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②インデックスを指でなぞって
「かんぱーい!」
飲んで飲んでと言われてよく分からない酒が入った小さいグラスを置かれたが、ここまで来て断ることもできずに俺と慶太はそれをぐいっと一気に喉に流し込んだ。
実験用のアルコールじゃないかという思うくらい強い酒で、喉が焼けてゲホゲホとむせそうになるのをなんとか耐えた。
「どこへ行ってたかと思えば後輩引っ掛けてくるなんて、珍しいな睦月」
「本当、言っちゃ悪いけど。特別可愛い子でもないのにね」
俺は遊佐の邪魔をしてしまった後、なぜか付いて来いと言われて遊佐の仲間達の輪に加えてもらえることになった。
そこに慶太も合流して一緒に飲むことになった。
どう見ても平凡でなんの利益もなさそうな二人を見て、遊佐のお仲間達は素直な感想をぶつけてきた。
「べつに……、ただ気まぐれ。聞けば同じ大学で後輩だったし」
遊佐の答えでは全然納得できないと、今度は質問の矛先が俺に向けられた。どう考えても事情がありそうな先程の女性のことは言えないので、慶太と考えていた当初の予定通り話すことにした。
「あ…あの、俺の方から声をかけて……。実は遊佐先輩のファンで、SNSとかチェックしていて…こんなところで出会えるなんて、ラッキーだと思って声をかけたんです」
今作った話にしては饒舌にペラペラと話す俺を見て、遊佐は不思議そうな顔になって片眉を上げた。
「ああ、ファンの子か。よくいるんだよ。追いかけて来ちゃう子。良かったね、ここまで来られて。普通だったら、店から放り出されてたかも」
俺はあははと苦笑いするしかなかった。どういう気まぐれなのか、恋人がいると言ったら遊佐の顔が変わったのだ。
なぜかギラギラと強い目線に変わり、じゃあ一緒に飲もうという話になった。
はっきり言ってわけが分からない。
「二人とも彼女はいるの?」
遊佐のお仲間の女性が微笑みながらいきなり突っ込んできた。
この女性も先程の女性と同じで美人だ。ここにいると世の中はなんと不公平なのかひしひしと感じてしまう。
「俺はいないですー。というか今まで一度も」
こういう話題が出たら慶太の出番だ。爽やか系スポーツ青年が今まで彼女がいないということに興味を持たれて、その後は慶太の話をみんなが一斉にぐいぐいと前のめりになって聞き出した。
ずっと想っている幼馴染の女の子の話題が出たら、みんなキャーキャーと言いながら盛り上がった。
約一名を除いて。
遊佐は慶太の恋愛話を全く興味がなさそうに、ほとんど聞いていないように見えた。
酒を飲みながら、つまらなさそうにスマホをいじってため息をつくという明らかに一人だけ居心地が悪そうにしていた。
そんな様子をぼんやりと見ていたら、バチっと目が合ってしまった。
「君は? 水無月くんだっけ。君は恋人がいるんだよね?」
まさかのキラーパスがきて、俺はビクッとして急いで背筋を正した。事前に慶太との打ち合わせでは、フラれたからという面倒そうな相談より、彼女と上手く行く方法を知りたいと聞いた方が向こうに警戒心を持たれないだろうという段取りだった。
その通り、俺はそうですと頷いた。
そうすると、えー意外とか、童貞っぽいよねとまで意見が出てきて、恥ずかしくて頭をかいた。
そこで俺はここがチャンスかもしれないと思い込んだ。
自分に話題が振られている今なら、聞きやすい場面かもしれないと。
「あ…ああの、俺、ご迷惑でなければ、遊佐先輩に、か…彼女と上手くいく方法を知りたくて……その、単純なアドバイスでもいいので……教えてくれませんか?」
ちょうど曲が終わったタイミングで俺の話がバッチリ入ってしまった。カタンとグラスの中で氷が落ちる音までしっかり聞こえてきた。
まさか、この状態で断られたら、目立つ過ぎると祈るような気持ちだった。
遊佐はグラスを手に持って、酒を軽く含んだ後、俺の目を見て僅かに口元の端を上げて笑った。
「いいよ」
再びムーディーなジャズが鳴り始めて、店内の賑やかな声が聞こえてきた。
睦月珍しいとか、優しいとかそんな風に仲間に驚かれながら、遊佐は自分の隣の席を叩いて、横に来るように促してきた。
俺はメモとペンでも持ってくれば良かったと思いながら遊佐の隣に座った。
