかきながら彼を宥める木瀬先輩。  体格差も相まって、本当に大人と子供のようだ。 「理人、父さんも一緒に行くから。消毒だけでもしてもら――」 「おい、木瀬!」  体育館の片付けが、まだ途中なんだろう。  先輩と同じ『生徒会』の腕章をつけた上級生が、中庭の入り口でブンブンと手を振っていた。 「今戻る! あの、よかったら使ってください。捨ててもらって構わないので……あと、これも。気休めにしかならないと思いますが……」 「まあ!」  四角く折り畳まれたハンカチと一枚の絆創膏を差し出され、神崎母の目が輝く。  神崎父の深い会釈に丁寧に応えると、先輩は踵を返す……前に、神崎理人の黒い髪をわしゃわしゃとかき混ぜた。 「っ」 「挨拶、よく頑張ったな」 「え……」 「医務室は、寮に入って左側二つ目の扉だから」 「あ……」 「それじゃ、膝、お大事に」 「あ、あ、ありがとうございます……!」  これが、僕とまーくんの出会い。  ……ううん、嘘。  ――出会い。
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