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「今日は田中信一君は来るかね?」
わたしはぶっきらぼうに受付の若い女の子、麗佳に訊いた。
「ええと……」麗佳は予約表を確認している。「……来ます。午後三時の予約ですね」
「ほう、そうだったかね……」
わたしはぶっきらぼうに答える。
……ふっふっふ、知っているのだよ。信一君が三時に来るのはね。わざと確認したのだよ。
高校生の信一君がわたしの歯医者に初めて来院した時から、わたしは虜になったのさ。
大人と少年の間を行き来する、その儚い感じが、わたしの男心をそそる。
治療の時に無防備に開ける口に、何度わたしの唾液を垂らしてやろうと思った事か。その健康そのもののピンク色の唇に吸い付きたいと思った事か……
この前の治療の時、奥歯にかいわれ大根の葉の欠片が挟まっていた。ここへ来る前に歯磨きをしてきたんだろうけど、残ってしまったもののようだ。
これは神がわたしに与え給うた幸福である、至福であると、わたしは即座に確信した。
器具でつまみ出し、誰にも見られないように注意しながら、わたしはそっとティッシュに包んでズボンのポケットにしまった。
……ああ、これで信一君はわたしのものだ。いつでもどこでも信一君を感じることができるんだ。
わたしは事ある毎にそのティッシュを握った。握っては信一君を想っていた。
信一君の治療はもう終わりになる。だが、終わらせたくない。わたしはわざと治療を伸ばしている。普通なら一回で済ませられるものを、数回に分けて。もちろん、料金は取らない。
「新しい治療法を試しているんでね。実験台になってもらっているんだよ。だからお金は取らないよ」
そう言っている。信一君も「只なら良いですね」と、明るく爽やかに言ってくれる。ああ、その笑顔に頬ずりがしたい……
気が付いたら、麗佳が電話対応をしていて、電話を終えた所だった。麗佳はわたしに顔を向けた。
「先生、田中信一君からなんですけど……」
「何かね?」
わたしはぶっきらぼうに言う。しかし、心臓は高鳴っている。
「急に引っ越すことになったので、もう治療には来れないとの事です」
「ほう、そうなのかね……」
わたしはぶっきらぼうにそう答えると、自分用の執務室へと向かった。
ドアを閉めると、ポケットからティシュを取り出した。くしゃくしゃになったティッシュをゆっくりと開く。
かいわれ大根の欠片があった。わたしはそれをつまむと口に入れた。
……ああ、これで信一君と繋がった。一つになれた。ありがとう、そして、さようなら、信一君……
わたしは涙を流しながら、それを飲み込んだ。
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