聞きたいことはちゃんとまとめてある。それが酒で曇ってしまわないように、必死で頭を整理しながら口を開いた。
「別に男だって甘えたいと思うのはおかしくない。ただ。ようは向こうの希望と合致するかどうかだ。甘えさせたいと思う女はいくらでもいる」
「なるほど……」
他のみんなが好き勝手に話して飲んで盛り上がっている中、俺は端の席で遊佐にずっと話を聞いてもらっていた。
それで俺の恋愛感覚がいかに一方的で相手のことを考えていなかったのか思い知った。
現実の恋愛は連絡の頻度や好きを言う回数を数えて満足するようなものではない。
逆に言うとそんなことにこだわっている段階では、相手をちゃんと想っていないことの証かもしれないと気がついた。
さすが数々の人との噂が絶えないだけあって、遊佐の恋愛に対するアドバイスは的確で分かりやすいものだった。
「ありがとうございます! お…俺、なんか自信が出てきました」
「そう……。良かったね。こんなに考えてもらって彼女は幸せ者だ。他に…聞きたいことは? もうない?」
「あっ……」
理論的なものはほぼ教えてもらったが、一番重要なアノ事についてちゃんと聞けていなかった。
「ええと…その…アノ…あれの事で……」
「は? なに?」
「あの…せ…セックスの時の……声なんですけど、男が大きいのって……マズいですか?」
聞くのはどうかと躊躇う気持ちがあったが、遊佐の完璧なアドバイスに感動してつい口からでてしまった。
もしらしたら、笑い飛ばされるかもしれないと思ったが、遊佐は冷静な目を俺に向けてきた。
「声? そんなに大きいの?」
「そっ…それは分からないんです。AVとかも見ないし…、みんなどうしているかなんて、知らないし……。我慢してどうにかなるものなのか……そもそもみんな嫌なのかなって……」
「まぁ、確かに。多少は良くても、男が大きな声で喘いだら引いちゃう女の子の方が多いかもね」
マスター遊佐にバッサリと自分を否定されて、頭がクラリとしてソファーに倒れ込むように沈み込んだ。
「そ…そうですよね。やっぱり、男がって…キモいですよね」
「何それ、言われたの?」
「は……はい」
「ああ…じゃあ、最後に出してきたってことは、それが一番大きな悩みなわけだ」
確かに気軽に人に相談できないという点では、遊佐の言う通りだった。
「実際に聞かないと何とも言えないからな。そうだ、ウチで飲み直さない? AVじゃ参考にならないかもしれないけど、一般的な解説を交えて教えてあげるよ」
まさかこんな俺のために、自宅にまで招いてくれて、アドバイスをしてくれるというのが信じられなくて、俺は目を大きく開いて驚いた。
「い…いいんですか? クラブで知り合ったただの後輩なのに……」
「じゃ、やめる?」
「いっ…いえ! ぜぜ是非、よろしくお願いします!」
それなら行こうと手を取られて席を立たされた。睦月帰るの? なんて声が上がったが遊佐は手を適当に振りながらさっさと歩いて行ってしまった。俺は慶太に目配せをしながら、他に人にも頭を下げて遊佐の後を追った。
クラブを出ると遊佐はすでにタクシーを止めていて、さっさと乗り込んでしまう遊佐に続いて俺も急いで隣に乗せてもらった。何というか本当に掴みどころがなくて何を考えているのか分からない人だ。遊佐の家に向かうタクシーの中でも無言で外を眺めていた。彼のようなミステリアスな男に女性が惹かれる気持ちは何となく俺も分かった。何を言われるか何をするか分からない、適度な緊張感が続くことがそのうち心地よく感じてしまいそうだ。
しかしそんな刺激的な毎日を演出することなんて俺にはできない。いつもくっ付いていたくて、愛の言葉をこれでもかと捧げたいし、貰いたい。
単純でつまらない俺の恋愛と魔術師のような遊佐の恋愛は正反対なものに思えた。
「ビールでいい?」
「はい…」
今まで男友達の部屋に遊びに行くことなんて何度もあったけど、同じ男なのにここまで違うのかと思うくらい、遊佐の家は別世界だった。
まず当然のように一人暮らし。入り口にはコンシェルジュ付きの高級マンションだ。大理石の敷き詰められたホテルのような豪華なロビーを抜けて、エレベーターで空に近いところまで上がった。
玄関に入ると、黒で統一された部屋が迎えてくれた。家具類も全て黒、清潔に整えられていて、無駄な物は一切ない。間接照明の明かりがぼんやりと灯っているとにかくお洒落な部屋だった。
「突っ立ってないで座ったら?」
「はい! 失礼します」
裏返って変な声が勢いよく出てしまったので、遊佐は軽く噴き出しておかしそうに笑った。
そういえばずっとロボットみたいに硬い表情だったので、こんなに柔らかく笑う人なんだと驚いた。
いつまでもボケっと立っていられないので、おれは勧められたソファーに腰を下ろした。遊佐は軽くつまめるようなものを持って来て俺の隣に座った。
俺は緊張をごまかすように缶ビールを開けてごくりと一口飲んだ。
「AV見ないって言っていたけど、いつもどうやって抜いてんの?」
いきなり直球の質問が飛んできて、口に含んだビールを噴き出しそうになった。驚いたが男同士なのだから遠慮する必要はないのは当たり前だと気持ちを整えてから口を開いた。
「可愛い女の子の動画とか…、なんと言うか…シテいるのは生々しくて…」
「へぇ…彼女とする時は、酷いことを言われたみたいだけど、行為自体は上手くできたの?」
「そ…それは……」
遊佐の言おうとしている事は分かった。俺が下手くそだったから、女の子から罵倒されたと言いたいのだろう。確かにそこも心当たりがあって心臓が痛くなった。
「すごく…大変でした。勃起はしたんですけど、ゴムをなかなか付けられなくて、いざ挿入しようとしたら萎えてしまって…。焦ってなんとか持ち直して挿れることはできたんですけど…その…すぐ果ててしまって…声とかその時なのかな…あぁ…も…やだ」
こんなことを人に話すことなんてない。だが相談する身としてはちゃんと話さないといけないので、俺は顔が茹で上がりそうになりながら必死に説明した。恥ずかしすぎて遊佐の顔は見れなくて途中で手で顔を覆った。
「慣れないうちはそんなもんだよ。早漏だとしても、ある程度テクニックを身につければカバーできる。男だって感じれば声が出るもんだし、我慢したら気持ち良くないだろう。叫ばれたら困るけどな」
「ゆ…遊佐先輩……」
遊佐はノートパソコンを持ってきて、カップル設定のAVを検索して見せてくれた。多少の演出は入っているけどこんなもんだと言われて、今までずっとまともに見たことがなかったことを後悔した。
知っておいて損はなかったのだと、かじりつくように見てしまった。
勉強にはなったのだが、仲睦まじくラブラブセックスをする二人を見て、なんとも言えない気持ちになってしまった。
自分もこんな風に女の子を優しく導いて満足させてあげられたら、また違ったのかもしれないと後悔の気持ちが胸を突いてきた。
「この…カップルは幸せそう…ですね。演技だとしても…すごく…通じ合っているというか……」
「……おい、AV見て泣くやつがいるか」
込み上げてきたものが、ポロリと頬に落ちてしまい、それを見た遊佐がギョッとした顔で驚いていた。
「お…俺、ダメなんです。好きになるとその子のことばっかりずっと考えちゃって……周囲も重過ぎるって引くくらいなんです。やっと…やっと初めて俺のこといいって言ってくれた彼女に……どうしても嫌われたくなくて……でも好きだから……想いを押し付けちゃって……」
分かっている。
片想いと違って付き合うとは、自分の好きだけでどうこうできる問題ではない。
どんなに好きでも相手に嫌だと言われたら、そこで終わってしまう。片方の気持ちだけぐんと傾いたまま、それでも終わるしかない。
俺は情けなくて虚しい気持ちが溢れてきて、ぼろぼろと涙をこぼして泣いてしまった。
薄暗い室内の中だって、泣き顔ははっきり分かるだろう。
これ以上は迷惑になってしまうから帰ろうと想った時、俺の腕を遊佐が掴んできた。
「……可哀想にな、優希。こんなに想っているのにひどい彼女だ。なぁ、俺が慰めてやろうか?」
「え………」
何を言っているのだろうと頭が追いついて来なかった。ただ、遊佐は覚えていたのか、いきなり俺の名前を呼んできた。そして、今まで見せたことがないくらい、ギラギラとした生気の宿った目で俺を縛りつけるように捉えていて、この世のものとは思えないくらいの美しい顔で妖しく笑った。
まるで、この機会をずっと待っていたかのように、遊佐の目は薄暗い中でも光っていた。
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